世界中にトランプショックが起こっています。
一人の人間が世界中に大きな衝撃を与え、何十億人もの期待や不安を掻き立てていることを興味深く思います。
ところでトランプ次期大統領が誕生するまでの道のりを思い返したとき、最も当てにならなかったのが“支持率”だったのではないでしょうか?
また日本でも、いつのまにか安倍政権は長期化し、歴代政権の中で6番目に長い政権になっています。
その政権を支えているのも“支持率”の高さといえるでしょう。
いつも私が疑問に思っていることは、「多くの国民は政権や政党、政治家を“支持”しているのか?」ということです。
私がもつ印象は“支持”ではなく、漠然とした期待や好き嫌い、あるいは自己都合による損得勘定等々といったところです。
“支持”するということは、“支持”する側に責任が伴います。
その意味で”支持”している人の数は、”支持率”よりもずっと少ないし、責任が伴わない“支持・支持率”という言葉や数字に何ら重みはなくなります。
メディアが“傾向”を伝える上で、他の適当な手段を見つけられないのかも知れません。
ただ不特定の人に対し、昼間の時間帯に固定電話に電話を掛け聞き取りしているとしたら、その対象は主婦や高齢者等に偏っていると思えてなりません。
一方でこれもまたいつも感じることは、その時代、その国の『国民・政治・メディア』の関心事や価値観の水準は、ほぼ同程度ではないかということです。
結局、そういうことではないでしょうか?
だから、私たちはもっと”責任をもって生きる”ことに、注意を払わなくてはなりません。
一国民(市民)である私たちは、色々な“からくり”や“ごまかし”に翻弄されないように、まずは心を健全に保ちそして注意深く生きる必要があります。
そうすること自体が、次の世代の子どもたち対する”責任ある態度”だといえます。
なんとなく、オフィスビル屋上から