20年程前に読んだ本の中で、印象的だった本がいくつかあります。その中で記憶に残っているのが『バーソロミュー』という本です。
この本は公開チャネリングでチャネラーの女性が話したことを録音し、本にしたものです。『バーソロミュー』とは、その女性がチャネリングの媒体となっている時の名前です。
チャネリングが始まってすぐ、その女性は媒体に切り替わり「私の名前はバーソロミュー」と言って話し始めます。
その中で自分の感情とどのように向き合えばいいのかという質問に対し、『バーソロミュー』は例えば怒っている時に自分の中に“怒りがある”と捉えるようアドバイスしていました。
“怒りがある”という捉え方は、自分を客観視した状態です。
一方で、私は「孤独」と「孤独感」について考えることがあります。
先ほども客人が来ていてその話になりました。
私は孤独、あの人は孤独だという言い方を耳にしますが、それが私にとってすごく違和感があります。
『孤独死』という言い方には、抵抗感があります。
もし自分が孤独だと感じていたら、それは「孤独感がある」という言い方になると思います。
それを『孤独』と言い切ってしまうと、思い込みが強くなり、さらに孤独感を深めてしまうことになります。
他の人を孤独だと言ってみたり、看取られずに一人で亡くなり後から見つかった場合『孤独死』という言い方をすることも、おかしな言い方だと感じます。
そこには「一人ぼっちで可哀そう」という印象があり、そう思わせる言い方でもあります。
私たちが普段よく使っている言葉には、発した言葉によって物事を必要以上に印象づけたり思い込みを強くもってしまう力がありますが、その力をあまり意識せずに使ってしまっている場合が多いですね。
ですから自分自身や他の人のことを客観的に捉えることで適切な言葉を選ぶことができ、必要以上に深刻になったり自分を追い込むことなく物事を捉え生きていくことができるのではないかと思っています。
普段、身近に使われている言葉をそういう視点から見直してみると、争いや誤解、ストレスを回避できるようになるのではないでしょうか。