最近、久しぶりに役人と接する機会が多くなり、こんなに変わらない世界があるのかと今さらながらに驚かされています。
昨日もある県庁の複数のセクションにアポなしで行きましたが、基本的に一律に、なるべく関わらないよう対処する術が具わっているところが、やはり役人です。
教育が徹底されているのか、役所の中の処世術なのか。
以前、私は20年以上毎日のように役人と接していたので慣れてはいるのですが、その後10年ほど経っており、その間3.11や熊本の大震災、政治経済の移り変わりも激しかったのですが役所というところは別世界です。
役人のことを想う時、いつも司馬遼太郎の『世に棲む日々』を想い出します。
その本の後半に、小見出しで「ヤクニン」とあります。
なぜカタカナで「ヤクニン」なのかと思い読み進むと、幕末当時すでに日本の役人は、責任逃れの極みのような人たちだと外国人に知れ渡っていたようなのです。当時の外国人もあきれ返っていたといいます。
外国人が日本の役人と交渉していても「それは上司に伺いを立てないと何とも言えない」といい、「では、あなたの上司と話をしたい」と上司が出てくると、さらにまた「それは上司に伺いを立てないと何とも言えない」といわれ、結局埒が明かないと。
実態があって無い、という印象だったのでしょう。
司馬さんは「『祠(ほこら)』のようなもの」と表現されていました。
それから長い年月が経っていますが、役人は未だに「ヤクニン」らしく健在のようです。笑