Tag: 起業
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【いのちが輝くQ&A】 Q5.どうしたら起業できますか?
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A5.誰でもできます。1円から起業できます。肝心なことは何をしたいのか?を明確にすることです。あなたにしかできないことは、それを実行することです。実行することで事業を立ち上げ、軌道に乗せ、持続可能なものにする。それはあなた以外にできないことです。 起業することは目的ではなく、手段の一つに過ぎないので。 社会企業家 昆野
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白倉 正子さんへのリレーインタビュー
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クリーンクリエイターズラボ代表 栢森 聡さんからのリレーインタビューは、アントイレプランナー代表 白倉正子さんです。 白倉さんは、知る人ぞ知る、泣く子も黙る 女性トイレ専門家です。 アントイレプランナーとは、ご自身が22歳で生み出した造語。それを今も、自分の仕事を一言で言い表す職業名として使われています。つまり職業そのものを創ってしまったわけです。それって凄いことですね! 「トイレを変えれば、人・地域・経済・人権・環境が変わるはず!」トイレから地球革命という理念。 「トイレの専門店をつくり、世界のトイレ問題を解決すること」それが、白倉さんの夢、そして目標です。 「こんなに分かりやすい人は、いないでしょ?」と白倉さんは言いますが、お話をお聴きすればするほど、トイレ話が壮大で崇高なものに感じられるので不思議でたまりません。 今回はオンラインでしたが、プレゼン資料によるご説明があまりにも面白かったので、そのまま動画でご覧いただくことにしました。 どうぞご期待ください!(聞き手:昆野) ――アントイレプランナーって、凄い名称ですね? 白倉 正子さん: 起業家を意味するアントレプレナーとトイレとプランナーで、新しいトイレのビジネスを創る人という意味です。ここまでどっぷりとトイレに浸かっている人は、世界的にもあまりいないので、よく奇人変人扱いされています(早くも二人爆笑)! ――トイレにこれだけハマったきっかけは何だったんですか? 白倉 正子さん:そうですね、それではプレゼン資料でご説明した方がいいですね。 そう言って白倉さんは、数日前に長崎で講演された時の資料を画面共有し説明を始めました。 開始早々、凄いタイトルが出てきました。私の人生は果てしなく楽しい「トイレにハマった私」(爆笑)。 立て続けに「3大」疑問です。 私はこのインタビュー記事の原稿を書きながら、このインタビューを文字だけで伝えるのはあまりにももったいないと考え、リレーインタビュー史上初めて動画を組み込んでご覧いただくことにしました。 まずは、この動画をご覧ください。なお一部、画像処理をしていますので予めご了承ください。 いかがでしたか、みなさん(ニヤニヤ)? さて、気を取り戻して・・・。 ――ご説明をお聴きして最初に私が感じたことは、アイディアが凄いなということです。すべてトイレに関連付けて発想し続けているところに、痺れますね。 白倉 正子さん:そうですね。私の価値基準は、すべて「トイレの仕事を成功させるために、何をすればいいか?」なので悩みは減りました。 ――トイレが好きという感覚が私にはなかなか分かりませんが(笑)、ビジネスの目的がはっきりしているので、軸がしっかりしていて”そもそも”という原点に立ち返れるのだと思います。トイレの何にハマったんでしょうね? 白倉 正子さん:世界中を見渡すとトイレは大きな社会問題になっています。たいへん大きな問題であるにも関わらず、課題は多岐に渡るので、私はそれぞれの問題に対応する研究や事業が必要であると考えます。 そういう素朴な疑問や視点は、社会を動かす原動力になります。トイレ研究を貫いている私自身の存在価値は、何らかの意味があると思いたいものです。そんなわけでハマっちゃいました(笑)。 ――トイレが好きというよりも、世界のトイレ事情に対する使命感が溢れ出ている感じですね。 白倉 正子さん:切り口がいっぱいありますね。ある時は「トイレ掃除」だったり、ある時は「ユニバーサルデザイン」、ある時は「観光対策」「し尿処理」という感じなので、私にとっては膨大に広いテーマです。人生80年だとしても研究する時間がまったく足りないので、天国でも続けることになると思います(二人大笑)。 ちなみに、トイレというキーワードで仕事をしていると、いろいろな方と出会うことができます。例えば建築家から行政マン・主婦・外国人・芸能人まで…。トイレがきれいになることを嫌がる人は一人もいないので、人の役に立っているという手ごたえは、100%あります。嫌われたり対立したり、敵をつくることもないという面白みも、トイレの仕事にはありますね。 ――敵をつくることがないか・・・、国境線にきれいなトイレを並べたらいいかもしれませんね。国連が国境トイレをつくって運営したら、国連の株が少し上がるかもしれません・・・。トイレが好きというよりも、きれいになることで清々しくなり誰かの役に立っている悦びを感じるということですね。 白倉 正子さん:例えば、先ほどお見せした資料の赤枠で囲んだ部分(下図)のように、 世の中が抱えるトイレの課題として、震災時のトイレ対策、障がい者の方のトイレ事情、そして世界のトイレの悲惨さへの対応…があります。 阪神淡路大震災や東日本大震災のような非常時には、急にトイレが使えなくなってしまいました。つまり日常の豊かな生活から突然、原始時代の生活に一変してしまうのです。すると、あちこちに屋外排泄をすることになってしまい、感染症につながったり、飲食を控える人がエコノミー症候群になったり、女性がレイプされてしまう事件が起きたりしました。 障がい者の方に関しては、外出しようと思っても街の中に障がい者用トイレが少ない場合、買い物も安心してできない上に、仕事に就くこともできない人さえいます。半径500m以内にトイレがないと、みなさん不安でしょうがない状態になりますからね。人生設計に深い関係性がトイレにはあるのに、多くの人は気づいていません。 世界のトイレ事情の悲惨さについては、世界中で子どもが毎日800人も死んでいるということをご存じでしょうか?さらに23億人が屋外で排泄しているという実態があります。 日本では温水洗浄トイレが当たり前になっているのに、この落差に大きなショックを受けました。 こんな人権的に基本的なことができない社会に、学生時代、怒りを覚えました。 ――ご自身の中でトイレに対する問題意識が高まり続けているんですね。 白倉 正子さん: 高めているという面もありますね。こういうトイレ問題が意識されにくかった背景の一つに「トイレ問題の伝道師がいなかった」ことがあるのでしょう。いたとしても活動を十分に評価されていなかったと言えます。なんせ、トイレ問題は地味なので(大笑)。 とは言っても、トイレの話は、みんな大好きですよ。 例えば、小さな居酒屋に行った際に、同行した友人が店長に「この白倉さんって人は、世にも珍しいトイレ専門家なのよ」なんて伝えようものなら、他のテーブルのお客さんまで、トイレの話が伝播してしまい、気がつけば店中がトイレの話で盛り上がってしまうこともありました。そして、その場で他のテーブルのお客さんにトイレのエピソードを聞かされたり、相談をされたこともあります。つまり、トイレの話は、普段堂々と話しにくい分、一度フタを空けてしまうと、みんな堰を切ったように話したがりますね(二人大笑)。 ――分かるような気がするなあ。 白倉 正子さん:ほとんどの人が、なんらかのトイレネタをもっているので、喋りたくてしょうがなくなるんですよ(大笑)。 例えば、中高年のおじさんが尿漏れの暴露をし始めたり、そうかと思えば、急にトイレ関連の法律の話をしなければならなかったりと、一気に国会答弁のような話になったりします。 そういうウンチクとか疑問とか想いとかを聞いているうちに「これ使えるな!」って思える情報に巡り合うこともあって、すかさず心にメモしておいて、いつか商品開発に生かそうと思ったりします。私はこれを「トイレマーケティング」と呼んでいます。ナマ情報は貴重ですからね。…
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栢森 聡さんへのリレーインタビュー
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東京輸出株式会社代表の坂本貴男さんからのリレーインタビューは、クリーンクリエイターズラボ代表の栢森 聡さんです。 「科学のちからで。科学の視点で」栢森さんとの会話には、科学やサイエンスという言葉がとても多く登場します。イメージキャラクターは白衣姿で、ロゴマークはフラスコです。 お堅い方なんだろうな?そんな先入観を抱きながら、オンラインでのインタビューが始まりました。 話し始めると、顔は穏やかで声は柔和、話し方も優しいので、少しびっくりしました。そして、とっても聞き上手なので、いつのまにか私ばかりが話しているという逆転現象が起きていることに気づき、慌てて話題を軌道に戻したりしていました(笑)。 「ああ、それはサイエンスのロマンに触れたということですね」栢森さんとお話ししていると、こんな言葉が返ってきます。 普段私たちがあまり意識することのない科学の世界に、いつも栢森さんは立っていて、科学の世界から私たちを見守ってくれているような気がしてきます。(聞き手:昆野) ――HPを拝見すると、白衣を着た研究者が現れますね。栢森さんのイメージキャラクターですか? 栢森 聡さん: そうです。私が執筆をしている、清掃の業界誌のデザイナーが私のアバターキャラクターを描いてくれました。とっても気に入っていて、いつも一緒に記事やセミナーに登場して、和ませてくれます(笑)。 ――HP全体に、いい雰囲気を醸し出していますね。2年程前に独立をされて、クリーンクリエイターズラボを立ち上げられていますが、その前はずっと研究・開発の仕事をされていたんですか? 栢森 聡さん:20年ほど勤めた会社ではずっと研究・開発をしていましたが、次に入った外資系の会社ではマーケティングも兼務していました。企業における研究者歴は35年になります。 ――マーケティングですか・・・?私の周りにもナノテクの研究者や大学教授がいますが、研究者にとってマーケティングは別世界のようですが(笑)。 栢森 聡さん:経済学者のフィリップ・コトラーに傾倒して、飛び込んでしまいました。ずっと研究ばかりしていたので、まったく違うことをしたかったんです。でも、英語には苦労しました(笑)。 ――結構、勇気が要りましたね! 栢森 聡さん:そうですね、でも転職してみて良かったと思っています。自分が研究・開発をした商品が、世の中でどのように役立っているのか知りたかったんです。ずっとモヤモヤしていましたから(笑)。その頃息子たちが小学生だったので、「オヤジが研究してつくっているものが、このように社会に役立っているんだ」と見せることができたらいいな。そんなことを考えながら、飛び出しました。 ――独立されたのは何年ですか? 栢森 聡さん:2020年です。その半年前に外資系の会社を定年退職したので、もう一度チャレンジしたいと思い独立しました! ――研究者というのは慎重な人が多そうですが、栢森さんは結構やっちゃいますね(笑)。独立される時、奥さんは賛成されましたか? 栢森 聡さん:独立した時は後押しをしてくれましたが、その後しばらくはネガティブになり、不安は尽きなかったようです。開業日が関東で新型コロナウイルスの緊急事態宣言発令の日でしたので、先行きに不安を感じたのは当然ですね。昆野さんが独立される時、奥さんはどうでしたか? ――私は会社を辞めて起業することは伝えましたが、それ以外は伝えなかったのでしばらくは平穏に過ごしていました(大笑)。私自身は、何が起きるのかを楽しみにしながら生きているので大丈夫なんですが、妻は真逆ですからね(笑)。起業して1年後に、先ほどお話ししたナノテクの研究者と出会いました。生涯、研究だけをしていたいというベンチャーの創業者と社員でした。ご縁があって、その研究・開発ベンチャーの事業化のコンサルティングをすることになり、次世代太陽電池と言われていた有機太陽電池の事業化に取り組みました。 栢森 聡さん:その分野に精通されているんですか? ――まったく知りません。目的は事業化ですから、事業化の道筋を描いて見通しを立てられるようにするとこが肝心なことです。いろいろやりましたね、楽しかったです(笑)!何だか私ばかりがしゃべっているような気がしますね。栢森さんは聞き上手ですね(二人大笑)! 栢森 聡さん:興味深い人生だなあと思って聞き入っていました。 ――数年前に「人生、夢だらけ」という、のんちゃんのポスターがありましたが、そんな感じで生きていればいいんじゃないかと思います(笑)。ところで独立された理由を拝見すると、「企業への貢献を終え、次は広く社会へ直接貢献したいとの想いから、2020年4月に本事業を開業しました」とあります。 栢森 聡さん:メーカーにいながら開発をしていると、自社の商品を売り込むことになりますが、他社商品の良いところも含め、お客様にとって最適なものは何かという、言わばメーカーの立ち位置から離れた視点でお話ができる立場になりたいと思いました。 ――コンサルタントは、中立性が第一義ですからね。HPは開業時に制作されたんですか? 栢森 聡さん:いえ、開業してから完成するまで1年以上掛かりました。 ――しっかりした内容で、コンセプトや考えなど伝えたいことが明確ですね。 栢森 聡さん:ありがとうございます。自分一人でつくろうと思ったら、ここまで洗練した内容を発信することはできなかったと思います。 ――「科学のちからで暮らしにキレイを!」というメッセージも、かなり揉まないと出てこないでしょうね。 栢森 聡さん:経営理念を大切にし、CSRを考えながら事業計画を作成してビジネスコンテストで発表しました。何度も内容を揉んで揉まれてやっと、やりたいことをコンセプトとして明確に打ち出すことができました。 ――科学に根ざして、すべてが展開されています。「科学的視点に立って基礎理論から解説し提案する。その繰り返しによって清掃に携わる人の専門性が高まり、清掃業者の価値が高まる。そこに貢献できることが至上の喜び」だと言われています。言葉が研ぎ澄まされていますね。 栢森 聡さん:おかげさまで開業以来、ずっとその視点でビジネスを続けることができていると思います。お客様から信頼される原点は、科学の力でお客様の先のお客様であるエンドユーザーに対して、どのように分かりやすく説明できるか。その一点に尽きると思っています。とてもありがたいことですが、お客様から高く評価していただいているのではないかと思っています。 ――エンドユーザーの目の前で実際の商品を使って見せることで、かなり説得力が増すでしょうね。 栢森 聡さん:コロナ対策セミナーなどをやっていますが、対面でやって見せるとみなさん良く理解をしてくれます。オンラインセミナーでも写真を多用し、ビフォー・アフターを比べて示すことで理解が深まります。さらにウィルスってどういうものか、細菌とは違うのか。カビはどっちなんだとか、いろんな話に発展していきます。 ――ウィルスは生物ではないようですね。 栢森 聡さん:そうですね。ウィルス自体では生き続けられない、動物の細胞に寄生しないと生きていけません。 ――素人のイメージでは、生きているから変異するという印象をもちますが。 栢森…
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坂本貴男さんへのリレーインタビュー
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たまナビ・アカデミー代表の玉那覇 仁さんからのリレーインタビューは、東京輸出株式会社代表の坂本貴男さんです。 何となく掴みどころのない人だな・・・。お会いする前のメールのやり取りでそう感じていた私が、「おや?」と思った瞬間がありました。それは、私がメールで3.11について触れた時でした。そのメールに対する坂本さんのコメントが、とても慎み深いものに変わったような気がしたからです。 何故なんだろう?生真面目さを感じさせるその文言は、何かを背負って生きているようにも伝わってきます。何が坂本さんをそうさせているのだろう。 そんなことを考えながら、インタビュー当日私はアタマの中が空っぽの状態で坂本さんのオフィスを訪ねました。するとインタビュー開始直後から、私はビジネスについて立て続けに質問していました。それに対して坂本さんが次から次へと即答されるという異例のインタビューになっていきました。(聞き手:昆野) ――盛岡のご出身なんですね?3.11の時は東京におられたんですか? 坂本貴男さん:東京にいました。すぐに帰郷したかったんですが、なかなか難しい状況でした。実家に被害はなかったのですが、実家の家業である酒屋の取引先などが、大きな被害に遭われました。 ――そうでしたか。坂本さんはどんな仕事をされているんですか? 坂本貴男さん:物販を中心としたコンサルタントをしています。 ――コロナの影響はありましたか? 坂本貴男さん: ありましたねー。セミナーができなくなったり、クライアントである生徒さんが個別指導の場に来られなくなったりして、仕事量はかなり減ってしまいました。 ――苦しい中で、どのようなことに創意工夫をされたんですか? 坂本貴男さん:やはりオンラインでの効果的なセミナーや個別指導の方法を考えたり、記事を書いてネットで発信することに力を入れ始めました。 ――起業はいつ頃、何をきっかけにされたんですか? 坂本貴男さん:2007年です。きっかけは、前の会社の顧客の多くが、そのまま継続して私の顧客になることを確信できたからです。 ――前の会社の顧客を、ですか? 坂本貴男さん: そうです。自分で直接、当時の顧客に声を掛けてみて、取引が継続できなければ起業を断念するつもりでしたが、60名程の顧客が手を挙げてくれたので決心しました。実は、前職はPCのサポートをする会社にいましたが、経営が厳しくなると経営者はまったくやる気のない状態になりました。事業規模を縮小したり、私自身も社員から非正規社員にされてしまいました。こんな状態であれば、顧客のすべてを引き受けて独立しようと思ったんです。そして結果的に、前の会社の顧客を私が引っ張ってきたようなカタチになりました。 ――そうすると起業した時点から、ビジネスが成り立っていたんですね。 坂本貴男さん:起業して成功する人は、起業時に顧客がいない人はいません。定期的におカネを払ってくれる人を確保した上で、起業している人が多いです。それを身近に見てきたので、60名集まればいけるなと思い起業を決意しました。 ――当時の顧客とは今も取引があるんですか? 坂本貴男さん:だいぶ減って12名程になりました。亡くなった方もおられるし、引越しされた方もいます。でも、例えばこのオフィスなども、当時からお付き合いのある方とのご縁でお借りしているので、ご縁を大切にしています。 ――コロナの影響で何が一番きつかったですか? 坂本貴男さん:やはり生徒の方々がやめていったことですね。特に年配の方は外出できなくなったり、会社員の方は“習い事禁止令”が出てやめざるを得なくなった人もいます。 ――“習い事禁止令”ですか・・・。私は長いこと会社勤めから離れているので、そんなことが起きているとは思ってもいませんでしたが、確かにテレワークが増えている状況では、企業側の考え方もわからないではないですね。一方で、社員の副業を認める企業は増えていますか? 坂本貴男さん:間違いなく増えていますね。私の生徒さんにも、副業でハンドメイドの販売などを展開し始めた方もおられます。 ――副業の増加は、企業が社員の雇用や給与をしっかりと維持した上でのものか、それとも社員が給与以外の収入を得ることで早期退職を促したり減給をしたいがためなのか、どちらの考えによるものですか? 坂本貴男さん:間違いなく後者ですね。テレワークで会社には来なくていいと言われた社員の中には、その分の給与を減額されるのではないかと心配されている人も多いですね。 ――生徒さんの年齢層はどれくらいですか? 坂本貴男さん:40代~50代の方が多いです。長年会社勤めをしてきて、これからどうしようという人が多いです。 ――そういう人、増えたでしょうね。 坂本貴男さん:増えましたね。 ――増えているけど、今坂本さんの仕事は厳しい。今後は仕事が増える見込みはありますか? 坂本貴男さん:見込みはあります。副業もそうですが、作家として自分の趣味である雑貨やお花などを世に広めたい人が多くいます。しかし、どうやってネットで集客したらいいのかわからない人も多いんです。今までは近所の人に買ってもらっていたが、どのようにすれば広く知ってもらうことができるのか。HPをつくってはみたものの、この後どうしたらいいのかわからないという人も多いですね。また、旦那さんの給料が減って心配になってきたとか、アルバイトをしながらさらに趣味を広げたいという主婦もおられます。独立や自立の道へ進もうとしている人が増えていますね。 ――女性が多そうですね? 坂本貴男さん:女性経営者や主婦で独立したい人が多いですね。しかしそういう人たちは、あぶない講師に捕まることが多いんですよ。 ――あぶない講師?なるほど(笑)!半年間のオンライン・コーチングに30万円以上も払って受講したけど、しっくりこなかった人も結構いるようですね。 坂本貴男さん:50万円、100万円も多いようですよ。 ――不安の解消や、何をどうすればいいのかよくわからなくて受講している人も多いようですね。本来、独立や起業をした人は、自分のビジネスを軌道に乗せるための具体策を知りたいはずですが、そこが最も難しくてしんどいところですよね。結局、試行錯誤の繰り返しの中から見つかるものです。何に気をつけておられますか? 坂本貴男さん:継続できるかどうか、それが一番大切です。YouTubeなどで「これをやると稼げる!」というのがありますが、1回は稼げるかもしれないが生活を続けていけるか?そうはならない。上手くいっている人は、自分が売っている商品・サービスが大好きだということ。好きだからこそ継続できる、苦とは思わない。創意工夫をして楽しんでいます。取りあえず稼ぎたいという人は難しいですね。スクールやセミナーなどに頼り過ぎて、結局高いおカネを払ってしまうが上手くいかない。オンラインになって、そういう”一発屋”のためのスクールが増えているので、あぶないですね。だから私は最初の面談の時に、そういうことを丁寧に説明します。 ――不安や迷いを抱え、生活の大部分を不安の解消に費やしている人が多いですね。講義は個別に実施されるんですか? 坂本貴男さん:そうです。まず1回1時間で月3回実施して、継続するかどうか判断してもらう。 ――対面が多いですか? 坂本貴男さん:対面で個別が多いですね。個別がいいのは、先生との相性がわかることです。グループ講義の場合は自分と他の人を比べたり比べられたりするので、前回よりも自分が上達していないと落ち込んでしまう人もいます。個別であれば、その人のレベルに合わせて調整ができます。 ――人と比べてしまいますか? 坂本貴男さん:同じような仕事の人と被ったりすることもあるので。 ――オンラインと対面の効果の違いは何ですか? 坂本貴男さん:Zoomの場合、その日のテーマがはっきりしている場合は効果があります。はっきりしていない場合は、対面の方がいいですね。生徒さんが、何かに迷っている時は対面にしています。まずは対面で信頼関係を醸成しながら、オンラインに移行するようにしています。 ――例えば、ハンドメイドのものをネットで販売したい場合、情報発信のポイントは何ですか? 坂本貴男さん:売りたいものが決まっている場合は、同じような作品を先行して販売しているサイトを参考に見てみます。楽天などに出店している店と比べて何が違うかを見る。売り方や説明内容、写真の撮り方などを参考にすると違いがよくわかります。上手くいきます!どの生徒さんにも、参考になる人を見つけましょうとアドバイスをしています。 ――生徒さんの中には、独自性の高い、秀逸な作品をつくっている人もいるのではないですか? 坂本貴男さん:来年スペインで出店する人や、横浜赤レンガの展示会に出展する人もいます。生徒さんそれぞれの人間関係や、これまでどんな仕事をしてきたかを踏まえながら、その人に合った営業方法をアドバイスしています。 ――専業主婦の方が、自分でカタチにしたものが認められおカネになる。こりゃ楽しいでしょうね(二人笑)! 坂本貴男さん:みなさん目が輝いていますね(笑)!これまで、良いものをつくっていても、売り方がわからなかった方が多いですね。売れるためには、以下のような3つのポイントがあります。…
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小杉駿介さんへのリレーインタビュー
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株式会社MSAグローバルマネージメント代表 平川正城さんからのリレーインタビューは、株式会社エリアプロジェクト代表の小杉駿介さんです。今回も新型コロナウィルスの影響のため、オンラインによるリレーインタビューとなりました。 小杉さんは、20代で起業された若き起業家です。ただオンラインで受ける印象は、どちらかというと”おっとり”とした感じで、若い起業家にありがちな脂ぎった貪欲さは微塵も感じられません。さらにご自分のことを、何のこだわりもなく「イエスマン」と言います。 そんな小杉さんの会社には、何故か人が集まって来ます。夢を持った人、格闘家を志す若者、高校の同級生、有資格者、さらに2人のお兄さんと弟さんが働いています。 「イエスマン」の本質は何なのか?小杉さん自身が気づいているかどうかわかりませんが、人の魅力について考えさせられる予測不能なお話しが続いていきます。(聞き手:昆野) ――何をきっかけに起業されたんですか? 小杉駿介さん:地震です。 ―3.11ですか? 小杉駿介さん:いえ、その後の2015年5月の小笠原諸島の地震が直接のきっかけです。 ――2015年、私は憶えていないですね。被害は大きかったんですか? 小杉駿介さん:小笠原諸島西方沖地震という地震で、マグニチュードは8.1で大きかったんですが、震源の深さが約680kmだったのであまり影響はありませんでした。ただ、観測史上初めて47都道府県で震度1以上が観測されたかなり大きな地震でした。 ――なぜそれが起業のきっかけになったんですか? 小杉駿介さん:小笠原諸島の地震が起きた時、実家にいた祖父が『玄関を開けろ!』と叫んでいたのを目の当たりにし、一番安心できるはずの我が家にいるのになぜ不安になるのかと思ったんです。どうにかしないといけないと、使命感を感じたのがきっかけです。 その地震があった時も3.11の時も、私はアート引越センターで働いていて、引越しのオプションで家具の耐震サービスを対応していました。その仕事をしながら、建物は新たな耐震基準によって地震の揺れにも強くなっているが、家の中の耐震のニーズは山のようにあると思っていました。建物に被害がなくても家具が倒れて下敷きになってしまったり、家具に塞がれて屋外に避難できなくなったり、よく考えてみると家具によるリスクはとても大きいんです。 ――株式会社エリアプロジェクトという一風変わった名前ですが、どんな会社ですか? 小杉駿介さん:まずは地域に根ざした、地域で頼りにされる会社でありたいと思っています。これまで私自身が引越し屋、居酒屋、電気工事などで学んだ経験を生かして、地域に根ざした仕事をしていきたいと考え、2016年6月に家具の耐震サービス専門店として起業しました。 私は、家具耐震が絶対に必要とされるものだと考えていたので、かなりの勢いで広告宣伝をやってみたんですが、ほとんどの人は家具耐震におカネを払うという意識はないことがわかってきました。引越しのついでにやることはあっても、家具耐震のみを頼もうという気にはならないようです。なかなか注文は増えなかったんですが、イベントやお客様と触れ合うと地震に不安を感じている方がとても多く、この事業は絶対必要だと思いました。そこで、しばらくはハウスクリーニングで稼いで、家具耐震事業を継続させたいと考えました。その後、ハウスクリーニングからリフォームへ広がり、今は内装工事全般の仕事をさせていただいています。また、これらは不動産の仕事が窓口になるので、昨年4月から不動産事業をはじめ、8月には物件提案型サービス「不動産デリバリー」を始めました。 ――なるほど。とにかく地域の役に立ちたいという想いは伝わってきますね(笑)。しかし器用ですね! 小杉駿介さん:「イエスマン」なんです。頼まれると「何とかしてみます」と言って、何でも引き受けてやってきました。20代の若さ故にできたことだと思っています。 ――自分でイエスマンと名乗る人と、私は初めて出会いました(大笑)。でも地元に根ざすことを最優先に考えると、ワンストップサービスのように「小杉さんとこに頼めば何とかしてくれる」という、根拠のない安心感が生まれるかもしれませんね。ところで、コロナの影響はどうですか? 小杉駿介さん:建築業界は概ね1~2割減で何とかやっています。ですからダメージの大きい業界を応援しようと思い、”横浜応援キャンペーン”に参加して、飲食店や団体に「マスクケース」を無償で提供したりしています。早く街が元気になってほしい、そういう想いで取り組んでいます。 ――いいですね!やっぱりこの世はお互いさまで行かなくちゃダメですよね。3.11の時もそうでしたが、助けてもらった人はその後の人生を「ありがたみ」を抱いて生きていると思うし、困っている人がいたら何とかしたいと行動を起こすと思うんです。そういうポジティブな連鎖を大切にしたいですね。家具耐震の話しに戻りますが、引越し屋での家具耐震は引越しのオプションでしたか? 小杉駿介さん:そうです。引越しした先の現場で、耐震マットを敷くだけです。本来は壁と家具を金具で止めるなど、個別に万全の対策が必要になるんですが、引越し屋はそこまで対応しません。だから潜在的なニーズがあるんです。 ――オフィスなどのニーズはどうですか? 小杉駿介さん:企業向けは、耐震マットを製造しているメーカーなどが参入しています。ですから、当社としては一般家庭に広げていきたいと思っています。 ――やはり、家具耐震専門にこだわりますか? 小杉駿介さん:そうですね。実際にどこに相談していいのかわからない人も多いし、今後首都圏で地震が起きたら対策を考える人が急増すると思うんですよね。ただ、専門といっても特別な資格がある訳ではないので、資格をつくりたいと思っています 。例えば、引越し屋が家具耐震の資格をもつことで、広めてもらうこともできるのではないかと思っています。 ――面白いですね!ただ資格の制度化は、民間企業の立場では難しいのではないですか? 小杉駿介さん:そうですね。一般社団法人を立ち上げて、大学の教授などに相談しながらつくり上げようかと思っています。5年ほど前のデータでは、横浜市内の住宅の家具固定率は2~3割で、地震が怖いと答えた人は9割以上いました。何故こんなにギャップがあるのかなと考えた時に、相談できる専門店がないからだと思ったんです。今でもそのギャップはあまり変わっていないと思うので、専門店・専門家の必要性は高まっていくと考えています。 ――貴社の事業で、今一番稼いでいるのはどの事業ですか? 小杉駿介さん:リフォームですね。不動産屋やオーナーがお客さんになります。 ――リフォームは、結構競争が激しいんじゃないですか? 小杉駿介さん:同業者は多いんですが、仕上がりに差があるようです。リフォームの同業者には熟練の職人さんが多くいますが、お客さんはこだわりが強い職人さんには気軽に相談しにくいようです。その点私は若輩者なので、気軽に言いやすいでしょうし、さらにイエスマンなので頼まれると何でも「いいですよ」と言ってしまうので、特に年配の管理会社の方には可愛がってもらっています(笑)。すべて自社施工でクリーニングまでできるので、管理会社からみても使い勝手が良く丸ごと任せてもらっています。一方で、うちは大手の工事店もしているので、指定工事店として継続的に仕事を受けられるようになっています。 ――今、社員は何名ですか? 小杉駿介さん:社員が13名でパートが2名です。 ――年々人が増えてきたんですか? 小杉駿介さん:何故かどんどん集まってきました。大丈夫かなと思っています(二人大笑)。 ――2016年6月に起業されて、リフォームを開始したのはいつ頃ですか? 小杉駿介さん:翌年2017年の2月頃ですね。 ――なかなか見極めが早いですね(笑)。 小杉駿介さん:起業した時は「みなさん、家具耐震を待ち望んでいるんだろうな」と勝手に思っていたので、自分で貯めたおカネや融資も受けて、新聞広告やフリーペーパーにガンガンおカネを使いました。それが段々尽きてきたので、「やばいな」という感じでハウスクリーニングを始めたんです。 ――起業は一人でして、ハウスクリーニングを始めた時は何人でしたか? 小杉駿介さん:基本一人でしたが、居酒屋のバイトをしていた弟に「ちょっと手伝ってくれ」と巻き込み、私の同級生にも手伝ってもらいました。そのうち空手の師範をしている友だちが、「将来格闘家になりたいと頑張っている生徒を働かせてくれ、ただ試合の日は休ませてほしい」と声を掛けてきたんです。私は夢をもって頑張っている人が好きなので、人を雇うのは初めてでしたが引き受けました。 ――イエスマンの本領発揮ですね(二人笑)。 小杉駿介さん:そうしたら1+1が3にも4にも5にもなってきて、そこから開けてきました。人が入ると、どんどん仕事が増えていくという感じでしたね。びっくりしました。 ――資格や免許が必要な仕事もあるのでは? 小杉駿介さん:不動産をやるための宅地建物取引主任者の資格が必要です。 ――それはどうしたんですか? 小杉駿介さん:偶々出会った不動産屋さんが、「小杉さんの会社で働かせてください」と(笑)。その人は宅建の資格をもっていないけどもその知り合いがもっていて、ちょうど仕事を辞めて何もしていないということだったので、二人を雇ってうちの不動産事業を始めました。運がいいんです(笑)。 ――やはり、これは小杉さんの人柄ですね!自然に人が集まってきますね。人が集まる何かがあるんでしょうね。それが何なのかわからなくても、結果オーライであれば、小杉さんはそのままの小杉さんでいいということなのでしょう。それが、小杉さんらしい生き方ですね。 小杉駿介さん:実は、根っからの人好きなんです(笑)。 ――人も好きだし、地元愛も凄いですね。 小杉駿介さん:そうですね。凄く居心地のいいところなんです。この横浜の都筑(つづき)には悪い人はいません(二人大笑)。 ――地元の子どもたちとの接点はありますか?…
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平川正城さんへのリレーインタビュー
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フットゴルフのジャパンチャンピオン立花友佑さんからのリレーインタビューは、株式会社MSAグローバルマネージメント(マサキスポーツアカデミー)代表の平川正城さんです。 今回も新型コロナウィルスの影響のため、オンラインによるリレーインタビューとなりました。 平川さんは、18歳からプロサッカーのゴールキーパーの選手として活躍され、現在サッカースクールを中心とした事業を展開し、独自のサッカープログラムを軸に多くの子どもたちの育成に携わっておられます。 そんな平川さんは、もしJリーグクラブからオファがなければ幼稚園の先生を目指していたといいます。 実は、根っからの”子ども好き”。 事業のコンセプトや育成の仕方、子どもの意志の尊重など、肝心なことはすべて子ども最優先で考え実践されています。ですから、どんな話をしていても一本筋が通っています。とても、清々しい。 それは、ご自身がプロアスリートの厳しさを経験し、プロアスリートになることの難しさを身に染みてわかっているからだと思います。 「スポーツ選手である前に良き社会人として」 平川さんは、子どもたちにも現役のアスリートにもこう呼びかけています。プロ選手になれるのは、ごく僅かの人のみ。 そしてプロ選手になっても、現実は甘くない。だからこそ、子どもたちには“人間”として成長してほしい。 周囲の人たちから、親しまれ、信頼される人間になることで初めて、アスリートとしてスタートラインに立てると思うし、現役を引退してからのセカンドキャリア(第二の人生)においても、それが原点となって生きてくる。平川さんは、そう考えておられます。 あらためて私は、”子どもが好き” ということがどれほど価値のあることなのかを気づかされたような気がします。 (聞き手:昆野) Jリーグ 湘南ベルマーレ時代 ――何歳までプレーをされていたんですか? 平川正城さん:現役生活は29歳までやらせてもらいました。 ――29歳で引退?少し早くないですか? 平川正城さん: そうですね。本来、ゴールキーパーはフィールドの選手よりも選手としての寿命が長いですが、これからの自分の生き方を見据えながら、多角的に考えて見極めたという感じです。 ――ゴールキーパーは、いつ頃から始めたんですか? 平川正城さん:小3からですね。 ――早いですね。ゴールキーパーになりたかったんですか? 平川正城さん: 全然そんなことはなかったです。元々は守備の選手であるディフェンスでした。しかし、なかなか試合に出ることはなかったんですよ。そんな時、たまたまゴールキーパーの子がバスケットに転向してしまい、ゴールキーパーをやる人がいなくなりぽっかり空いちゃったんです(笑)。 それで、試合に出ていない選手の中で、一番カラダが大きかったのが私だったので、監督から「お前やれ」の一言で決まっちゃいました。 それが29歳の現役最後まで続いたということです。 ――運命ですね! 平川正城さん:そうですね。あの巡り合わせがなければ、ゴールキーパーどころかサッカーもやめていたかも知れませんからね。 小学校時代 ――運命の巡り合わせって、面白いですね(笑)。 ゴールキーパーというのは、同じフィールドに立っていても他の選手とは視界に入ってくるもの、得られる情報、立場など一人だけまったく違いますね。 その経験は、結構いろいろなところで生きているんじゃないですか? 平川正城さん:ゴールキーパーで培ってきた目線は経営者や起業家にとって重要な目線だと、自分で事業を始めてから強く感じています。 いつも後ろから全体を見て、プレーヤーの背中を見ているゴールキーパーは、試合中に問題点を見つけ問題が大きくならないうちに、リスクヘッジを考えます。見つけた問題点はすぐ「解決、解決、解決」の繰り返し。その結果、最終的にはチームとして勝つ。 自分は失点をしない、得点を許さないという個人としての役割や目的もありながら、他のプレーヤーのこともケアしなければならない。 こういうゴールキーパー時代に培った能力が、この事業を始めてみてすごく生きているなと感じます。 もし私がフィールドの選手だったら、事業はこんなに上手くいっていなかったと思います。ゴールキーパーをやってきて、本当に良かったです。 ――起業されたのは、選手をやめてからですか? 平川正城さん:いえ、選手をやりながら起業しました。 ――夢があったんですか? 平川正城さん:はい。18歳でプロサッカー選手になる前から、プロ選手になれなければ幼稚園の先生になるつもりだったんです。 高校生の時に社会科実習で東京都にある幼稚園に行った際にも、普段、人懐っこくない子どもが初日から私に懐いてくれたんですよ。 園長先生からも「子どもにしか見えないオーラがあるから、平川君は絶対に幼稚園の先生とか子どもに関わる仕事が向いてるよ」と褒めていただき、「何ならうちの幼稚園に就職しない?」と熱烈なオファも受けました(笑)。 その頃には、サッカーでJリーグクラブに進む話があったので現実しませんでしたが、元々子どももサッカーも好きだったので、後々子どもに関わることを仕事にしたいと思っていました。 ずっとサッカー一筋でやっていましたが、子どもが好きだということはアタマから離れたことはなかったですね。だから現役時代から、引退したら好きな子どもたち、好きなサッカーと関わる仕事をしたいとずっと思っていました。 私自身、「セカンドキャリア」という言葉はあまり好きじゃないんです。「ファーストキャリア」があるから、「セカンドキャリア」が成り立つ訳で、人生は全てがストーリーになっている。「ファースト」や「セカンド」なんて順番を付けるものだとは思ってないので。 だからこそ人生一回のチャレンジを好きなことをやろうと決め、自分の経験を子どもたちに伝えられる環境をつくりたいと2013年に会社を起こしました。 ――約8年前ですね。引退が5年前なので、引退の3年前に起業されたんですね。平川さんの強い想いを感じます。 私も、このTEAMシャカ(社会企業家)の活動を続けながら強く感じることは、「大人は子どもたちのためにいる」ということです。 私たちは大人になるにつれて、まるで最初から大人だったような感じで生きています。20代の人は、つい最近まで子どもだったのに、社会に出て仕事をし始めると子どもの頃の自分が遥か遠い世界の自分のように思えてきます。 子どもの頃と変わらない自分が、”私らしさ”だと思うんですよね。変わっていない自分に安心することで、心の余裕が生まれるのではないかと思っています。 ご自身の子どもの頃と比べて、今の子どもたちをどう思いますか? 平川正城さん:ものすごく明確になっていることが2つあります。 1つは、サッカーのスキルを昔と比較すると、断然今の子どもたちの方が上手い。めちゃくちゃ上手い(二人笑)! もう1つは、基礎運動能力がめちゃくちゃ低下しています。サッカーや野球の専門的なスキルは上がっているのに、小学校などの体育などでやっていた前回りや後転、側転などが出来ない子が増えているんです。不思議ですよね。 ――え?サッカーが上手い子でもそうなんですか?…