私の3.11。写真

昨日今日の台風による被害の大きさと範囲の広さに驚いています。
亡くなられた方のご冥福と、被災された方々のご無事をお祈りいたします。

今日で3.11から4年半になります。これから「私の3.11」を何回かに分けて発信していきますが、記憶にあることが多すぎて何回になるのかわかりません。まず写真から入ります。
私のプロフィール写真とトップページのスライド2枚目の写真は、南三陸の同じ場所を撮影したものです。 撮影した時期と角度が違うだけです。 スライドの白い建物は実家の店舗で2011.3.18に撮影されたもの。プロフィール写真はそれから1年以上経ってから撮影したもので、すでに建物は解体し写真手前の曲がった鉄筋はその残骸です。

白い建物は、1960年のチリ地震津波のあと確か4年後に建てたもので、同規模の津波が襲来した際に3階か屋上に避難すればいいと考えて建てたようです。しかし3.11の津波は、屋上をも超えていました。下の写真を撮った3.23に建物の屋上に行ってみましたが、鉄板のドアが壊れ防水シートが捲れ上がっていました。

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2011.3.23の実家(店舗の右側に住宅があった)。

屋上にいるのは自衛隊の方。3.11以降被災地で、自衛隊はすごい働きをしてくれたと聞いています。炊き出しのごはんがとても美味しかったと、地元の人たちが口をそろえて感謝していました。流された橋の応急措置、生存者の救出、長期間におよぶ遺体、遺品の捜索や収容等、過酷な状況の中で継続的に活動できるのは自衛隊だけだったようです。
3.11からしばらくの間、とても多くの自衛隊車両を見かけましたが数か月後から少なくなり、警察車両が大半を占めるようになりました。被災地での対応が変化していく象徴的なこととして記憶しています。

書いているうちに別の写真のことを想い出しました。。
つづく。