藤本正樹さんへのリレーインタビュー

保育士で『保育ドリームプラン・プレゼンテーション』と『Child+(チャイルド・プラス)』の代表 菊地奈津美さんからのリレーインタビューは、『ふじもん先生の旅プロジェクト』代表の藤本正樹さんです。

世界86か国を旅している藤本さんは、自称『日本一熱苦しい男』。元々、高校・中学の教師をされていましたが、今も自分の目で見て考え感じた“世界のリアル”を日本の子どもたちに伝え続けています。

いつしか変わり映えのしない日常を過ごし、生きることに息苦しさを感じている子どもたちにとって、自分たちとはまったく異なる体験をしてきた藤本さんが目の前にいて、見たことも想像したこともない、信じられないような温かい人たちのことや悲しい現実などを語ってくれる。きっと心躍り、血が騒ぐような感覚に駆られてしまうことでしょう。

出会った人の人生観を根こそぎ変えてしまいそうな、そんな雰囲気をもった藤本さんのお話しが始まります。(聞き手:昆野

――まずはどんなお子さんだったんでしょうか?

藤本正樹さん:普通です。どちらかというと活発な方で、運動で脚光を浴びるタイプでした。

――(何が普通なんだろう?)かなり活発だったということですね。

藤本正樹さん:小学の低学年まで野球をやっていましたが色々あって止めて、中学時代は自分の中では暗黒時代でしたね(笑)。とにかく中途半端で、ヤンキーからいじめられないようにつかず離れずに、かといって仲間になる勇気もなく、家に帰るとこっそり勉強していました(笑)。そんな自分が嫌で嫌でしょうがなかったですね。

こんな人生送ったらいかんぞ!と高校に入って奮起して勉強もするようになり、部活で空手をやり大学から極真空手を始め今も続けています。

トラウマのようになってしまったのが小学3年の時の算数で、先生が僕のことをめちゃくちゃ貶めていました。それ以来、算数が恐怖です(笑)。

――子どもの頃、夢はありましたか?

藤本正樹さん:夢は、プロ野球選手でした。小学生の全国大会に行くような強豪チームでしたが、今想ってもあんな指導ありえないだろうというもので、とにかく人格を否定されました。恐怖でしたね。野球がまったく楽しくなくたってしまい、小学5年で止めました。
子どもの頃の先生や指導者の影響って、その人の人生にとってものすごく大きいですよね。
高校になってから正義感をもち始めたのか、お巡りさんになりたいと思いましたが、その後教育の道を選びました。

――『ふじもん先生の旅プロジェクト』という名前を聞いただけですごく面白そうですが、主にどんなことをされているのですか?

藤本正樹さん:メインは講師業です。主な対象は学校でして、小学校から中学校、高校、大学、専門学校、さらには塾にまで、子どもたちや若者たちがいるところにはどこにでも行きまして(笑)、講演や出前授業、ワークショップ等を行っています。世界への旅を通じて僕が感じてきた、今の日本の子どもたちに知ってほしいこと、考えてほしいことを伝えていくべく、またこれからの世界を生きていく大切な人間として少しでもヒントを与えるべく、日本各地で活動をしています。僕はこの活動を「旅×教育=世界一の授業」と銘打っております(笑)。

福島県の被災地・新地高校にて。民族衣装で登場。どこでも人気者になれそうです。

僕が子どもたちや若者に伝えたいことは、大きく分けて3つに分類されます。
1つは「真」。ニュースでは危険なことや特殊なことばかりが報道されるので、どうしても「世界って怖いんだなぁ」という印象を与えられてしまいますよね。でも、実際に行ってみると、ほとんどの地域でそんなことはないんです。そんな「真」の姿を伝えています。
2つ目は「魂」。グローバルグローバルと巷では言われていますが、実際のところの「グローバルって何だろう?」という人がほとんどだと思います。様々な情報ばかりが飛び交う時代だからこそ、しっかりとした「魂」の持ち方を子どもたちに伝えつつ、一緒に考えています。
3つ目は「志」。「真」を知り、「魂」を持つことが出来たら、あとは未来に向かって自分の道を進んでくのみ。混沌とする現代だからこそ、希望を失わず、自分の道を進んで行ってほしいですよね。そんな情熱と人生のあり方を子どもたちに伝えています。

その他にも、いくつかのサイトで教育や旅系の記事を書いたり(文末のリンク先を参照)、書籍を書いたり、先日はクラウドファンディングでご協力を得ながら、旅をしながら世界を学べる教材「ふじもん先生の世界の学習帳inインド」の開発も行いました。また、今後は東京書籍さんとの提携が決まりまして、東京書籍さんのWEBサイトの中に自分のコーナーを作っていただけることになりました。

――ところで、どのようなきっかけで世界中を旅するようになったんですか?

藤本正樹さん:大学を卒業して、スキー選手としてニュージーランドでトレーニングをしたことが大きなきっかけになりました。「何て自分は狭い世界にいたんだろう」、旅人や現地に住む日本人と出会い、世界の広さを感じましたね。「もっと世界のことを知りたいなあ」、そう強く思いました。旅人と話をしていてとにかく好奇心が掻き立てられましたし、何といってもそこにある空気そのものが一番僕の心を動かしました。それが一番のきっかけです。

――それほど衝撃的だったんですか?

実は、その後の旅の方が衝撃的でした。オーストラリアからインドネシアに行きアジアを中心に途上国を回った際に、その国々の状況はある程度ニュース等で知ってはいたけど、実際行ってみてこういう生活をしているのかと初めて知ることも多く、特にインドなどではたくさんの子どもたちが物乞いとして生活をしており、足元にしがみついてくる子どもたちもいました。やはりそういう状況を目の当たりにした時、とても大きな衝撃が走りました。
その時思ったことは、今までの自分の人生を思い起し「このままでいいのかな?」ということと、これから自分はどう生きればいいんだろうということでした。
同じ地球上に生きている人たちがこんな状況で生きていて、これから日本に帰ったらまた普通の生活に戻ってしまうだろう。「本当にそれでいいのか?」すごく考えさせられました。自問自答の繰り返しでした。

タイとミャンマーの国境付近にある、首長族の村の子どもたち。

大雨の被害を受けたインドのスラム。この水害で、20以上の家屋が流された。

――そう思えたのは、子どもが好きで子どもにとっての未来を考えているからではないでしょうか?

藤本正樹さん:もちろん今は子どもが好きなんですが、当時はそれほどでもなかったと思います。むしろ社会問題を解決したいと思い、教員になろうと思ったので。なぜか小さい頃から貧困、紛争、環境問題などに強い関心があって、その解決のためには教育を変えなければと考えるようになりました。つまり人を育むことや人間の意識が変わらなければ社会は変わらない。そういう視点から教育に関心がありました。
元々は警察官になりたかったので、世の中の平和を守っていきたいなという漠然とした思いがありました。ただ警察官は何か事件や犯罪が起きてからが仕事で、大事なのは犯罪を犯す人をつくらせないようにすることだと考え、そこで人間を育むことが大切だとわかって初めて、僕の中に教育や教師という選択肢が出てきました。

――旅先で、世界の中の日本をどのように捉え直しましたか?

藤本正樹さん:まず最初に思ったのは、日本はなんていい国なんだろうということでした。今まで日本でしか生きていなくて、自分が“実体験”で感じることは一度もなかったので、ありきたりのことのように聞こえるかも知れませんが「本当にいい国なんだなあ」と思いましたね。清潔できれいで物事はきっちり運ぶし、日本に生きていることはとても幸せなこと。
何より平和で、夜出歩く時など本当に身の危険を感じることもなく、酔っ払ってそこら辺で寝てしまっても大丈夫!(笑)。何て素晴らしい国に生まれ育ったんだろうと、心底感じました。

――日本ほど平和な国はないですか?

藤本正樹さん:日本だけがそうかというと決してそうではなくて、むしろメディアで知る限りでは危ないといわれている国でも、そんなに危なくないんですよね。そこがとても大切なことで、やはり自分で行ってみないとわからないということ。現実を自分の五感で感じ生きることが、混沌とした時代だからこそとても大切なことだということを、子どもたちにも伝えていきたいんです。
私が見てきた“世界のリアル”を伝えることと同時に、みんなもいろんな体験を通して直に自分で感じ確認し生きてほしいと思っています。

――対立しているのは常に国家間であってその国の人びとではない、そう藤本さんは発信されていますね?

藤本正樹さん:人と人が触れ合った時には、どこの国の人なのかということはあまり関係ないんです。ただちょっと政治や宗教のことなどが入ると難しくなっちゃいますが、人間と人間が向き合ったらみんな“いいヤツ”なんですよ!

――86か国も回っていると、言葉が通じない国も多かったでしょうね?

藤本正樹さん:通じるところはほとんどないです(笑)。何の問題もないですね!

――藤本さんの生き方はいつも自分に素直で、人間にとって本当に大切なものを見失わないように生きている感じが伝わってきます。

藤本正樹さん:多くの人は、働くことは大変なことを歯を食いしばってやるもんだと思っていて、生きることは忍耐だとかいって、面白おかしく楽しくやりたいことをやっていく人生なんて、実際にはないんだよという思い込みが強くあり、刷り込まれているような気がします。進路についてワクワクしている子どもたちはすごく少なくて、やらされ感によって高校や大学に行き、はい就活の時期ですね、なんていうこの流れ。
そもそも僕がスキーを続けた理由は、就活にすごく疑問があったからなんです。就活の時期が来たから、昨日までチャラチャラしていた人が急にみんな同じ格好や髪形をしていました。何なんだこの異様な連中や空間はと思っていました。こんなことで自分の人生が決まっていくと思ったら、ぞっとしましたね。こりゃ嫌だなと。
スキーの先輩も、いいよな学生のうちはとか、これから社会人になったら何にもできなくなるよといったネガティブな人が多くて「そんなつまらない人生が待ち受けているのか・・・」と、すごく考えましたね、その時。ここで人生が決まってしまっていいのかと自分を問い詰め、じゃお前に何ができるの?何がしたいの?
その結果、僕はスキーがしたいんだ!と強く思ったんです。アスリートとしての生き方に憧れていて、スキーが本当に楽しかったので、多くの方にスキーの素晴らしさを知ってほしかったし、そして何より今目の前に情熱100%のものがあるのに、それに背いて生きていくなんて嫌だ!って思いましたね。一方で、スキーをすることで環境・教育問題の解決につなげていくんだというと思いもありました。
ただその時スキーを選んだことで、自分の人生をグニャグニャにさせてしまいましたが(笑。

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ニュージーランドでのトレーニングの様子。

――後悔はしてないでしょ?

藤本正樹さん:「全然してないです!」と、今でこそ言えますが(笑)。正直言って卒業して5年間は本当によかったのかなと思っていましたねえ。
同期の多くがサラリーマンになっていて、たまに飲みに行って話しているとみんな社会人やってるんですよ。彼らからみるとある意味僕は好き勝手やっているように見え、羨ましくも思えるようでしたが、僕の中ではコンプレックスがあったり、これでいいのかと悩むことが多かったですね。

――旅をして感じた“大いなる矛盾”とはどういうことでしたか?

藤本正樹さん:世界のしくみそのものが矛盾だらけだなと感じます。そもそも資本主義とか大量生産・大量消費の社会って何なんだとずっと疑問に思っていて、モノを大切にしなさいと教えていながら、大量に消費して捨てていること自体おかしい。なんだよ、そりゃって。
しかも途上国の人たちの犠牲の上に成り立っている。それが一番許せなかった。

戦争もそうですね。
残念なことに、戦争は1つの大きなビジネスになってしまっている。難民キャンプを訪れたとき、この不幸な現実の上に数え切れないほどのお金が動き、一部の人が潤っているのかと思うと、心が張り裂けそうになった。そんなしくみが許せないけど、でもどうにもできない。そんな“大いなる矛盾”を常に感じ、心を痛めながら旅をしていました。
厳しい生活をしている何億人もの上で僕ら日本人も生きている。矛先の向けようのない怒りや矛盾、不条理を感じた時に、もって行き場のない憤りを感じました。

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エチオピアの砂漠の村。格差と貧困の不条理を感じずにはいられない。

――3.11前後にエジプト、チュニジア、リビア等でアラブの春と呼ばれた民主化運動が起きましたが、あれを見ていて先進国は民主化に移行する国々をマーケットとしてしかみてないなと感じました。資本主義経済において優位な国々が、今後も継続的に優位性を発揮するためのしくみをつくるために民主化の移行を支援しています。
たとえ先進国が過去に失敗を重ねてきたエネルギー政策であっても、原発や資源エネルギーの輸出等で新たなマーケットを築こうとしています。その利権争いの場としてしか見ていない人たちが多くいます。それによって経済的な利権を得るのはごく一部の人たちであり、世界中のほとんどの人たちは享受できない。

藤本正樹さん:まさに同感です!「今ですよ」ね、林先生じゃないけど。意識をできる人たちが次のステップに進まなければなりません。

――そもそも資源の乏しい日本が、大量の資源を使うものづくり大国であり続けることは難しいし誰にでもわかること。オイルショックによって原発依存のエネルギー政策に転換し、3.11による福島第1原発の事故によって日本の産業とエネルギー政策の大転換が不可欠な状況でありながら、未だに原発の再稼働を進めようとしている。
この時代を生きている私たちは歴史的汚点をつくることになる。とても恥ずかしいことです。

藤本正樹さん:中国や韓国では原発を増設する計画ですが、もし事故があったら黄砂やPM2.5と同様に放射能が飛んできます。怖いですね。

――日本ですべての原発を止めても、中国で事故があったら日本への影響が大きすぎてほとんど意味をなさないという議論もあります。ただ私は、まず自分はどうするのかを起点に考えることが、とても大切なことだと思っています。原発に限らず複合的な要因で起こることは増える一方であり、その中で常に自分はどう考え行動するのか、自分なりの意思をもつことが重要です。

藤本正樹さん:本当にそうですね。子どもたちに対しても、結局最後に見つめるところは自分の足元だよ、他の子のことを見ることは大事だけど、考え行動の起点は自分の足元にしかないと。
他を広く見つめつつも、じゃ自分は何をすべきなの?ということしかないと思います。
すごく僕は単純なところに帰結しました。

――日本の教育をどう思いますか?

藤本正樹さん:日本の教育の課題は、子どもたちに『考えさせない』ということと、『正答主義の教育』で一つの正解があってそれを記憶させる教育。さらに『点数主義』。そこが一番の問題点だと思います。
ただ多くの国の教育を見て来て日本に戻ってみたら、日本の学校もいい点が多いなあという思いが強くなりましたね。

中学校教師時代の授業中の様子。

――子どもたちにはどうあってほしいですか?

藤本正樹さん:いい意味で批判ができるようになってほしいですね。テレビのニュースや新聞に対して批判的に見てほしい、すべてが正しいと思っちゃだめだよと。教育によるものなのか、多くの日本の子どもたちは自分の意見をもつのではなく、そこにある情報を覚える作業になっています。
『自分の描く未来って何なの?』ということに結び付けていくのがすごく苦手なんです。それができるようになってほしいですね。

――ご自身がメディアに疑問を感じ始めたのは旅を始めてからですか?

藤本正樹さん:そうですね。途上国を回り始めて、予めメディアで得た情報とはまるで違っていることが多かったです。そんな“実体験”ばかりです。
一番好きなミャンマーは、軍事政権下でスーチーさんも長年軟禁状態で危ない国だと報じられていましたが、行ってみたらとんでもなくいい国でした。みんな優しくて。「あれ?全然違うぞ!」、そう感じる“実体験”が大切ですね。次に好きなスーダンもテロ支援国家みたいに言われていますがすごくいい国ですし、3番目のイランも、核開発のことばかり報じられますがとてもいい国です。
これは、すべて“実体験”によるものです。
結局、僕は“実体験”を通して、メディアに対する危機感を覚えました。メディアに対する疑問に止まらず、メディアによる情報とあまりにも違う現実を見て感じてメディアに対する危機感を覚えたことは、僕にとってとても大きな体験だったと思っています。

世界中を回ってみて、僕は視野が広がったというよりも“シンプルになった”という感じなんです。
ですから子どもたちにも、「無限に価値観はあるので、否定するのではなく批判的にものごとを見てほしい」と、すごく簡単なことしか伝えていないんです。

――世の中では、例えば幸せになるためにはとか幸福指数とか言っていますが、私にはまったく理解できないんです。なぜかと言うと、自分自身が幸せと思えるかどうか、あるいはその一瞬を幸せと感じるかどうか、ただそれだけのことだと思っているからです。
結局、根底にあるものは当り前と思っているものへの“感謝”ではないでしょうか。
それに対してメディアのいう幸せは、あたかも一定の水準や基準があって、これくらいのおカネがないと先々大変だよとか、不安要素と絡ませて吹き込んできますね。

藤本正樹さん:まさしくそうで16歳くらいの高校生が、本気で老後の心配をしたり信じられないですよね!とてもさみしいな(笑)。

――不安ビジネスという言い方がありますね。

藤本正樹さん:不安ビジネス?

――結局、人を不安がらせることでビジネスにしているんです。保険もそうですね。心の隙に入り込んできますが、あまりにも一般化され過ぎていて、みんなマヒしているからわからないのでしょう。
不安に思う事柄は、まだ起きていないことばかりです。起きてもいないことをくよくよ考え、多分こうなるんじゃないかと思い込んでいるだけなんですが、ビジネス的にはつけ入る隙を与えてしまっていることになります(笑)。保険以外にも色々ありますが、多くの不安ビジネスは海外から入ってくるものが多く、不安がらせることと商品がパッケージでご提供されています(笑)。そういうことをずっと眺めてみると面白いですね。

藤本正樹さん:そうですよね。人びとは不安を取り除きたくて何かをしたいんですよね。

――多くの人は不安だらけ迷いだらけの中で生きていて、仕事は諦め感、閉塞感、孤独感とか、それが日常。結局それら日常は、一方で不安がらせるという社会のしくみによって生まれているようです。

藤本正樹さん:面白いですね、そこ!そこを視点に世の中を捉え直すと、既存ビジネスも新たなビジネスも違ってみえてきますね。

――不安ビジネスは現代人の弱点を突いていますね。本来、正反対のビジネスを増やしたいですが。
私も3.11以降、悶々とした心の状態が続いていて、ある日ふと「私は何を考えているんだろう」と思い突詰めてみると、亡くなった親族5人のこと、見つからない3人の遺体のこと、墓をどこに立てよう葬式はどうするといったことばかり。一般的には大変なことばかりかも知れないが、今の普通や常識と比べても何の意味もない。時代を遡って考えると家族がどこでどのように亡くなったのか、看取ることも葬式も墓を立てることもできなかった人がどれだけいるのか。そして今困っているのは私ではなく、3.11で命は助かったが被災して家族や家、財産を失って生きていかなければならない人たちだとあらためて思った時、とても恥ずかしいと思えてならなかったんです。
「これからは自分のこと以外のことを考えて生きよう」、私の羞恥心がそう思わせてくれました。

藤本正樹さん:一昨年バングラデシュから帰国した7月頃、僕は無性に不安でしょうがなかったんです。何となく漠然と不安なんです。
実は一昨年、教員仲間と“理想の学びの学校”をつくろうと4か月間ほど話し合ったんですが、結局実現できませんでした。その後昨年インドに行き、とても貧しい生活や、意図的に手足を切断されている子どもたちを見て、本気で日本のため世界のためにやっていくぞと思って帰国したはずなのに、何故か帰国した途端、不安になってしまった。それは何故なのか、自分が考えていることを突詰めていくと、自分のこと自分の将来のことを考えている自分がいました。
結局「僕は僕のことばかり考えているから不安になるんだ!」と気がいた時、とても恥ずかしいという気持ちでいっぱいでした。だってインドでああいう状況の子どもたちに出会い、何とかしなければと思っていたはずの僕が、僕自身のことを考え不安でしょうがないって何なんだろう。こんなに恥ずかしいことはないなって、本当に思いましたね。

いい意味で僕の命なんかいいじゃないか、命を粗末にする訳ではなく大切なもののために尽くし、朽ちていく命であればそれでいいじゃないかと思えた瞬間、くだらない不安がすうーと消えていきました。起きていることすべてを楽しんじゃう、すべてご縁。先が見えないことばかりの世の中で、そう思って生きれば不安も薄れていくでしょう。

テロの現場となってしまったバングラデシュだが、本当はみんな温かくて優しい。

――私は何回か死にかけたことがあって、その度に人生観も変わってきた気がします。さらに3.11で。
人は、生きる上で大切なことをすべてわかって生まれてくるような気がします。それを成長とともに忘れていく。そしていつか何かのきっかけで思い出す。それが生きること。
とても滑稽ですね、でも滑稽なほど楽しいのが生きることなんでしょう。大切なことを忘れさせているもの、ものごとを難しくさせ悩み悩ませているものは“思い込み”。
興梠氏は「この世は、すべて思い込みです」と言われます(笑)。興梠氏は私たちに、そういう根源的なことを教えてくださいます。

藤本正樹さん:“思い込み”確かにそうですね!自分では想像もつかない旅をしてきて、自分の価値観、人生観を考えさせられました。特に日本で生まれてきたことは、どういう役割があるのか?なぜ自分はここにいて、何をすべきなのか?と。
どこの国に行っても日本の評価は高いですが、それは今の日本に対してというよりも数十年、百数十年前の日本が良かったということが多い。つまり今の自分たちのおかげではなく、先人たちのおかげなんです。ひたすら“先人への感謝”ですね!
そういうことをもっと若い人たちが理解してくれれば、それだけでも大きく変わっていくでしょう。

――今の日本は危なっかしい方向に向かっていると思いますか?

藤本正樹さん:おかしくなりかけている部分がいっぱいあると思います。元々は教育の影響によるものが大きいと思いますが、とにかく自分の頭で考えていないし自分の意見を口にし行動することが苦手な人が多い。でもほとんどの日本人が思考停止では済まされなくて、いかに危険な状況かを自分自身で考え直さなくてはなりません。10~20年経ったらとんでもないところに来てしまっていて、「あれ、やばいところに来ちゃってるよ」と、それこそ怖いです(笑)。
コントロールする側からすれば、こんな簡単なことはないですから。

――以前、米国の元軍人で政治家の親日派といわれるアーミテージが「今、日米は同盟国と言っているがこれまで同盟国という言い方はしていなかった。同盟国とは一緒に戦い一緒に血を流す関係だ」と言っているのを何かの記事で読みました。そういう理解をしている人はほとんどいないのでは。

藤本正樹さん:ああ、そんなことまで考えてないでしょうね。

――ところで、子どもたちに何を伝えていきたいですか?

藤本正樹さん:自分が見えている世界がすべてじゃないよ。世界は広いし、実は自分の中の世界もすごく広い。自分の魂のささやき、自分の好奇心の赴くままに生きていったらそれでいいと伝えていきたいです。
すごく息苦しそうな子どもが多いんですよね。高度成長期の価値観で育てられ、本当にそうすることしかできないと思っている子どもが多い。先なんて誰も見えないし、まずは自分がハッピーであればいい。それをわかってほしいですね。

――高度成長期以降、終身雇用でいずれはマイホームだとかみんな安定を求めて生きていました。会社を辞めさせられることはまずないので、嫌なことや理不尽なことがあっても、一家の大黒柱として我慢して仕事をすることが責任であり美意識でもあった。
教育も比べられる場であり、いいか悪いか点数をつけられて育ち、会社に入っても比べられ評価され競争させられ、内向きな思考を繰り返し、自分が関わっている範疇での優位性の中にのみ安定・安心感がある状態です。
だから私は、比べないように意識して生きています。

藤本正樹さん:私も一緒ですね!自分が大事だと思うことを貫くのみです。それしかないんじゃないかなあ。
実は日本に戻ってなんていい国だと思った反面、なんて冷たい人たちなんだろうって思いました。何が「おもてなしの国」なんだと。
中国の人は人間臭さ丸出しの人が多い分、困っている人には温かい。例えば日本で電車に乗っていて感じるのはみんな人に関心がないし、こんなに席を譲らない国は日本だけだなあ、異常だな。見てみぬふりをしますね。ある意味では優しさかもしれませんが、無関心で関わることがめんどくさい、そこで何かあったら嫌。
とにかくネガティブに考えていて、血の通っていない国だなあ、大丈夫かなあって思いますね。

どこの国に行ってもたとえ言葉がわからない国でも、みんな最後に求めていることは『小さな幸せ』です。
それはどこの国でも一緒なんです。

やはり愛なんです。
世界中を、僕は愛を感じて旅をしているんです。

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ケニアの首都ナイロビ郊外のスラムの子どもたち。その笑顔は本当に温かい。

――素晴らしいですね!これからどのような活動をしていきたいですか?

藤本正樹さん:僕はこれからも「旅人先生」として、今後も世界への旅を続けながら子どもたちに「世界のリアル」を伝え続ける人間であり続けます。その中で、日本での活動の拠点として、また世界で学んできたことを形にする1つの場として、学校とは離れた教育の場である学童保育および託児施設を設立する予定です。
これは僕だけの事業ではなく、志を同じくする仲間と共に歩んでいきます。ここでは、都内での託児活動だけでなく、農業をはじめとした自然体験や、子どもたちを海外に連れていくツアーも考えています。

また、来夏には実現したいと思っているのですが、先生方を世界にお連れするツアーもやりたいなぁと。なかなか個人では行けないような場所に先生方をお連れし、先生方への最高の研修にしたいと思っています。それぞれの先生方がそのような場を見、感じてくれれば、その後の教育活動にも大きな変化が間違いなく出ますので、子どもたちに良い影響を与えられるのではないかと考えています。

――いやあ、まだまだ話は尽きませんね!この続きは、仕切り直してやりましょう(笑)。
熱い熱いお話し、ありがとうございました。

これまでまったく違う世界を見聞きし生きてきた私たちが初めて出会い、3時間ほど話をして色々なことに共感し合い、「もっとこういう話をしたいですね、また会いましょう」と別れました。
とても不思議なものを感じます。

世界中を旅していながら、藤本さんは視野が広がったというよりも、“シンプルになった”と言います。
そこに私は、藤本さんの凄さを感じます。

一緒にいて、とても清々しい。
できない理由を並べ立てるのではなく、すべきことを決め実践する。
途方に暮れるような現実を目の当たりにしてきたからこそ、ご自分の歩むべき道を歩み続けている。そう私は感じます。

藤本正樹という人間を通して伝える『世界のリアル』は、決して綺麗ごとではすまされない悲しい現実や、人間の良心、魂の叫びなど、すべてを受けとめてきた藤本さん固有の響きとなって伝わることでしょう。

藤本さんは、淀みのない清らかな人でした。

■藤本正樹さんのプロフィール

大学卒業後、スキー選手として国内外で活動。引退後、ワーキングホリデーにてオーストラリアに渡り、その後アジア地域を中心に世界を放浪し、2007年に帰国する。 帰国後、教育の世界へ。私立高校教諭、板橋区教育委員会特別支援教育巡回指導員を経て、埼玉県公立中学校の教諭となる。同時に日本教育大学院大学を修了し、学校教育修士(専門職)を取得。 2013年3月に中学校を退職。「子どもたちの世界観を広げたい」そして「世界のリアルを伝えたい」という強い想いから、再び世界一周放浪の旅へ。旅中は世界各地で活躍する日本人へのインタビューや、日本人学校および現地の学校への取材活動も行う。世界5大陸縦横断を果たし、合計世界約86か国を訪問。 2015年「ふじもん先生の旅プロジェクト」を設立。自らの旅の経験とそこで感じたグローバル時代に必要な見識について、講演や出張授業、企業研修などでフィードバックする活動を始める。学校や教育系イベントなどで複数登壇。また、自称「日本一熱苦しい男」として、自らの生き様から若い世代にエネルギーを与えたいと願い、これからも世界中への旅を続けながら世界のリアルを伝え続ける「旅人先生」として活動を続けている。

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