安全保障関連法案が強行採決されました。国民が国に守らせるための憲法を、憲法学者のほとんどが違憲と言っているにも拘らず、政府が解釈を変更することにより可決しました。
まずは、こういうことが政治によって起こることを理解しておかなければなりません。
また、これまでも戦争に踏み切る判断は、政治によって行われてきたことを再認識しておかなければなりません。
「戦争と経済」は、強い結びつきがあります。
経済のために戦争を起こす場合もあるし、経済的な考え方によって作戦を実行することもあります。人道的にはとても考えられないことであり人が犯してはならないことですが、経済的な理由で、政治によって繰り返されている現実があります。
一方で今起こっている紛争や戦争のほとんどが、宗教に起因しているように報じられています。確かにそうかも知れませんが、武器がないと戦争には発展しません。そもそも武器はどこでつくられ何と交換されているのでしょう。経済的な先進国や新興国でつくられ、お金と交換されていることは明らかです。 そしてそのお金はどこにあつまるのか。
軍需産業や武器商人という言葉を耳にします。こういう産業や商売が成り立ち、国や世界に多大な影響力を持ち続けている実態が、この世界には存在しているようです。「武器をつくって売る」ことが、抑止力の名の元に国家間、企業間で行われています。つまり経済活動によって武器が製造、調達され使用されています。
もう一つ、経済的な考え方で作戦を実行すると書きましたが、これは如何に効率的に戦争をするかということです。驚かされます。
1996年、米国上院外交委員会の公聴会でベトナム戦争への批判的な質問に対し、当時の国防長官マクナマラの証言がそれを物語っています。以下、その証言を聞いていた経済学者の宇沢弘文氏の自著「経済と人間の旅」を引用します。
マクナマラ氏は、まず、ベトナム戦争で投下された爆弾の量、枯れ葉作戦によって廃地化された土地の面積、死傷した共産側の人数など、豊富な統計データを揚げて、ベトナム戦争の経過を説明した。そして、これだけ大規模な戦争を遂行しながら増税を行うこともなく、インフレーションもおこさないできた。それは国防省のマネジメントの改革などを通じて、もっとも効率的な、経済的な手段によってベトナム戦争を行ってきたからである。そのような功績を果たした自分がここで批判され、非難されるのは全くの心外である、という意味の証言である。
宇沢氏は、その時のマクナマラの自信に満ちた姿をまざまざと思いだすと同時に、ことばに言い尽くせない衝撃を受けたことをおぼえていると言っています。 それはマクナマラの主張が、まさに近代経済学の基本的な考え方と通ずるものがあったかただと。
人が人を殺す。経済的な価値観や経済的な方法をもって、人が人を殺す。その判断を政治が行ってきました。
経済最優先で発展させようとする社会は、私たちにこんなにも大きな問題提起をしています。