3.11から数か月後、回収された写真の中から亡くなった兄夫婦のツーショット写真が見つかりました。見つかった場所は、現在の「さんさん商店街」周辺のようです。
すでに写真は兄夫婦の次男が受け取っていました。実は彼も3.11当日、奇跡的に助かった一人です。その写真は兄夫婦の新婚旅行の機内でのツーショットで、何とも若く、何とも楽しそうな笑顔でした。
その兄嫁の遺骨を受け取ったのは3.11から1年以上経ってからで、息子2人のDNA鑑定結果により特定されたものでした。結局、兄嫁の遺留品はその写真1枚だったのではなかったか。。
もう一つ記憶に残っている写真は、身元確認用の写真です。それはベイサイドアリーナにあり、随時閲覧ができました。しばしば東京から帰郷し閲覧していましたが、時間とともに写真が増え遺体の損傷も激しくなっていきました。
結局私は、そこにあるすべての写真を確認しましたが、3人の手掛かりを見つけることはできませんでした。こういう時、インスピレーションが働き見つかるのではないかと思っていましたが、手掛かりは掴めませんでした。正直いって、みてもわからない状態の写真が多くなっていきました。。。
このように写真について書き始めてから、記憶が数珠つなぎのように蘇ってきました。
そもそも何故「私の3.11」を書くつもりになったか。それは南三陸で被災された顔見知りの方々と何度となく話をしていて、やはりそれぞれの3.11があると思えたからでした。これまで私と親族について、私から地元の方に話すことはほとんどなかったし周囲の方も聞きづらかったことでしょう。
それぞれが違う3.11を経験し、いま生きています。
写真については、これで終了です。
「私の3.11」については、これからも断続的に発信します。