小金沢一実さんへのリレーインタビュー

『日野すみれ塾』代表 仁藤夏子さんからのリレーインタビューは、一般社団法人『保育サポーター はちっ子』代表理事 兼 『ハニカムステージ』代表の小金沢一実(こがねざわ ひとみ)さんです。

「はちっ子」は子育て中のお母さんたちの“ちょっと困った”をサポート。ハニカムステージは“手づくりと学び”をテーマとした女性のコミュニティです。

お母さんたちを笑顔にしたい。そうすれば、家族や社会が元気になり世界は平和になる。そう考えて活動されている小金沢さんのプロフィールを拝見すると、不妊治療により子どもを授かり、その後仕事に復帰されてから離婚をし、息子さんは不登校中と書かれていました。
小金沢さんの活動の原点は、もしかしてご自身の幼少期にあるのではないか。そんなことを思いつつお話しを伺いました。

インタビューの途中、時折涙しつつも、小金沢さんはご自身のこと、ご家族のことを赤裸々に話してくださいました。そしてとても大きな存在として、お父さんの姿が現れてきました。(聞き手:昆野)

――なぜ、保育サポーターという活動を始められたんですか?

小金沢一実さん:育休中に、再就職支援セミナーで出会ったママたちと「どのように子どもを預けてるの?」と話していたら、みんな「そうなのよ、気軽に預けられないのよ」という会話になったんです。じゃあ、私たちで何かできないかと、意気投合したのが始まりでした。
行政のファミリーサポート(ファミサポ)という制度もあるんですが、登録までに時間が掛かり過ぎたりして活用しにくい部分があったりするんです。

――「はちっ子」は、ファミサポより使いやすくて便利なんですか?

小金沢一実さん:そうなんです。ファミサポは年に2回程しか登録の場がないので、例えば急用ができて明日預かってほしいといっても登録していなければ対応してくれません。その点「はちっ子」はなるべく柔軟に、実家の母親のようなつもりでできるだけ受け入れるように努めています。

「保育サポーターはちっ子」が運営する広場の様子

――子育て中のお母さんをサポートしたり相談に応じたりするというのは、実際に子育てのたいへんさをわかっている方にしかできないと思うんですが、小金沢さんご自身もいろいろと苦労をされてきたんですか?

小金沢一実さん:自分と同じような想いをさせたくないというのが一番の動機です。そういう女性は結構多いと思います。
当時、うちの家族はサザエさん一家と同じように、私サザエとマスオさん、タラちゃん、浪平、ふね。さらにカツオもいました。世間からは、親と同居しているから楽でしょという目で見られがちでしたが、実は母が脳腫瘍から身体に障害をもっていて赤ちゃんの抱っこも難しい状況でした。ですから、傍目(はため)と実際のギャップに悩んでいました。

――そうでしたか。どのようなことを心掛けて保育サポートをされているんですか?

小金沢一実さん:“地域のママたちを笑顔にしたい!”を子育て支援のモットーにしています。私自身そうでしたが、イライラしていると笑えないし子どもに当たってしまうじゃないですか。それが子どもの成長にとって良くないし、お母さんが元気で笑顔でいることが子どもにとって一番だと思うんです。私自身笑えない時期があったので、身に染みて感じています。

2009年3月オープニングスタッフの方々(右前列が小金沢さんと息子さん)

――ブログを拝見しましたが、小金沢さんは不妊治療によりお子さんを授かり、仕事に復帰した後にご主人と離婚されているんですね。

小金沢一実さん:息子が小2の頃でしたが、八王子市の補助事業に採択されてコワーキングスペースを開いたんです。それがハニカムステージの始まりなんですが、ちょうどその頃に主人が会社でパワハラを受け、鬱(うつ)になって働けなくなったんです。それで、私が稼ぐからあなたは家で主夫をしてと言って、主人に家事一切を任せて、私は世のお父さんたちのように毎晩遅くまでバリバリ働き詰めに働きました。その頃は、子どもと顔を合わせることすらない日々でした。

主人の鬱はどうにもならない状態が続いて、結局3年半の間仕事をすることはなく障害年金も切れてしまいました。主人の親からも援助してもらいましたが、それも尽きてしまいました。
私は悩んだ末に、離婚するしかないと提案しましたが、主人は納得しませんでした。その頃主人は、買い物にしか外出できない状態でした。

――ご主人はずっと離婚したくはなかったんですか?

小金沢一実さん:そうですね。子どもと離れたくなかったようです。子どもにとって、両親が揃って生活している方が絶対にいいと言い張っていました。
結局私はマンションを手放し、養育費なし生活費なしの条件で、親権だけを得て協議離婚に至りました。今考えるとバカだったなあと思います(笑)。

――どうしてですか?

小金沢一実さん:なぜ、もう少しやさしい気持ちをもてなかったのかなと。

――何に対してですか?

小金沢一実さん:主人の病気に対してです。病気が悪であって、主人は悪くない。そこがわかってなかったと思います。子どもにとっても、別れた方が絶対にいいと思い込んでいました。

――今、息子さんは何歳ですか?

小金沢一実さん:今15歳、中3です。別れた時は小5で、その1年程前から別居していたので息子は気がついていたようですが、「ちゃんと離婚したよ」と伝えてからしばらくして学校に行かなくなってしまいました。今も中学校には行っていませんが、やっと9月からフリースクールに通い始めて、そのままその高校に行こうかなと言っています。

――息子さんも複雑な心の状態が続いたのでしょうね。

小金沢一実さん:息子とは殴り合いのケンカもしました。そのうち「お母さん、もうボクの方が勝っちゃうから止めなよ」と言われ、そうだねとその時から止めました(笑)。それまでも私は何度も息子に手を挙げていたので、その時これまでのことを全部謝りました。息子にとっては、私にぶたれたことが凄く辛かったようですが、許してくれてからは仲良くやっています。

息子が小2の頃から、私は働き過ぎで息子とちゃんと向き合って来なかったので、今人生をやり直しているんじゃないかと思っています。
息子は自己肯定感が低かったというか、自分は愛されていないんじゃないかと思い込んでいたのだと思います。そういう意味では、自己肯定感を取り戻すために不登校の期間があったのではないかと、やっと最近思えるようになりました。今は息子が甘えてきても受け入れています。よく喋るようになったし、元々やさしい子なんです。いろいろあったけど、今やり直せて悪くはなかったかなと思っています。

――無理に学校に行かせようとはしなかったんですか?

小金沢一実さん:最初は凄かったですね、力ずくで追い出していました。ある時行方不明になって警察を呼んだこともあって、「そんなに嫌なんだ」ということがわかったので、「もう学校に行かなくてもいいよ」と話したんです。それから息子は少しずつ変わって来ました。
理科とか数学とかが得意で、雑学クイズなんかもよく当てています。自分の好きなことを見つけてスイッチが入れば、凄い能力を発揮できると思っています。

――みんな天才ですからね。嫌なことはやらなくていいから、好きなことを見つけてとことん生きてほしいですね!私のアスペルガーの甥も天才だと思っていますが、仕事をして収入を得て生活するということが難しいので、しょうがなくグループホームに入っています。本来人間の能力とか個性っておカネの価値とは別ものなので、息子さんにも思う存分生きてほしいと思います。

小金沢一実さん:なかなか自分のやりたいこと好きなことが見つからなかったのですが、最近ドラムをやりたいと言い出したんです。それで調べてみたら、あるフリースクールにエンターテイメント・ゼミというのがあって、そこで高校生に混じってドラムを叩けることがわかったんです。
凄く面白い学校が意外に近くに見つかりました(笑)。ゲームの太鼓の達人が好きになってドラムに興味が出たので、ホントどこでどのように繋がるかわかりませんね。昼夜逆転してまでやっていたゲームを取り上げなくて良かったです。

――今日小金沢さんとお会いする前から、多分バリバリ感の強い人なんだろうなと思っていました。仕事をバリバリ、家でもキッチリという感じですが、そういう家庭で育ったんですか?

小金沢一実さん:父が厳しくて、実はうちの父は中学校の教師だったんですよ(笑)・・・。

――ああ、そうでしたか・・・(沈黙)。

小金沢一実さん:だから私は小さい頃からずっと、自分は教師になるものだと思い込んでいました。勉強ができるのは当たり前、できないと教師の娘なのに何でできないのかと言われ、ホント辛かった。厳格な父から言われたことに対し、私はひたすらその道を歩まなくてはならないと必死でした。
反発した妹は高校を卒業して家を出てしまい、まじめだった弟は高校の時にバイク事故で九死に一生を得て、その後は何にも縛られることなく自由に生きています。そんな私も父に反発するようになり、結局教師にはなりませんでした。
正直言って息子が不登校になった時、私はパニックになってしまいました。学校に行けないと言う息子の気持ちが全くわからなかったんです。だけど子どもの立場で考えるということを知った時、初めて「学校って辛いよね」と理解することができました。毎日いつも一緒の顔ぶれで、何時間も同じ場所にいて、ワクに嵌らなければならない学校というところは、ある意味で鈍感にならなければやっていけないんだとわかったんです。
主人は鬱、息子は少し過敏。DNA的にも繊細なのかなぁ、そんなに辛いならもう学校は行かなくていいかなと思えるようになりました。

――よかったですね、息子さんに救われた感じですね!ご自身は、どんなお子さんでしたか?

小金沢一実さん:大学の頃までずっと、“尊敬する人、父”と言っていました。

――えっ?

小金沢一実さん:父の授業を受けた同級生から、あなたのお父さんがいたから自分は社会科が好きになったとか、何人もの人がいい先生だったと言っていました。校長になってからも、用務員のおじさんに間違えられるほど、朝一番に学校に行って草刈り、庭の手入れ、掃除をするような働き者でした。“無償の愛”を他人に与える人です。

――家庭では?

小金沢一実さん:真逆でしたね、厳しい人でした。

――お父さんが厳しかったのはストレスですか、躾ですかね?

小金沢一実さん:まず自分は正しいということです。自分に反論することを許容できない。だから私たち兄弟3人とも、社会科が嫌いになりました(二人大笑)。私は父を尊敬しつつも、反発していました。

――いつ頃から反発を?

小金沢一実さん:中学生の時、私の目の前で母を叱っているのを見てからです。そんな父なので母はたいへんだったと思います。だから、母が脳腫瘍になったのは父に原因があると疑ったりしたこともあります。

――その後、お父さんは変わられましたか?

小金沢一実さん:だいぶ変わりましたね。母が身障者になってから、ずっと父が母を看護しています。罪滅ぼしなのか、入院中はほとんど一日中ずっと病院にいて、看護師さんから褒められるほどの献身ぶりで、病室の床掃除までやっています(笑)。母がまだ歩行できた頃は、二人で日本中を旅していました。

ご両親

――お父さんと昔のことを話すことはありますか?

小金沢一実さん:父とケンカした時に「お父さんがこう育てたから私はこうなんだ」と、父のせいにしてきました。一番言ってはいけないことですよね。結局、タイプが似ているのでそうなってしまうんですが、父も高齢になってきたので、最近はケンカしないようにだいぶ気をつけています。

――お互い素直になれない(笑)。

小金沢一実さん:そうなんですよね。

――前のご主人とはどうなんですか?

小金沢一実さん:前夫とは、今は友だちみたいな付き合いをしています。

――鬱の状態はどうですか?

小金沢一実さん:離婚調停中に再就職をして、その後4年になりますが仕事を続けています。家事もやって母親の世話もしてエライな、よく続いているなと思っています。今思うと、前夫の考えの方が正しかったなと思います。あの頃の私は、どうしても離婚しなきゃ、そうしなければ私の人生はない。ただただ感情だけで突き進んでいました。
大人の男ってこういうものじゃない、こういう男を息子に見せたくない。モデルにしてほしくなかった。息子はお父さんの背中ではなく、私の背中を見て育てばいい。凄い独りよがりで自分勝手でしたね。

私、さみしかったんだと思います。でも最近になって、時が解決するってあるんだなあってしみじみ思うことがあります。今は、前夫と息子と一緒に住んでもいいかなとか思ったりもします。

――以前は私も、二者択一で“いいか悪いか、白か黒か”という考え方が強かったんですが、世の中はもっと多様な選択肢があるし、はっきりさせることは自分にとっては都合が良くても、摩擦や対立を生み増幅させる要因になると思えるようになりました。生涯、学びですね(笑)。

小金沢一実さん:不思議なもので、もしかして息子の不登校は、私にとって前夫が最良のパートナーだと教えてくれているのかなと、ある日閃いたんです。ホント空から降って来たように。
それを前夫にメールで伝えましたが、真意は伝わらなかったようです(苦笑)。

――そうでしたか・・・。

小金沢一実さん:息子に話したら、「やっとわかったかお母さん」みたいな調子でした(笑)。息子はわかっているんですよね。やさしいので言わないだけで、私より大人だなと思います。

――息子さんは全てをわかっているでしょうね。

小金沢一実さん:そうそうホントそうなんです。だからあまり心配していません。

――全然、大丈夫です。ところで『レンタルこがねざわ』ってなんですか、ご自身をレンタルするということ?もしかして、人のお世話が好きなんですか?

小金沢一実さん:根っからの世話好きです!何とかして悩んでいる人や困っている人を助けたいと思っています。できれば託児も100%受けてあげたいんです。

――素晴らしいですね!ところでご自身が育児をされていた頃と、最近の育児との違いを感じることってありますか?

小金沢一実さん:ご主人に対する想いや不満はあまり変わっていないのかもしれませんが、情報過多という点が一番違うと思います。今は知りたいことをネットですぐに知ることができますが、その情報に翻弄されて一喜一憂してしまうお母さんが多いですね。他の子どもと比べる材料をつくってしまうので疲れているのではないでしょうか。
だから、この“ひろば”のようにお母さんたちの集まる場は貴重です。今は公園デビューという言葉もなくなり、こういう“ひろば”に来てお友だちをつくる人が多いんです。ホントたいへんだと思いますよ、お母さんたち。

「保育サポーターはちっ子」が運営する広場の様子

「保育サポーターはちっ子」が運営する広場の様子

――子育てが一段落したお母さんたちの中には、また仕事をしたいという人も多いようですね。日本は女性が活躍する社会へ向かおうとしていますが、男性と競争して活躍しなくてはならない場面が多く、活躍している女性は段々“オトコ顔”になっていくように思えてなりません。女性が“女性性を発揮できる社会”にするためには何が必要だと思いますか?

小金沢一実さん:私自身は、社会や家庭全てにおいて、男性と女性は役割分担でいいと思っています。基本的に“女は家庭”と私は思っています。今の世の中ちょっと女性が強過ぎるので、女性は男性を立て、「生活できるのはお父さんのおかげ」と、昔ながらの日本の家庭のカタチに戻していく方が男性も女性も“らしさ”を発揮できると思うし、その方がずっと家庭や社会は心の余裕と豊かさを取り戻せると思います。私のようなひとり親はもちろん頑張って働かないといけませんが、母親と父親両方やらなくちゃ、と頑張り過ぎなくてもいいと気がつきました。
そして国には、小さい子のお父さんは強制的に早く家に帰すよう法律で縛るくらいやってほしいです。そうしたら絶対に社会は良くなっていくと思います。

最近、テーマを『CO AKINAI』に変えました。『CO AKINAI』は“女性を笑顔に”するためのサポートです。お母さんたちが家族を大切にし、好きなことをして生き生き仕事ができるようサポートしていきます。女性が笑顔になれれば、きっと世界は平和になります!

――平和の原点は、お母さんの笑顔。いいですね!今日はプライベートなお話しを語っていただき、本当にありがとうございました。

いつも心の中に、“ぴーん”と張りつめた何かをもっている方なんだろうなあ。お会いする前から、私は小金沢さんに対してそういう印象をもっていました。

インタビューをしていると何故かどんどんプライベートの話になってしまい、ついついご夫婦のこと、息子さんのこと、ご両親のことをお聞きしていました。あまり私は他の人のプライベートに関心はなく立ち入ることなどないのですが、何故こんなことまで聞いているのかと不思議な感じでした。
本質的に、私は何を知りたいと思って質問をしていたのか、インタビューを終え原稿を書いている間もずっと考えていました。

わかってきたことは、一人の女性の人生の変遷を思い浮かべながらインタビューをしていたのかも知れないということでした。気丈に生きてきた女性が悩み、葛藤し、後悔を繰り返しながらも、時間とともに氷が解けていくように穏やかな心が現れて、忘れていた大切なことを思い出していく生きざまに関心をもっていたのだと思います。

ご自分のことはさておき、お母さんたちに笑顔になってほしい。
そう願って生きる小金沢一実さんは、凛として慈しみ深い人でした。

■小金沢一実さんのプロフィール

東京都八王子市出身在住
2006年保育サポーターはちっ子設立、2012年一般社団法人化。2012年ハニカムステージ開業。
2016年離婚、男児の母。

一般社団法人保育サポーターはちっ子HP
ハニカムステージHP