富の再分配

「格差社会」という言葉を耳にするようになったのは、15年程前からでしょうか。日本では小泉政権期に所得格差が拡がったと言われています。

世界的にみると、格差どころではなく一極集中ともいえる状況です。
数年前の記事ですが、アメリカには10億ドル以上の資産を持つ人が400人程いて、世界の富の40%を占めるともいわれています。
その頃の象徴的な出来事として記憶しているのが、ビル・ゲイツとバフェット(米国の投資家)が世界400人の資産家に直接電話をして、資産の半分を慈善事業に寄付するよう呼びかけているという報道がありました。その時点で40人は了承し、その総資産額は2300億ドル以上とも言われていました。400人の資産の半分の総額は約50兆円になるということでした。

その後、ゲイツとバフェットの呼びかけがどうなったかわかりませんが、これが所得格差というか一極集中の実態なんですね。おカネのある所におカネが流れていきます。

企業に目を向けた場合、現状でおカネがある企業は社会のしくみの中で既得権益をもってビジネスをしているといえるでしょう。それを反対側からみてみると、既得権益が通用する、あるいは既得権益にとって都合のいいしくみがこの社会だということになります。
企業としては、合法的な経済活動によって利潤を得ているのだから何ら問題ない、当り前のことと一蹴することでしょう。しかしおカネのある企業におカネが集まるだけでは、世の中は変わりにくい状況が続くことになります。

単純に2つのことが考えられます。
・現状でおカネのある企業が、社会的課題を解決するための社会ビジネスを推進する。
・社会ビジネスを推進する社会的企業におカネを集め、そのおカネをさらに多くの企業が社会ビジネスに取り組めるよう投資・還元し再分配する。

政府は今後さらに経済最優先の政策を推進するといっています。またビジネスは経済活動の一環であり、企業は経済的豊かさを追い求め活動していきます。
しかしこの当り前と思えることを、当り前と決めつけてはなりません。

経済的豊かさから、「心の豊かさ」を取り戻す経済活動に切り替えて行くための富の再分配機能が必要になります。

私たちは、仕事をしている時は企業の経済活動の一員ですが、仕事をしていない時は一市民です。一市民として仕事をすることによって、企業や社会のありようは変化していきます。

「最近、何となく世の中がおかしい」と感じている人が増えているようですが、一市民の視点で仕事や会社や社会や世界を観て、考え行動すれば、自分と世の中との関係性も見えて来るし、人との関係性も変わって来ると思います。

そして社会のしくみも変わっていくことでしょう。