安定というリスク

これまで長いこと生きてきましたが、多くの人は安定を求めていきていると感じます。特に収入等の経済的な安定、会社や仕事での地位や評価、人間関係などなど。
ただ安定志向の人が、バランス感覚に長けているということではなさそうです。守りに入ったり、群れたり、正当化したり、虚栄を張ったりします。それは会社のような組織にいると顕著に現れます。そうしなければ安定を維持することができないのでしょう。

つまり安定を求めるということは、単に自分らしくあり続けることとは違う思考、行動様式、生活様式、人生を辿るということのようです。どこかに無理があるということになります。
社会全体を見渡してみると、貧富の格差や富の一極集中がさらに拡大しつつあります。資本主義経済はそういうものだといえます。誰かが儲かればどこかの誰かが失っています。今後、社会はさらに何が起きるかわからなくなっていくといわれています。先日の「鈴木重子さんへのインタビュー」でも同様のことを言われていました。

結局、混沌とした時代を生きていながら安定を求めていたら、ちょっとした予期せぬことでバランスを崩していまい、あっという間に不安定になりそうな気がしますが、いかがなものでしょう?
ビジネスでも生活においてもリスクは付きものですが、リスクを回避・低減するだけでは自分が正しいと思う道を進むことはできません。「取るべきリスクは取る」必要があります。そうしなければ、最大のリスクにぶち当たってしまうことになるでしょう。

そこには何が必要なのか?私の結論は「単なる覚悟」とでもいうのでしょうか、それを自然体というのかも知れません。

「単なる覚悟」って私も初めて使う言葉ですが、あまり気負うことなく、「命がけ」などとあらためて思うこともなく覚悟していればいいという感じですかね。結局、普段から覚悟して生きていればいいということになります。
それが人生の醍醐味だったり、心底人生を楽しむということにもつながるのでしょう。(ということは「社会企業家」は、「単なる覚悟」をして生きているということなんですね。納得です。)

そしてもう一つ大切なことは、リスクをリスクとして認識し「取るべきリスク」かどうか見極めることです。難しいことのようですが、「単なる覚悟」をしていれば自ずとわかるのではないかと思います。なぜなら「直観」が働くからです。自分らしくいれば、そうなるでしょう。
ここが味噌ですが、自分らしくしていないと「直観」が鈍くなると思います。あるいは「直観」が働いても、自分の「直観」を疑ってしまうのでは。そうなっていくと損得勘定、メリット・デメリットの渦に自ら進んで入っていきます。簡単な構図です。

「人生は体験」と思っている私にとって、最も大切なことは心の安定です。
経済的物質的な安定は、心の不安定をもたらします。そうなっていくとキリがありません。いつまでもどこまでも追い求めて生きることになります。

安定は「心」だけでいいのではないでしょうか。
それは、いつも、ここに、ありますから。まずは安心してください(笑。