山本遼さんへのリレーインタビュー

株式会社松陰会館の三代目 佐藤芳秋さんからのリレーインタビューは、R65不動産代表の山本遼さんです。
山本遼さんは26歳。学生の頃、社会起業家がブームのように取り上げられている中、3.11以降にボランティアで行った陸前高田の地元企業の社長に影響を受け、高い志を抱き、自分の生き方を貫いていこうとされています。
日々、何のために仕事をしているのかわからなくなってしまっている人が多い中、山本さんは困っている人をみるとどうしたらいいのかを考え行動する生粋の“社会企業家”です。
いつもフラットな視点で観ている山本さんは、自分を相手の立場に置き換えて考えることを身に着け行動されています。

インタビュー当日は、なんと会社設立当日でした。
会社設立を祝い、まずはコーヒーで乾杯!(聞き手:昆野)

――どんなお子さんでしたか?

山本遼さん:幼稚園の時はゴジラになりたいと思っていました(笑)。

――ゴ・ジ・ラ?

山本遼さん:はい。ゴジラは人間のエゴでできた生物なのに地球のために生きている。そこがひねくれているけど「カッコいい」。
小学生の頃は化石を掘る人に憧れていましたが、きっと自分でゴジラを掘りたかったんだと思いますね。

――はあ・・・、ゴジラというのはヒーロー、悪者どちらですか?

山本遼さん:ゴジラは水爆実験の放射能を浴びた古代生物なんですよ。ゴジラ自身に意思があるかどうかわかりませんが、地球外生命体から地球を守る生物です。あの外見だから人類の敵と見なされていましたが、地球外生命体が来るたびに地球を守る。それがゴジラの役割、だから悪者ではないと思うんです。 僕は、そのひねくれ加減がすごく好きでしたね。

ゴジラと戯れる山本さん

――なるほど。山本さんのその正義感はいつ頃からですか?

山本遼さん:大学の時、「カッコいい」と思える人が偶々社会に対して何かやっている人が多かったんです。大学の教授やNPOの人たち、3.11以降にお世話になった陸前高田の会社社長など。
憧れで動いているかも知れないですが、自分の中でそうありたいと思えるものがあります。

大学4年目の時、アルバイトで様々な企業を取材しました。その際、仕事に誇りを持っている方、そうでない方、本当にいろんな方がおられました。小さい頃から、母が働く仕事の様子が楽しそうでした。自分の仕事に誇りをもっている人はすごく「カッコいい」。そういう大人になりたかったんです。

――大人がつまらなくしてたら、子どもたちは楽しく生きていいのか躊躇してしまいますよね。

山本遼さん:仕事のやり方やその内容に疑問をもつことを我慢するのはあまり良くないと思っています。最終ゴールのアウトプットを疑問に思っていると、仕事に歪が生まれるのかなと思います。

――最初の職業は何でしたか?

山本遼さん:前職も不動産屋でした。愛媛県の不動産会社に勤めていました。

――理工学部でレーザーの研究をしていて、なぜ不動産屋に入社されたんですか?

山本遼さん:偶々面白そうな会社が不動産屋だったんです。愛媛で30年程不動産をやっているのに新しいことにチャレンジしていて、特許を取ったりどんどん若手に任せているので面白そうだなと思ったんです。

――今26歳。どれくらい勤めたんですか?

山本遼さん:4年目の5月に辞めました。

――辞めた理由は?

山本遼さん:入社2年目の頃、その会社が初めて東京進出を図ろうと出店した際に、上司と2人で東京に出てきて、慣れないところで慣れないことをするのがすごく楽しく面白かったんです。でも、一方で利益を出すことと人の役に立つことが会社のルールに適用すると競合する部分があったので、自分の中ではちょっと違うなと感じ始めました。
じゃどうするか…。長い目でみた時に会社にずっといたら試せないことが残ってしまうので、自分の力でやるならどうしたらいいかと考えました。
健全に自己責任でやるとしたらどうするか…。結局辞めました。

――以前から人の役に立ちたいという気持ちが強かったんですか?

山本遼さん:そうですね。大学4年の時に、3.11のボランティアで陸前高田に何回か行く中でお世話になった地元企業の社長の影響が大きかったと思います。僕の中では社会人1年目がそこだったと言っても過言じゃないくらい濃かったんです。

陸前高田では、自身も被災者ながら地域の為に何ができるかを考え、事業をされている社長達に影響を受けました。
人の役に立ちたいということもそうですが、次の時代にどのような社会を残していくか、そんな風にお仕事されている姿は素敵だなと感じます。

――今の仕事の社会的意義はどういう点にありますか?

山本遼さん:社名を“R65不動産”としたように、自分が65歳になった時に年齢で差別される賃貸は嫌だなと思ったんです。
社会人3年目の春に80歳のおばあちゃんが来られたんですが、その時うちはすでに5軒目で、僕も必死にいくつかの不動産屋に物件を聞いてみたんですが、全く貸りられる物件がありませんでした。
高齢者全体の一割の人が賃貸で困っているのが実態で、それを考えると自分の中ではそういう状況が嫌だなと思ったんです。社会的な意義といえるのかどうかわかりませんが、自分が高齢で同じ立場にたった時、賃貸が借りられなかったらとても困るしその現状を何とかしたいと思ったんです。

――それでいいと思います。自分をエンドユーザーとして位置づけ考える、それでいいんです。そこに究極のニーズがありますから。先に商売を考えてしまう人が多いけれど、そういう人たちはどこにどういうものを提供すればいいかを考えてしまう。そこにはセールスとマーケティングの違いがはっきりと浮かび上がってきます。まずは何が求められているかがわからないと、押しつけになってしまいます。

山本遼さん:そうですね。求められる声に応えていけるように僕自身ももっと成長していきたいです。 高齢者の元気な姿は、純粋に『カッコいい』と思うんです。
僕のおばあちゃんは、自営の薬屋の店に立って仕事をしています。風邪薬を一つ売るのにお客さんと1時間ぐらい話をしています(笑)。毎日毎日背筋をピンと伸ばしてお客さんを向かい入れる準備をしている姿がすごく『カッコいい』。 福祉施設で仕事をしている母は高齢者をいつも見ていますが、あんなにピンと背筋を伸ばしている人はどこにもいないと言っていました。
結局、住環境がそういう『カッコよさ』に大きく影響している。最近思う『カッコいい大人像』がおばあちゃんの姿です。

――不動産業でなくてはならないと思いますか?

山本遼さん:不動産業でなくてもいいと思っています。不動産を入り口にして何歳になっても働けるとか、高齢者が地域活動に参加しやすい環境や雰囲気をつくりたいと思っています。
不動産というのはすごい資源なんですよ。 誰かが何かを始めようとした場合、不動産という箱を用意してあげるだけでその人の活動は伸びていくし、そこから新しいものが増えていく。すごくそう感じますね。

――いいですね。当面はエリアを限定し顔の見える関係づくりをしていく中で実現性を高めていくことが大切ですね。松陰通り商店街の方々のインタビューでそう思いました。

山本遼さん:そう言えば最近やたら65歳以上の事情に詳しくなっちゃって、例えば定年後は「キョウイク」と「キョウヨウ」が大事って教えてもらいました。「キョウイク」は今日行くところ、「キョウヨウ」は今日用があることが大事だそうで面白いなと。
そういうことを聞くと図書館に集まっている高齢者やシルバー人材でも、単純作業ではなく、こういうことをやってみませんかと提案したくなります。

――R65のRとは何ですか?

山本遼さん:18禁の場合R18といいますが、それと同じような意味合いです。
特に高齢者の手助けになりたいと思いつつも、シニアやシルバーという名称では受動的なイメージになるので、そうではなく高齢者が自分たちでステージに上がってサービスを提供していく立場になってもらいたいと思いR65と付けました。

――高齢化社会の問題が取り上げられることが多いですが、元気で働ける高齢者が増えれば問題は薄まるはず。認知症の人が増え、要介護者が増え、寝たきり老人が増える等々の現状を引きずったままで高齢化社会を考えるから問題山積になるんだと思います。
元気な高齢者を増やすためには、対処療法的な医療や薬依存から脱却しなければならず、“医者は治す人私は治される人”ではなく、病気になりにくく病気が治りやすい心身の状態を取り戻していくことが大切です。それを企業向けに対応していこうとしているのが『原点回帰』というサービスです。
ところで
高齢者が賃貸住宅を借りるニーズは多いんですか?

山本遼さん:見えないですが結構ニーズはあります。
高齢者が自分で引っ越す場合は賃貸を選び、家族がサポートする場合は施設になる可能性が大です。だから高齢者にとってはアンチ施設みたいなところがあるんです。そういうのを見ていて「年齢による引っ越せない差別をなくしたい」と思いました。
また身元引受人についても気になっているテーマで、身元引受人がいないから施設に入れない人もいるようです。

――成年後見人をしている司法書士などと連携するといいかも知れませんね。

山本遼さん:なるほど!(メモを取りました)

――お年寄りが好きなんですか?

山本遼さん:わからないですね(笑)。特段好きという訳ではないですが。
ただ学生の頃から社会起業家を見て「カッコいいな」と思っていて、今自分が誰かの役に立てるとしたら高齢者だということだと思います。
おかげさまで65歳以上のお客さんたちにモテるようになりました(笑)。 もしかしたら、皆さんの孫のような存在になっているのかもしれませんね。

なぜか若い女性と一緒の山本さん。話が違うんじゃない?(笑)

――私の場合はビジネスによって社会の役に立っている実感を得たいという、漠然とした想いがありました。社会があって企業があるのだから、企業が社会の役に立つのは当り前。でもそんなことそっちのけで自分たちの利害最優先でみんな仕事をしている。

山本遼さん:そうですよね、そうですよね。

――周りの人と社会的な仕事について話すことはありますか?

山本遼さん:学生の時はよくしていましたが、最近は恥ずかしくてできないです(笑)

――恥ずかしい??

山本遼さん:よく社会的な意義がある仕事だねと言ってもらえますが、僕自身は目の前のことで一杯一杯で、今、目の前にいる人がどうやったら幸せになるかを考えるけど、社会となるとちょっと恥ずかしいですね。本当はそこまで行きたいけれど。
同世代の中にも、自分たちの暮らしをおカネ以外のもので豊かにしたいと考えている人たちは結構いますね。

僕らの世代は、ゆとりゆとりと言われますが、僕らが生きてきた20年は失われた20年とも言われます。阪神淡路大震災、ベルリンの壁崩壊、9.11、リーマンショックといい話があまりない時代でした。 周りが不景気だ不景気だと言っている環境で育ったため、不安定さを感じながら生きてきたのかも知れませんね。

僕らの世代はある意味で環境が整っていたと思います。中学の頃には自宅にPCがあり、わからないことはネットで調べればでてくるし情報発信もしやすい。携帯が出てきてさらに発信しやすくなった。手軽になった。 すごく挑戦しやすい環境です。挑戦している人を見ていると失敗しても許されるんだとわかった。 大事なことに挑戦していきたいですね。

――周りは会社員が多いですか?

山本遼さん:そうですね、起業している人は少数で会社を辞めても転職が多いですね。 企業については良くも悪くも外から見える時代になったので、社会のためにやっているかすごくわかりますね。

――子どもたちに何を伝えていきたいですか?

山本遼さん:仕事は楽しいと伝えたい。辛い場面もあるがそれは目的意識の違いによるもので、目的を達成するために辛い反応が返ってくることはあるかも知れないし、辛い事象が起こることもある。「やりがい」をもってやれば楽しいし、振り返ってみた時に自分の仕事に自信ももてるのかな。
これからの社会はいろんな可能性に満ちていると思うから。誰かに何かを言われてやるだけじゃなくて、自分なりに主体的に生きた方が絶対楽しいと思います。大変だけど(笑)。
そういうことを伝えていきたいですね。

――同世代の人でそういう考えをもっている人は少ないのでは?

山本遼さん:少ないです。多分、“楽”なんですよ。言われたことをやるというのはしんどいこともあれば、自分で選ばなくてもいいという“楽”さがある。
自分で選ばない“楽”さを結局みんな取っているから、組織からは抜け出せない。それは否定している訳じゃなくて、そういうことなんだなと思っています。

――社会企業家を起業家ではなく“企業家”としたのは、会社員であっても会社にいながら楽しく仕事ができ、会社を変える原動力になるとか、変われる人を増やしたいと思ったから。起業は手段、手段にこだわる必要はない。

山本遼さん:起業はわかりやすいし本質を問われるけど、社内にいる人が芯をもって自分のやりたいことはこれだと考え、社会の役に立つことをやり始めれば企業を動かしていくことができるから面白いんだなと思いますね。

――社会をよくするために何をしたいですか?

山本遼さん:環境を楽しみたいですね。物事をフラットにみると、実はいいことも悪いこともない。雨が降ったらしんどいとかじゃない。雨が降っても、じゃどうしたら楽しくなるかなと思えるスタンスでいたい。どうしたらいいかというポジティブな心理が社会を良くしていくんだなと僕は思っているので。
楽しむことで社会を変えたいですね。ゆとり世代っぽい考え方かも知れませんが。

――いいですね。
どうも多くの人が言っている、いいこと悪いことというのは、その前に「都合の」という言葉がついています。

山本遼さん:なるほど、なるほど。(またメモを取っている)

――自分にとって都合がいいか悪いかを言っているだけ。起きていることは公平です(笑)。

山本遼さん:フラットに見ると何でもないことだけど、自己主体的になり過ぎて、そこがみんな抜けてる。 状況を楽しめるかどうかも自分の力。そういう力をもっていたいな。

――本当にいい仕事をするためには、お客さんと同じ目標をもち目標に向かってまずスタートラインに立つことがとても大切なことです。契約時点でどのようにスタートラインに立つか、それは営業のプロセスによって決まります。単に契約すればいいじゃなくて、本質的にいい仕事をしなければつまらないし成長もない、社会もよくならないですよね。

とても刺激的で心が洗われる思いがしました。
ありがとうございました。

ゴジラになりたかったという山本遼さんは、仕事に誇りをもって生きることの尊さを知っておられます。
それは、おばあちゃんやお母さんの働く姿をみて「カッコいい」と思ったことが原点であり、そういう大人になりたかったと言っておられました。
その感性が、3.11後に出会った人々や仕事を通じて接した高齢者に触発され、生きる確信につながっています。 そこには時代や世代を超えて人間が共通にもつ素直な心があり、理不尽なことを我慢したり誰かや何かのせいにすることを恥ずかしいと感じます。大人が子どもたちからどのように見えるのかを理解し、子どもたちには楽しく生きてほしいと願っています。
「雨が降っても楽しめる」
本来、雨の日には心穏やかになるのが人間ですから、山本遼さんはありのままに生きている希望の人といえるでしょう。

■山本遼さんのプロフィール

平成2年1月18日生まれ 26歳 男性
愛媛大学卒業後、新卒として、愛媛県の不動産会社に入社。社会人2年目で、転勤のため上京。上京後は主に地方からの一人暮らしの方を中心に不動産を仲介。仲介業での経験を活かし、社会人4年目5月(25歳の時)独立。
趣味は、旅行。まとまった休みができたら旅行に行き、去年は個人的に離島ブームでした。

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