田上百合子さんへのリレーインタビュー

研究所代表の馬場真光(ばば しんこう)さんからのリレーインタビューは、店舗開発プロデューサーの田上百合子(たのうえ ゆりこ)さんです。
3.11以降、田上百合子さんはボランティアで通われていて、私の出身地南三陸にも何度か訪問されていると馬場さんからお聞きしていたので、何となくお会いする前から親近感を感じていました。下北沢にあるオフィスも私のオフィスから10分程でした。

インタビューを始める前に、なぜか私は田上さんの身のこなしに少しぎこちなさを感じていました。すると田上さんはご自分から「年末に肋骨を折ってしまいまして」と丁寧な口調で話し始められました。どうやら12月31日に階段から転げ落ちたらしいのです。
「それではあまり笑わせちゃダメですね(笑)」と言うと、「大丈夫でございます」とのこと。

お淑やかな口調と、大晦日に階段から転げ落ちて肋骨を折った光景とが、私の中ではどうも噛み合わないままインタビューが始まりました。(聞き手 昆野)

――南三陸とは何かご縁があったんですか?

田上百合子さん:はい。『シャルソン』というソーシャル・マラソンを友人が主催していて、被災地を毎回120km走る『ウルトラシェルソンシャルソン』のお手伝いで参加した際に、南三陸にも打合せ含めて4回程伺ったことがあります。
3.11は、私にとってとても大きな衝撃でした。
震災半年後に、当時通っていた日本政策学校のメンバーと「被災地の復興を考える」というプロジェクトを結成し、月に1度石巻に入ってボランティアをしていました。
今後も自分ができることをしていきたいと思っています。

―― 1日40kmを3日連続で走るのは、かなりきついんじゃないですか?

田上百合子さん:私は伴走車の窓から「ガンバって~」って声援を送っているだけです。とてもとても私はそんなに走れないです(笑)。

――そういうことですか。なぜボランティアを続けているんですか?

田上百合子さん:石巻にボランティアで通っていて、繋がった縁が終わるのが勿体無くて友人が始めたシャルソンを地元の方と一緒にと、「牡鹿シャルソン」をボランティアのリーダーと開催して、その流れでウルトラシャルソンの事務局を手伝ったんです。「よくやるね」とおっしゃる方もいますが、私にとっては特別なことではなくすぐ横にあるもの、横を向けばあるものなんです。
例えて言うと、何人かで食事をしていて離れたところにお醤油さしがあり、手が届かないから「お醤油さし取って」というくらいの感覚です。ボランティアをする人が特別と思われることがおかしいと思います。「お醤油さし取って」と同じくらいの感覚で付き合えるような、そういう社会を私は目指しています。

――なるほど、お互いさまという生き方ですね!ところでどんなお子さんでしたか?

田上百合子さん:とても変わった子どもでしたね(笑)。馬場真光さんと同じように政治家になりたいと思っていました。

――馬場さんは総理大臣でしたね(笑)。

田上百合子さん:そうです。馬場さんとは日本政策学校の同じ一期生で、以前そうお聞きしました。私は九州宮崎のかなり保守的な両親のもとで育ちましたが、父は大企業に入ればあまり楽しくはないけど30数年頑張ればいいんだと。「寄らば大樹の陰」的な考え方の人でした。両親共に女性が働くんであれば公務員がいいと。妹は公務員になりましたね(笑)。
革新的なことは避けて通る。起業するなんてとんでもない。そんな両親だったので、政治家になりたいとか国際社会で仕事をしたいから国連で働きたいなどと言っていた私は、きっと親にしてみれば育てにくい子どもだったと思いますね。
また、現在でも民放テレビ局が2局しか無い宮崎でテレビは面白くない、いつも本ばかり読んでいました。本を読んだり夢想したり…。

――夢想?もしかして妄想族ですか?

田上百合子さん:たいへんな妄想族です!(大笑い)
小3から小説を書いたり、将来は「スナフキンになりたい!」と思っていました。一年中旅をしながら旅行記などを書いて食べて行けたら相当ハッピーだと思っていましたね。今でもスナフキン生活には相当な憧れがあります。

――スナフキンと今のお仕事とは随分違う感じがしますが…、今どんなお仕事をされているんですか?

田上百合子さん:8年前に起業し、店舗開発プロデューサーをしています。社会人を内装会社の営業からスタートして美容・外食・小売の3つのチェーンストアで店舗開発職に従事していました。企業の店舗開発職は単に物件開発だけで無く、市場調査から予算管理・引渡しまでと店舗を適正に出店・運営するための要となっています。その店舗開発を特化して起業している人がいなかったので自分でやってみようと思い独立しました。
現在は店舗の引渡しまでではなく、業態開発や運営を含めて一貫したプロデュースを行っているため『店舗開発プロデューサー』と名乗り、店舗開業における事業構築のゼネラリストと位置付けています。

また、『企業経営により社会に還元できる経営者になりたい。』という気持ちもありましたので。

――自社収益の社会還元ですか、いいですね。馬場真光さんへのインタビューでも『富の循環・還元』についてお話しがあり、収益を社会還元する企業が増えればきっと社会は良くなると再認識したところでした。
最初の内装会社への就職は何か目論見があったんですか?それともスナフキンの妄想が覚め諦めてしまったんですか?

田上百合子さん:初めて就職した時も、戸惑いや諦め感といったものは全然なかったです。何でもできると思っていたので、ある意味自分を過大評価していたんですね(笑)。営業をやることも性格的に合っていたと思います。とにかく外回りが好きでデスクワークは向かないということはわかっていましたし、チェーンストア本部の店舗開発の際には全国出張に出て90日間のうち75日間出張していたこともありました。
ただ一つだけ拘っていたことは「モノをつくっていきたい」ということでした。とにかくカタチになるものをつくりたいと思っていて、内装会社のアルバイトをしている時に「1枚の図面から空間が生まれる」って、とても面白く思ったんです。
それで内装会社に就職しました。

――起業のきっかけは何でしたか?

田上百合子さん:起業は自分自身の生き方に起因すると思います。
起業する以前は4つの会社を経験しましたが、それぞれ創業者一代でつくられたベンチャー企業で売上げが300億あってもドメスティックな会社だったこともあり、このままサラリーマンとして働いていてもその先の未来がかどう開くんだろうって、思いがありました。会社の中で慣れた仕事を繰り返しながら、店舗が立ち上がってオープンすれば一つの喜びはあるけれど、それ以上の喜びがここで見つかるんだろうかと感じていました。
そこで自分の将来がみえなくなったんですね。

――そういう状況で、ほとんどの人が我慢したり諦めたりするんでしょうね。「寄らば大樹の陰」的になったり。『自分を生きる』でも書きましたが、私はいつも自分の生き方の延長線上に仕事があると言っています。しかしその線上から少し逸脱して仕事をしている人がとても多く、自分では我慢し苦労して「好きでそうしているんじゃない」などと怒ったりする人も多くみてきました。
でもそれって自分のことだけでは済まされないってことに気がついていない。一人ひとりの少しの歪は、社会の大きな歪となって現れている。それが今の社会だと思えてなりません。
我慢だとか何だとか言って、結局自分の都合しか考えていない。

田上百合子さん:すごく良くわかります!私もそう思います。

――起業してみてどうでした?8年前だとその後リーマンショックもありましたが。

田上百合子さん:最初の2年間は『店舗開発とは的な』布教活動でしたね。起業してすぐリーマンショックが起きて、現実には山あり谷ありでいろいろあり大変でした。(笑)

――非営利活動ではなく、ビジネスで社会還元をしたいと思ったのはなぜですか?

田上百合子さん:NPOなどの存在や活動は社会にとってとても重要なことですが、利益を生まず補助に頼っていては結局やりたいことが出来ないし継続も厳しい、と思っています。要は「おカネの使い方ではないか」と。
そしてたどり着いたのが、社会に還元できるような事業をしたいということでした。

――海外進出も視野にあるようですが?

田上百合子さん:一昨年から日系企業の東南アジア進出のお手伝いをしていました。そんな中、東南アジア各国を回り、昨年8月に初めてカンボジアを訪問しました。仲介者のアテンドで始めてお会いしたクメール人がプリンセスマリーで、ポルポト時代にタイ国境の難民キャンプで女性の自立と子供の教育、医療支援のNGO立ち上げられ、現在も活動を続ける苦労のお話を伺いました。60代半ばと思われるプリンセスマリーは女性として一番美しく、楽しい時期に苦難を背負い、今なお活動を続けていらっしゃる、頭が下がります。
また別の王室関係者の方が運営する孤児院を視察させて頂きお話を伺いました。200人の子供達を抱える孤児院の入居基準は貧しさの順番。迎えに行った子供の親御さんが丁度亡くなり葬儀を出して子供を引き取って帰って来る、そんな状況がいまだにあるそうです。
しかし、孤児院の子供たちは明るい笑顔で『一緒に写真を撮ろう』と言って近寄ってきてギューっとしがみついて来る。
何だか切なくなりました。

――社会インフラや生活面はどうなんですか?

田上百合子さん:プノンペン市内であっても道路の舗装はまだまだで、市営バスも最近運行を始めたばかりで交通手段はバイクが主流でトウクトウク、でもトウクトウクは高いから観光客と外国人滞在者が顧客。なのに、車はレクサスがゴロゴロ走って、鉄道はモノを運ぶが人は運ばない、中央駅はレンタルに出されている(笑)

――駅をレンタル?

田上百合子さん:そうなんです。そんな交通インフラの中、多くの人がスマートフォンをもっていてFacebookなど普通にやって、お洒落なカフェが立ち並ぶ。など、日本で言えば一足飛びに昭和20年代から平成の世に飛んじゃってカオスのような状態にあります。
日本よりももっともっと問題が多く状況が良くない一方、何だか野生的で力強いエネルギーを感じたのです。これは、一昨年から通っていたマレーシアやシンガポール、タイでも感じない感覚でした。 『ここで何か事業をしたい』理由も無くそう思いました。 強いていうなら「プノンペンに恋をした」そんな感じ。
直接子どもたちに関わり自分の目で見て触れることで、カンボジアで自分にできる事業をしたいと思いました。
一方カンボジアの状況をみて、こういう時代の政治の舵取りをどうすべきなのかということにすごく興味をもって、馬場さんに質問したほどです。

――天命といった感じですね!ところで子供たちに何を伝えたいですか?

田上百合子さん:人と関わることがあまり得意じゃない人が増えているような気がしますが、人と関わることはすごく楽しくて世界を広げてくれると思うし、違う文化を見る楽しみもあるので是非、多くの人と関わってほしいと思っています。
私は、生きていくために必要なことは、全て仕事から学んだと思っています。だからまず働いてみる、とにかく働いてみる、そこから学ぶことがきっとあるはず。

――これからどんなことをしたいですか?

田上百合子さん:社会とより良く関わっていく、これからの私の企業家人生に関わっている大きなテーマです。昆野さんが言われたように、自分の生き方の先に仕事がありますから。
先ほどのお話のように「おカネに使われる」のではなく「おカネを使いこなす」。きちんと仕事をして、きちんと対価を得て、自分の会社を維持するのに必要なおカネ以外は社会に還元していく。そういうかたちで事業ができたらいいなと思っています。

最終的には国内外共に、子供が夢を持って生きていける仕組みの提供として、シングルマザーの雇用の際に住宅提供や、保育所の教育事業、最終的には病院を作って社会に還元していきたいと思っています。

また海外はカンボジアからASEANにつながる事業に発展させていきたい、と思っています。

――国内外での店舗開発事業を進め、まずは本業の収益性を高めることでその収益を社会還元していく。さらに自社事業の多角化を図り、被災地での社会還元事業や社会的課題が山積しているような国や地域で、課題解決につながる事業を展開したいということですね。
とてもいいですね。

今後のご活躍をお祈りいたします!ありがとうございました。

肋骨を折りながらインタビューを受けていただいた、田上百合子さんに本当に感謝です。
実は私も以前レントゲンを撮った時に「肋骨を折ったことがありますね」と医者に言われ、「いいえありません」と答えたら「ここに折れた跡がありますよ」と。そう言えば笑えないほど痛いことがあったなと思い出していました。

インタビューの中で田上さんは、私がお話しした『生き方の延長線上に仕事がある』ということに共感された様子で、さらに『社家(シャカ)』のトップページを指して「ここがいいんです。結局これなんですよね!」と言われました。
何を指しているかというと『心の底から楽しく仕事をする大人』から数行についてです。
思わず私は「こんなこと書いたけど、わかってくれる人はそういないと思ってました」と言うと「楽しくなけりダメなんです。これに尽きるんです。これがあったからインタビューをお受けしたんです」と。
実はこれまでインタビューは全て断っていたようです。

私の印象では、田上さんはかなり大らかな方のようです。
お話しにあったように75日間出張しても気にならず、収益の社会還元を念頭に一人で起業し、リーマンの荒波を越え3.11のボランティアに通い、次はカンボジアで社会還元事業さらにはASEAN進出と、そのバイタリティは肋骨が2・3本折れていても鎮まることはないでしょうね。いやあ頼もしい女性でした。

別れ際に、「私、お酒はかなりいける口なんです」と。

私はすでに馬場さんからお聞きしていたので、にこやかに頷いて一礼しました(笑)。

【注釈】プリンセスマリーを日本語で紹介しているサイト:ソバナジャパン:http://sobbhana-japan.org/

■田上百合子(たのうえ ゆりこ)さん プロフィール

スパイカ株式会社代表取締役。店舗開発プロデューサー。
大手内装会社を経て美容・外食・小売の3つのチェーンストアを経て独立。
出店立地選定の市場調査から運営までハードとソフトを含めた一貫したプロデュースを行い『店舗出店に伴う事業化のためのゼネラリスト』を目指す。

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