私が就職して初めて就いた職種は営業でした。最初の赴任地は福岡、担当エリアは佐賀県。
東北で生まれ育った私にとって、九州は別世界でした。
何が違うかというと、博多には「情緒」がありました。信じられないことに、GW頃にはビアガーデンが始まっていました(笑)。
街を歩いているだけでも面白い、何気ない人の会話を聞いているだけで笑えてくる。
ある休日のお昼に天神に行き一人でお寿司を食べていたら、突然隣のおじさんが「あんた博多もんやなかろ?」と。
「ええ」。
どうやら私の顔を見て、九州の顔ではないと判断したらしく「これを食べてみんしゃい」と。
笑。「いただきます」。
私にとって博多は、毎日お祭りをしているような街でした。
しかし仕事となると話は別です。
入社1年目に佐賀県の有明町役場というところに頻繁に通い、当時の係長が親切に話をしてくださったのですが、
なかなか言葉がわからず、さらに係長の歯が何本か抜けた状態なので聞き取れません(笑)。
その時は上司の助けを借りて受注しましたが、何ともいい想い出です。
ただ入社して3年ほどは、いわゆる行き詰まり感が払拭できない状況が続きました。
小学4年の通信簿に『自信過剰』と書かれた私が、拠り所のない閉塞感を感じていたわけですからよっぽどのことです。
私が行き詰まり感を感じていても何とか乗り越えられたのは、周囲の人たちの支えがあったのは間違いありません。
しかし自分がそういう状況だと親切や励ましも、ちゃんと受け止めることが難しくなっています。
結局、支えは自分の中にしかないと腹を括ったわけです。
ある種の開き直りだったと思います。
私は自分に言い聞かせていました。
「これまで生きてきた22年間は何だったのか。少なくとも仕事の手がかりが掴めないからといって
自信をなくしてしまうようなヤワな生き方はしてこなかったはずだ」と。
私はこれまでの自分の生き方に自信を持つしかなかったのです。
『生き方』しか。
この会社に入るために、この仕事をやるために、私が生まれて来た訳ではない。
だとすればこれまでの私の生き方の延長線上に、仕事があるだけだと言い聞かせていました。
理屈抜きにそう思うしかありませんでした。
そういえばその当時「竜馬がゆく」を読んでいたこともあって、少し気が大きくなっていたことも幸いしたのかも知れません。
みなさんにも困ったときの「開き直り」をお勧めします。
それでいいんです。
それでいいのだ。
今『社家』を通して伝えたいことや活動の根底にあるものは、私が入社後3年間に味わった経験や教訓と重なっているものが
あると感じています。
生きることを苦に感じたこともなく悩みなどないといい続けてきた私でも、あの時あのような状況だったのだから、
この社会には当時の私よりももっと深刻に受け止めている人が多いのではないかと。
コメント
“こころのもちよう” への1件のコメント
[…] 『こころのもちよう』では、就職して間もない頃の私について書きましたが、少し遡ってみると驚きの事実がありました。 […]