高木尚子さんからご紹介いただいた方は、研究所代表の馬場真光(ばば しんこう)さんです。
お会いする前にいただいた資料は、『経済学の基礎としての人間性の理解について』という論文と『お金のいらない社会』に関する2本のエッセイでした。論文を読みながら、論文どおりのお堅い方だったらどういう切り口でインタビューを進めたらいいだろうと、珍しく少し戸惑っている私がいました。
そしてインタビュー当日に私のオフィスのドアが開いてお会いした瞬間、「なんて優しそうな方なんだろう」と一安心し、その直後から私たちはずっと話し続けていました。
お話しをお聞きしていて、ふと『いのち』という言葉を何度も発せられていることに気がつきました。『経済学といのち』。すでにミステリーゾーンに突入していました。(聞き手 昆野)
――どんなお子さんでしたか?
馬場真光さん:幼いころは、無邪気で活発な子供だったと思います。ただし人と同じことがしたくなくて、ちょっと変わったことをして周囲を驚かせて喜んだりするようなところがあったようです。小学6年生の時の夢は、総理大臣になることでした。
―― は?
馬場真光さん:なぜそう思っていたのかはよくわかりません。
遡ると幼稚園の時のある昼下がり、下駄箱の前でぼんやりと外を見ていたとき、なぜか「世の中っていうのは良くしなくちゃいけないんだなあ…」という思いが湧いてきたことを憶えています。キリスト教の仕事に携わる父に、小さい頃からそのように刷り込まれていたからかも知れません。
――幼稚園生で世直しですか…。その後どう変わっていきましたか?
馬場真光さん:中学に入ると人間の心理に興味をもつようになり、中3の時には、作文で人間学者になりたいと書いていました。
それが、高校に入って社会に目が向くようになると、今度は矛盾の多い社会を正したいという思いが強くなりました。青少年らしい理想主義ですね。
大学受験の頃は、東西冷戦の緊張がものすごく高まっていて「世界終末時計」が終末の「3分前」まで進んでいました。それで、「日本よりも世界の方が危ない、世界の平和のために働きたい!」と思って、大学に入ってからは英語と国際関係を勉強しました。
――経済に関心を持ちはじめたのはいつ頃からですか?
馬場真光さん:もともと政治を学ぶには経済の勉強も必要と思っていました。
大学在学中に奨学金を頂いて1年間米国に留学したのですが、そこでミクロとマクロの経済学の基礎を学びました。そこで価格メカニズムによって、政府の介入が少ないほど経済はベストの状態になるということが数式で証明されているのを知って驚きました。
「何もしないことが最善の政策だなんて馬鹿に能天気だけれど、もし本当ならすごいことだ。自分はもう自由放任主義者だ」などと思いながら帰国しました。
――今研究されていることとは真逆の考え方のように思えますが、その後転機となることがあったんですか?
馬場真光さん:はい。帰国後勉強して受けた外交官試験であえなく不合格となり、方向転換して信託銀行に就職しました。
経済の実態をよく知ろうと金融機関の中でも業務の幅の広いところを選んだのですが、そこで金融制度に関する調査を行う部署に配属された時が大きな転機になりました。それまでの金融行政はいわゆる護送船団方式のもと、都市銀行や証券会社、信託銀行などがそれぞれの業務分野の棲み分けをしていたのですが、90年代半ば以降、日本でも自由化・規制緩和の声が高まって、金融業界でも業務の自由化が検討されたのですね。
他業態への業務開放を迫られた信託業界は、行政指導により店舗数でハンディを負っていたので、業務開放は死活問題ととらえて、今でいう「抵抗勢力」として理論武装を試みたのです。
「自由化・規制緩和に問題点はないか」と調べていくと、当時、自由化で先行していたニュージーランドで、急激な規制緩和の結果、失業率が倍増して労働生産性も低下し、社会的なひずみと政治不信が増していたことがわかりました。自由化にも光と闇の両面があることを初めて知ったのがその時です。その後信託業務はほとんど開放され、信託業界も再編されてしまいましたが、その時に芽生えた自由化への疑問が、現在の私の研究の端緒になりました。
――なるほど!私の中でやっとつながってきました(笑)。ところで経済学の最大の問題点は何だとお考えでしたか?
馬場真光さん:「人間性の理解の不足」です。
そもそも経済学の理論には非常に仮定が多いのですが、なかでも人間像のとらえ方はお粗末なもので、「個人は自分の満足の最大化だけを目的として行動する(他人は関係ない)」という、ものすごく単純な仮定が大前提として組み込まれているのです。
常識的にみて、これは人間心理の深いあり方を表していません。「モノは多ければ多いほど幸福」的な発想に立つので、経済学の生な適用が人間の本当の幸福に結びつくとはいい難いです。また経済学者は、理論を活かそうとするあまり、テキストに載っている沢山の仮定を現実に無理矢理導入しようとします。特に米国で学んだ経済学者にその傾向が強いようです。
そこで「社会を壊しかねない経済学に反論しなくちゃ!」と、会社勤めのかたわら大学院に入学してその辺りの問題を研究したのですが、そこで書いた論文をもとに本を出版しようとしたところ、出版社の人から「このご時世でそんな本は売れません」と言われて断念しました(笑)。
――その後、「人間性の理解」に疑問を持つ人は増えていますか?
馬場真光さん:リーマンショックをきっかけに、弱肉強食の競争主義、利益至上主義はおかしいと思う人がかなり増えて、規制緩和や競争促進が格差拡大につながるという理解が広がってきたと思います。
――いまはどんなお仕事をされていますか?
馬場真光さん:信託銀行から外資系の運用会社に転職しましたが、多忙な日々がつづいて半ば燃え尽きてしまい、50歳を前に退職し、個人で研究所を立ち上げました。今は別の会社でも勤めていますが、今後はこの研究所から社会に向け、人間や自然の本来のあり方を踏まえた、本当の意味で幸福に結びつく経済や政治のあり方について情報発信していきたいと考えています。
そういう中での話ですが、大震災のあった2011年、サラリーマンなど一般人が政治について中立的に学べる日本政策学校という新しくできた学校に入学しました。一般人がこうあるべきだと思う理想がなぜ政治の現場で実現しないのか、その理由が知りたかったんです。
――解明できましたか?
馬場真光さん:『既得権益』と『米国の影響力』が大きな要因だというのが現時点の結論です。
世間ではよく政治と業界の癒着が批判されますが、じつは「既得権益」というものは、消費者であれ住民であれ、社会のあらゆる領域に存在しています。少しでも現状を変えようとすれば、必ず利益を奪われるグループがあって強力に抵抗するのです。そこから根本的な社会改革のためには、一般に人間の自己保存、自己利益の本能をどう扱うかが問題になることがわかりました。
『米国の影響力』については、これも既得権益の一種といえるかもしれませんが、戦後の日本は米国が「うん」と言わなければ、重要な政策はほとんど何も実行できないし、逆に「やれ」と言われたことは大体実行してきたということがわかりました。原発問題、TPP、沖縄基地問題など、何から何まで。
――私もそういう印象をもっていますが、やはり本当なんですか?
馬場真光さん:民主党への政権交代があったときの元大臣の方から直接聞いたお話ですが、大臣になって初めて訪米した際、CIA長官から「私達はあなたのことはすべて知っていますからね」と言われ、脅しのような雰囲気を感じたそうです。別の関係者の方は、「アメリカに出かけて行った仲間がみな元気をなくして帰ってきた。アメとムチにさらされたらしい。」と述懐されていました。反米的な言動をする政治家はじっさい長く続かないのです。
――政治を変えられますか?
馬場真光さん:『米国の影響力』の問題は、国民が真実を知り、もっと日本の政治家を応援するようにならないと難しいと思います。
一方、『既得権益』の問題は、人間の意識の問題ですから、人間の意識のあり方を解明する必要があります。制度だけ変えても問題は本当には解決しません。
現在、ほとんどの人は、漠然と老後の生活に不安を感じています。庶民の苦しみの大部分はこれに関係しているといってもいいくらいです。家族や子どもを守らなければという思いも強いです。この「くいっぱぐれる」不安は、一人一人が独力で生きなければならないという「常識」から来ていますが、昔は今よりも融通しあえる社会があったのです。ところが、現代では人と人のきずなが薄れ、自分と他者を分け隔てる『境界意識』が強くなっています。この『境界意識』が薄められれば政治も経済もきっと良くなると思います。
(突然)「昆野さん、いのちはつながっていると思いますか?」
――いのちですか?(不意打ちを食らい)つながっているとは思いますが…。
馬場真光さん: 私たちはいのちが別々に存在していると思っているけれど、本当にそうでしょうか?私たちはオギャアと生まれる前も死んでいたわけではなく、母親のお腹の中で生きていた。その前は精子と卵子で別々だけれどもそれぞれ両親の中で生きていた。その両親も同じように祖父母の中で生きていた。このつながりが無限にあって私たちは今ここにいる。「人類は家族」というのは単なるキャッチフレーズではなく、いのちのレベルではみなつながっているのが事実であって、一人一人のいのちを切り離されたものとみることは事実ではない。
このような理解が広がれば、今よりも『境界意識』が薄まって、みんなの見方、暮らし方がだいぶ変わってくると思うんです。
――先ほどの「人間性の理解」に通じる部分ですね。それを、これからどのように伝えていきますか?
馬場真光さん:現在、月に一度「エコロジー経済学」というテキストの私的な勉強会を開いています。それは物質的な経済成長には地球環境という限界があり、人間と自然を大切にする持続可能な社会にシフトしていかなければならないということを教えてくれます。
ただこのテキストは人間の意識など形而上的な問題を深めるには少し不足するので、2016年から別の勉強会を立ち上げたいと考えています。そして今後はネットでも情報発信できればと思っています。
私が行いたいことは、「本来あるべき社会の原理を整理して、現在多くの方が取り組まれている様々な社会改善活動を理論面から支え、励ますこと」です。近代の市民革命ではルソーやロックなどの啓蒙思想家がいたからこそ、革命が単なる市民の暴動に止まらず、より民主的な政治が生まれました。それと同じといえばおこがましいですが、右脳的な善意から行われるすべての良き活動を左脳的に支えられるよう物事を整理し発信していきたいのです。
――今を生きる私たちは、何か大切なものを見失い忘れているような気がしています。それは何だと思いますか?
馬場真光さん:先ほどの『すべてのいのちは一つである』ということがまず一つ。そして『できるだけ自然(宇宙)の法則にしたがって生きること』が重要だと思います。
自然の現象には一定の方向性や法則性があります。大体において大きな流れに逆らって動くことは苦しいもので、人間の生き方も自然の法則に則ることが最も幸せな生き方ではないかということまで考えてみる必要があります。
一例を上げれば、自然の生態系ではすべての生物が関係しあい循環が成立しています。人間社会においても、孤独な個人の自己責任や富の格差を固定させる制度ではなく、人と人のつながりをよく保ち、富を円滑に循環させる制度をデザインした方が誰もがパッピーになれるはずです。
――お話しをお聞きしながら、『TEAM社会企業家(社家・シャカ)』の活動と具体的に連動できることはないかと考えていました。
『社家(シャカ)』は、社会企業家・社会ビジネス・社会的企業を増やそうと考え行動していますが、本来私はこの「社会」という文字が必要なくなる状況にしたいと思っています。なぜならば、企業本来の使命は「心豊かな社会」にすることであり、企業は社会のために存在しているからです。
さらに社会的企業の役割・機能として、社会ビジネスが増殖するための『富の再分配』機能が不可欠だと考えています。そもそも社会を良くしたいのに、そこにおカネが流れない状況です。社会ビジネスによって収益を上げている社会的企業が、新たな社会ビジネスを進めようとする会社にどんどんおカネを還元することで、一社単独では難しい社会ビジネスの成功体験者が増えていく。そんな社会の流れをつくりたいと思っています。
馬場真光さん:収益性のある企業が社会ビジネスをしようとするベンチャー等におカネを還元するというのは、『富の循環』、『自然の法則』に近いですね。素晴らしいと思います。社会や会社の中で自分が正しいと思うことだけをすることは、「くいっぱぐれる」不安と背中あわせで難しいかも知れません。その意味で『社家(シャカ)』というつながりは、とても有効な手段になると思います。
――確かに一歩踏み出すことは難しいとは思いますが、会社がおかしいとか仕事のやり方がおかしいと気づいた人が、躊躇して何も発言せず何も行動しなければ自己矛盾に陥ります。その時点で自分の生き方から逸脱していく。一人ひとりは多少の我慢だと思っているかも知れないが、大勢の人がそんなことをしたら社会全体では不満が鬱積してしまう。それが今の社会の状況だと思えてなりません。
馬場真光さん:現在、一部で「ベーシック・インカム」という制度が考案されています。これはすべての個人に一律の最低生活資金を支給する制度ですが、これを実行すれば、「くいっぱぐれ」の不安が薄まり、会社の中でも正しいことを発言し行動する人が増えてくると思いますね。
太陽や大地の恵みは万人が生きる上で平等に与えられています。ベーシック・インカムは、その意味で自然のあり方に近い制度であるとみることができます。
――これから子供たち若者たちに何を伝えていきたいですか?
馬場真光さん:今の子どもたちは、新しい感覚の尊い素質をもって生まれてきていると思います。
ですから今の社会に無理やり染められないように生きてほしいですね。20代、30代の人たちも含め、おかしいものはおかしいとぶつけてほしいです。横の連携を取りながら、より住みやすい社会を自ら築く意欲をもってほしい。その場合には、対症療法的にではなく、自然のあり方に則った動きをすべきだと伝えていきたいですね。
――貴重なお話しをいただき、ありがとうございました。
時計をみたら4時間以上が経過していました。
まだまだ話は尽きない感じですが、一区切りしたところで馬場さんが「高木尚子さんから、昆野さんは臨死体験をされたとお聞きしましたが」と切り出されました。
「ああ、別の星に立っている自分の後ろ姿を見ていただけです。その時はなぜこんなものを見ているのかわからなかったんですが、2ヶ月後の退院時に看護婦さんから、入院当初は若いのにかわいそうにねと言っていたと聞きびっくりしました」と私は答えました。
「他に星は見えましたか?」と馬場さん。
「一切見えませんでした」と即答。
「そうですか。私は物理学にも興味があるのですが、宇宙にいると夜空の星は見えないと聞いたことがあるので気になっているんです。」と馬場さん。
その後アポロ8号のあの映像を見ながら、「やはりそうかもしれない」と二人で納得していました。
馬場さんのお話しは、多くの人が経済的豊かさを追い求め生きている中で、その経済がいかに人間性を軽視しているかをわかりやすく教えてくださいました。
人間が、人間性を軽視して生きる先に何があるというのでしょうか。
地球を見て感じる懐かしさと同じように、私たちは心の奥底にある懐かしさを想い起しながら、「本当にたいせつなものは何なのか」いつもそこに立ち還って生きることを心掛けていかなければならないのでしょう。
馬場さん、本当にありがとうございました。
■馬場真光(ばばしんこう)さんのプロフィール
1962年生まれ。学生時代から人間の心と政治経済の両方に関心をもつ。大学卒業後、日系、外資系の金融機関で実務経験を積んだのち2011年に退職、ヴェリタス総合研究所を創設。現代の物質主義的な人間観・自然観から脱した新たな人間像と経済社会のあり方をテーマに研究活動を行う。現在、金融関連の会社で監査の仕事に従事するかたわら、私的な勉強会の開催、執筆、企業での講演などを行っている。学術博士(人間学専攻、名城大学)、経営学修士(金融論・組織論専攻、米国ノースウェスタン大学)。主要論文・訳書:『経済学の基礎としての人間性の理解について~ウィルバー哲学の見地から~』(中部哲学会年報第37号)、ローマ教皇庁教理省『生命のはじまりに関する教書』(共訳、カトリック中央協議会)