女ごころと秋の空

「女ごころと秋の空」は気まぐれ、飽きやすい、移ろいやすい等の意味でよく使われますが、元々は「男ごころと秋の空」だったとも言われます。

ある日TVのチャンネルを変えていたら、「こころの時代」に玄侑宗久さんが出ていて「風流」について話をしていました。「風流」とは、一般的には「上品な趣があること。みやびやかなこと。」等の意味で使われ、美意識の一つのようです。
玄侑さんの話によると、元々「風流」は禅の言葉で「心の揺らぎ」を意味し、人それぞれ心の揺らぎ方は違っていてそれ自体固有のもの。だから「風流」とは人柄そのものを言うらしいのです。

とかく世間は、比べたがります。モノとモノ、人と人など、比べるのが好きな人がとても多いです。これも不安の裏返しでしょうか?しかし、そもそも人は比べるものではないし比べようのないものです。これは、とても重要なことです。

最近よく「ぶれる人・ぶれない人」という言い方を耳にします。こういう二元的な比較ではなく、「心の揺らぎ」という少し余裕のある言い回しでそれぞれの個性を表現できれば、人の見方や接し方にも変化が生じてくるのではないかと思えてきます。
「みんな揺らいでるんだ。その揺らぎ方の違いが人柄なんだ。」とても居心地がよくなりますね。

人は比べようのないものと思えれば、個性を尊重することができます。多様性を認め合うことにつながります。一方で「良い・悪い、正しい・間違い、YES・NO、敵・味方、男・女」といった二元的な考え方になりがちな時は、少し横に置いておいた方がいいかも知れません。

実は私自身、物事をハッキリさせながら生きてきました。特に仕事では。
しかし少しづつ、二元的な見方・言い方はかなり注意を払わなくてはならないなと思うようになりました。それは不要な対立や敵対を誘発することになりかねないからです。

物事をハッキリ言う、ハッキリさせる、二者択一で判断するのは、どこか美意識が働いているように思えます。男の美学や武士道などに通じる感じです。混沌とした時代に、一つひとつの判断や意思決定は方向性を示す上でも重要なことだとわかりますが、それは人間性に根差したものでなければ単なる利害の調整でしかないのでは。

日本の政治においてもリーダーシップが待望され続け、今の政権では決める政治を声え高に唱えていますが、経済という利害を最優先する政策を進めている以上「心の豊かさ」を取り戻すことからは遠ざかっていきます。混沌で曖昧な世の中において適切な判断をしていくためには、強くて堅いものよりも寧ろしなやかさが大切な気がします。

結局「女ごころ」とも「男ごころ」とも言われるように、みんな揺らいでいて移ろいやすいということなのでしょう。
今日の秋空も、晴れから曇りそして雨になりそうです。
秋空の移ろいに身を任すことができれば、この世の移ろいなどゆっくりしたものに感じてくるかも知れませんね。