アヌサティ【般若心経】


分かち合いたいこと


“Objective art comes from an empty heart.
You become a hollow bamboo flute.
Then universe starts to sing through you.
The only thing you can do is to not disturb in anyway.
Just allow the universe to flow and let yourself go.
Objective art is created in this way.” by Osho

「客観芸術は空っぽのハートからやってくる。
人はただ笛 ー中空の竹ー になる。
すると宇宙があなたを通して歌い始める。
あなたが唯一できるのは、どんなふうにもその邪魔をしなかったということだ。ただ宇宙があなたを通って流れていくのを許すだけでいい。
わが身を手放し、宇宙があなたを通っていくのを許していると、客観芸術が創造される。」  

オショーより


ペインティングとは曇りのない鏡のようなもの。
その時の自分の在り様またはどんな精神状態や感情の中にいるのか?潜在意識までも深く映し出し、私に見せてくれます。自己を知る未知への旅とも言えます。

私はインドでセラピーや瞑想をベースにしたアートを学びました。
思考やアイディアの中にいない時、空っぽで且つエネルギーで満ち溢れている純粋な源とつながることが容易になっていきます。
すると、絵はただ起きます。全ては自然に起きるのです。
私は中空の竹のように空っぽになり単にエネルギーを変換するだけです。
抽象的でわからない表現かもしれません。

例えば最初に直感で黄色い絵の具で描き始めると、この黄色が次の絵の具の色を連れてくるような、指し示してくれるような感じ。
絵筆が何かに応答して自由に動いていくのを私が見ている感じ。
私は次に何をどうしたらいいのか?とか考えていないのです。
思考やアイディアに囚われている時にはそういったことは起きません。
そういった状態ではエネルギーが滞った感じになり一歩も動けなくなるのです。
ある意味その状態の自身を観ていることが自己の気づきとなります。

アートとは空っぽさの開花!愛のダンス!新しい次元への跳躍!  

アヌサティ




アヌサティ「自分を知る旅」






般若心経(Heart Sutra)との出会い


般若心経シリーズのはじまり

1994年、マウイ島、ハレヤカラ火山中腹に住んでいた折、突然、降ってきた?とでも言うような般若心経のフレーズ。
何故なのか? わかるよしもなく、何度も何度も不意に声にしていた。

それならば、その中に入っていってみようと思ったことから始まりました。

般若心経の深淵さ、その世界観を理解することもできていない私に何ができたのか?唯一できたのは般若心経を宇宙に丸投げすること。Oshoの語る客観芸術に心を留めて書き始めることでした。

ここで、みなさんと共有したいことの一つに柳澤桂子さんが訳した般若心経があります。
30年以上も病床に臥した彼女が科学者としての視点から深く宇宙の、そして、私たちの在りようを現しています。

NHKアーカイブ【『いのちで読む般若心経』 生命科学者 柳澤桂子】はこちらから。




今、ここに在る

ものごとは予期せぬきっかけで始まることが多いのではないでしょうか?
私の場合もまさしくそうでした。
1987年、インドである事情から突然2階から飛び降り2ヶ月半の寝たきり状態になりました。幸いにも骨折はしてはいなかったものの内臓、骨盤、背骨にかなりのダメージを与えてしまいました。毎日アユルベーダのよくわからない黒い液体を摂り、酷く痛む中、努めて友人のアドバイスに従い背骨から息を通していました。
「動物的回復の速さだ!」と驚かれましたが、ハイハイ、掴まり立ちを経て、私は再び歩いていました。もちろん、とてもゆっくりと、腰に手を当てながら下向き加減に、、、観える世界が変わっていたのでした。庭の小さな草花が、日陰のキノコがクッキリと飛び込んで来ます、足を前に進めているのですが自分は垂直に在り動いていない感覚を体験しました。

その頃に「白黒の絵を描きたいんだ!」と腹の底からの叫びが起き、黒い水彩絵の具で線を描き始めると数日後にはもやしのようなひらがなを書いていました。自己流の草書体風のユーモラスな書体で書き続けていると自身の中心にストン!と降りていて、静かで穏やかなスペースを味わっていました。寛いでいればいつでもそのスペースに入っていくことが可能でしたし、書の世界はもうすでに知っている感覚で懐かしいのです。体力が付いてくると大筆の漢字も加わり、後には色の世界へ導かれました。

1990年、再びインドのアシュラムへ。何故かアパートで引きこもり生活。部屋中に白いカーテンを吊して絵と書で遊んでいました。水汲みにだけアシュラムに通う日々、友人のペインティングスタジオを訪ねた折に出会ったのが生涯のパートナーとなるギテッシュでした。瞑想をベースにしたぺインティングワークショップをリードしながら、独自の方法でアクリル画制作をしていた彼に触発され、どんどんと色と形の世界へ没入していきました。その後、2人のコラボレーション作品も生まれました。彼の絵の上に私が書を載せるのですが、絵の前に座りそのエネルギー、雰囲気を受け取り、湧いてくる言葉を書き入れていくのは緊張の瞬間でありそして歓びでした。

2020年3月、かけがえのないパートナーは別の岸へ旅立ちました。
全ての感覚を麻痺させてその痛みから逃げ、絵ももう描けない!と決めていたことに気づき始めた頃に大きな声で言われました。「僕を言い訳にするのはいい加減にやめなさい!」まるで目の前にギテッシュがいるかのようにリアルでした。

私はゆっくりと起き始め今にいます。

私の人生を生き始めよう!自身の源に還る旅は続いているのだから。
アヌサティはサンスクリット語で思い出すこと。本来の自分、家に帰ることの意味。





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ギテッシュ 回顧(動画)


ギテッシュ(ウェブサイト)