甲斐貴志さんへのリレーインタビュー

シンガーソングライターの佐野 碧さんからのリレーインタビューは、看護師の甲斐貴志さんです。 

甲斐さんは今、精神科の医療現場に携わっています。
普段私たちがあまり知ることのないその医療現場では、幻聴・幻覚・幻想に苛まれ苦しんでいる患者が多数入院されています。同様の患者は益々増える傾向にあるといいます。 

その医療現場は、私たちが暮らす社会とは遠いところにあると思われがちですが、入院されている方の多くは日常のストレス等精神的ダメージによって発症されています。
つまりそこは日常の延長線上にあり、いつも隣り合わせにある世界だといえます。

そこで起こる様々なことから、私たちは“人間らしい生き方”について学ぶことができます。 

静かな語り口の中に、様々な患者さんと真剣に接してこられた甲斐さんの生き様が伝わってきます。(聞き手:昆野)

 

――いつから看護師になりたいと思ったんですか? 

甲斐貴志さん:実は中学の頃からずっと音楽をやりたかったのですが、両親からモーレツに反対されていたため、まず「自立」した上で好きなことを続けて行こうと考えていました。その当時はそういう想いがとても強くありました。看護師については、元々母が准看護師をしていて叔母も看護師だったので、小さい頃からすごく影響を受けていたと思います。
私が強く意識したのは、ある日障がい者の方が中学校に講演に来られたことがきっかけでした。たまたま私はその方の車椅子を押す係だったのですが、その方の車椅子を押した瞬間、私の心の中に“人のために何かをする”ことの喜びが湧き出てくるのを感じました。
その時から、医療・介護の仕事に携わりたいなと漠然と考え始めました。

またその頃の私は“対人恐怖症”だったので、自分でそれを克服するためにも、人と関わり手助けできる仕事をしたいと強く望んでいました。そういう想いがあって、資格を取って「自立」できる仕事を考え看護師にたどり着きました。
対人恐怖症だったことから、いずれ精神科で働こうと決めていましたが、お婆ちゃん子だったこともあって最初に選んだところは高齢者の多い療養病院でした。
そんな状況の中で、とにかく自分でちゃんと「自立」した上で、両親に反対されていた音楽など好きなことを続けて行きたいと考えていました。

――ご両親は随分反対されたんですね?

甲斐貴志さん:そうなんです。全否定されていましたね(笑)。

――ご両親はどんな仕事をされていましたか? 

甲斐貴志さん:父はずっとJTに勤務していました。母は私が産まれる時に准看護師を辞め専業主婦になっていました。毎日「勉強しろ、余計なことを考えるな」という感じで、厳しい家庭でしたね。父は勉強、母はおカネや遊びに厳しく、高校の時でも「日が沈んだらさっさと家に帰って来なさい」という感じでした(笑)。 

――兄弟にも厳しかったんですか? 

甲斐貴志さん:妹には若干ゆるかったですねー。「お兄ちゃんのようになったらダメだよ」と言われていました(大笑)。 

――結構、親に反発されたんですか? 

甲斐貴志さん:高校の頃から反発し始めましたね。それまでは従順に育っていましたが。 

――専門学校時代は実家から離れ一人暮らしをされていたんですか? 

甲斐貴志さん:そうです。実家は宮崎県日向市ですが、学校は県内の日南市にありアパート暮らしをしていました。早く親元から離れたいという想いが強かったので(笑)。 

――いい経験だったのでは? 

甲斐貴志さん:そうですね。その時貧乏生活を経験したことは、今に活きていると感じます。 

――「自立」するために看護師を選択して、迷いなどなかったですか? 

甲斐貴志さん:専門学校時代の3年間は迷いなく過ごしていました。
ただ卒業してすぐに横浜市内の病院の内科に従事しましたが、毎朝8:30から20:00過ぎまで残業して、その後先輩に仕事を教えてもらい勉強していたので新人3年間は全くプライベートの時間がない状態でした。
勤めていた病院は結構ブラックな病院だったようで、3年目に他の病院に移りたいと申し入れましたが人手不足を理由に断られ続けました。
結局6年間その病院にいて、その後今の病院の精神科に移ることができました。

――学校で学んだことと実際の医療現場はだいぶ違いましたか? 

甲斐貴志さん:疾患に関して教科書通りの経過を辿る患者さんが少なくて、特に様々な疾患を抱えているは、その患者さん固有の看護が必要になり大変でした。
就職して1ヶ月にも満たない頃に、ある末期ガンの患者さんと毎日接していました。そのはいつも笑顔で穏やかな方で、新人の私を「お気に入り」と言ってくださいました。しかし、ある日疼痛緩和治療で麻薬(モルヒネやオピオイド)を使用した後に、錯乱して暴言を吐くほど人格が変わってしまいました。その時は、とてもショックで悲しかったですね。
また、仲良くなった患者さんたちが毎月のように亡くなっていきました。どんなに経験を積んでも、私はご家族にかける言葉が見つかりませんでした。今でもモヤモヤすることがあります。
それでも笑顔で私の名前を呼んでくれる患者さんがいるとスッと癒され、仕事に喜びを感じます。

4年目の頃に、入院したばかりの可愛いお婆ちゃんの病室から夜中にナースコールが鳴ったので部屋に行くと、お婆ちゃんさんは下を向いて何か言いにくそうな感じでベッドに座っていました。
「トイレ行きますか?」と聞くと『はい、すいません。お願いします』と言われました。そして車椅子でトイレに行き病室に戻るまでの間、私に何度も何度も『すいません、すいません』と下を向いたまま謝っていました。「大丈夫ですよ」と言ってベッドに戻り「おやすみなさい」と声をかけても『すいません』と謝っています。
その後2回目も3回目のナースコールの時も、トイレに行き何度も謝るんです。
3回目にトイレから戻り、ベッドに座った時に「謝らなくていいですよ、またいつでも呼んで下さいね」と言うと、その時初めてお婆ちゃんは私の顔を見ました。すると突然泣き出し、両手で顔を覆い号泣してしまいました。
一人でトイレに行くのも難しい状態で、患者さんがどんなに辛い想いでいるのかと思ったら、私も“もらい泣き”してしまいました。 

――精神科に移って3年ですが慣れましたか? 

甲斐貴志さん:もうだいぶ慣れましたね。それぞれの患者さんにどのように接すればいいのかわかってきたので。

イケメン看護師?(右が甲斐さん)

ベテラン看護助手さんとツーショット

――具体的にどういうことをされるんですか? 

甲斐貴志さん:患者さんは、それぞれ精神が錯乱している人や発達障害の人、症状にムラがある人など様々ですが、基本的に一人ひとりの患者さんが早く退院できるように支援することが私たちの役割です。
例えば、最近『統合失調症』の患者さんが増えているんですが、鬱(うつ)と躁(そう)の激しい感情のギャップがあり自分でコントロールできない状態になります。さらに幻聴・幻覚が重なります。
なかなか幻聴が治まらない人には、幻聴とそうでない音を区別できるかどうかを確認し、区別できる場合は幻聴に振り回されないよう心掛けてもらいます。それでも幻聴に聴き入ってしまい、叫んだり暴れたりする患者さんもいます。

症状に合わせて薬を決めていきますが、「被毒(ひどく)妄想」という“薬は毒”だと思っていて薬の服用を避けたい人には筋肉注射により症状を抑えて、少しずつ薬を飲めるよう訓練したりしています。
しかし退院して社会復帰しても、しばらく薬の服用を続けなくてはならないのに途中で止めてしまったり、逆に不安になって薬に手を出してしまい再発する人も多いんです。
1年間入院し、退院後3か月経って戻ってくる状態を何十年も繰り返している人もいます。なかなか完全に社会復帰することは難しいですね。 

――長い人でどれくらいの期間入院されていますか? 

甲斐貴志さん:人によっては15歳で入院し、お爺ちゃんになるまで入退院を繰り返している人もいます。
一方では、鬱を発症し1年の入院生活後に社会復帰できる人もいるので、人によって全然違います。ですから患者さんの状態に合わせて個別に対応しなければなりません。その点が難しいですね。どの患者さんにも同じような対応をしていては良くならないんです。 

――常時、何人程度の方が入院されているんですか? 

甲斐貴志さん:うちの病棟で53人程です。全部で6病棟あるので、常時300人以上の方が入院されています。 

――多いですね。スタッフの方は? 

甲斐貴志さん:500人程います。 

――そんなにおられるんですか。患者さんに接する上で、最も気をつけていることはどんなことですか? 

甲斐貴志さん:相手を否定しないことです。
おかしなことを言っていても、その人にとってはそれが全てだったりします。妄想の世界に入ったり幻聴に振り回されたりしているので、「辛いですよね」と共感をして、そこから少しずつ治していきます。
幻聴が聴こえて目の前の人を殴ってしまったりするので、幻聴と現実を区別して生活できるようにしていきます。少しずつ少しずつ症状を修正するということと、ご自身に自覚してもらうことが最も大切なことですね。 

――仕事を休んで長期入院されている方もおられますか? 

甲斐貴志さん:おられます。定期的に会社の方が来られて医師と面談し症状を確認されています。復帰の時期や本人の意思を確認したり、改善策等を話し合い、薬の調整により症状が出る間隔を長くして通院に切り替えたりします。
基本は3ヶ月での退院を目標にしていますが、様々です。 

――そういう世界にいて、社会的な問題を感じることはありますか? 

甲斐貴志さん:実は患者さんの多くは、本人よりも家庭の問題で精神的な負担が重なり発症されています。
また精神的に患っている人同士が結婚されている場合も多く、その両親の子どもも影響を受けている場合があります。社会に適応することが難しい症状の人が、どんどん増えています。 

――遺伝的なものもあるんですか? 

甲斐貴志さん:遺伝的な脳機能障害も少なくないですが、やはり家庭環境に因るところが大きいです。両親が仕事のストレスによって子どもを虐待してしまい、子どもが発症してしまうとか。
児童思春期病棟では5歳から入院している子もいますが、そこにいる子どもたちはやはり家庭に問題がある子どもです。なかなか上手く精神発達ができずにいます。ちょっとしたことでキレたり、学校でトラブルを起こし通学できなくなってしまい病院に来る子どもが結構多いですね。
そういう子どもたちをたくさん見ていると、親が愛情をもって接したり善悪について教えたりすることは、子どもの成長にとってとても重要で大切なことだと感じます。
ニュースなどで「キレやすい子どもや落ち着きのない子どもが増えた」というのは、家庭環境が大きく影響していると思います。病名にはなっていませんが、家庭環境のトラウマで“アダルトチルドレン”という状態になることもありますし、愛情不足や虐待などが原因で、大人になってから発症するケースもあります。
例えば、
・行動や感情、言動が過去の記憶に大きく左右されてしまう
・対人関係が極端に苦手
・不安やイライラ感が常にある
・意見を主張できない
・悲観的になりやすく、無気力

さらに、鬱病やパニック障害、不安障害、機能性障害などの精神疾患を併せ持つこともあります。
これらの状況が続き、本人も気づかないまま周りから蔑まれる人もたくさんいると思いますね。 

病院の中にいても、感情の昂ぶりを抑えることが難しくて、薬を飲んでもスタッフや他の患者に暴力を振るってしまうことがあります。そういう状態の時は個室に入ってもらい、場合によっては拘束することもあります。注射なり点滴などで症状を急激に抑えて、食事等ができるようになったら少しずつ解放していくといった感じです。
また、脳の構造自体が違うことに起因している場合もあります。『統合失調症』の方は、脳のドーパミンが出過ぎてしまったり、逆に少な過ぎたりします。内科的なこともあり、原因を一つに絞れないことが多々あります。 

――興梠守氏が本サイトの『魂は殺人できるのか』の中で紹介された、「魂の殺人 ―親は子どもに何をしたか―(アリス・ミラー著)」を先日読みましたが、やはり家庭環境によって重大な問題が生じることを指摘し警鐘を鳴らしています。
その中で心理学者で元精神科分析家のアリス・ミラーは、ヒットラーや連続殺人犯、麻薬中毒者の女性の共通原因が、幼少期の家庭環境つまり執拗に繰り返された折檻や虐待にあると述べています。教育や躾の名のもとに親が子に対して行われていた、鞭打ちや監禁、食事を与えないなどの行為は想像を絶する内容でした。
そして異常なまでの虐待や折檻を受けた子どもは、ある時期から自分でも理解できない行為を繰り返してしまいます。
たとえ親に対する恨みがなくても、あるいは虐待された記憶が無くなったように想えても、症状として、自分以外への攻撃や自分自身への攻撃を続けることになると言っています。
とても根の深い社会問題だと思いました。

いくつかの解決策の中で、アリス・ミラーが真っ先に挙げた答えは「大人は子どもに対し、敬意をもって接する必要がある」ということでした。
私はこの『魂の殺人』を通して初めて、家庭環境に起因する問題の大きさや根深さを知り、子どもの人格を認めることが人類共通のこととして大切なことだと気づきました。

ところで、甲斐さんご自身が仕事でストレスを感じることはありますか?

甲斐貴志さん:だいぶあります(大笑)
話をしていても全く集中できずに、私に対して攻撃的になってくる患者さんもいるので、対応を間違ってしまうと暴力を振るわれることもあります。私自身、精神科にきて1年目の時にボコボコに殴られてしまい、私が病院に担ぎ込まれたこともありました(笑)。
些細なことだったんですが、新しい患者さんが入るので食堂の席を調整しなければならず、ある患者さんにお願いしたところ「自分はあの席が好きだから絶対に移りたくない。ちゃんとした説明もないのに何で移ることになっているんだ!」と。時間を掛けて説明しているうちに突然殴りかかられ、私が倒れたところに馬乗りになって15発程殴られました。
その後、医師にCT検査をしなくてはと言われ、私が病院送りになりました(笑)。

また保護室という隠れ部屋に入っているお婆ちゃんに、突然手を噛みつかれたこともあります。そのお婆ちゃんはお風呂に入ることも歯を磨くこともあまりしない人だったので、どんな感染病をもっているかわからないため調べてもらいました。
結構気をつけなくてはならなくて、ボコボコにされてからは患者さんとの距離感をつかめるようになりましたね。 

――このまま続けていきたいですか? 

甲斐貴志さん:そうですね。看護師はやり甲斐がありますし、今後も精神科にいながら色々な人と接して行きたいと思っています。 

――病院の環境改善や社会的な改善策として、どういったことが必要ですか? 

甲斐貴志さん:病院の改善策はたくさんありますね。
病院は経営により維持されているので、経営者は患者の入退院を多くすることによるメリットを考えています。ですから、まだ落ち着いていない患者さんを無理に別の病棟へ移したり、やっと慣れてきたのに入れ替えで移動させてしまったりします。そういうことは無くしていかなければなりません。 

社会的な問題としては、やはり偏見を少なくしていかなければなりません。健常者と違って精神疾患を患っている人は、繊細で少しの刺激でもストレスを感じることが多いんです。
“あの人ちょっと変”という目で見られることが多いので、もう少し優しい目で見てもらうと精神疾患のある方々も安心して生活できるようになります。同じ人間として接してほしいですね。 

――見られている側は気分が良くないでしょうね。色々な場面に共通することですが、相手の立場になって考える習慣を身につけたいですね。 

甲斐貴志さん:そうですね。そういうことがきっかけでまた症状が悪化したりします。
ここ
30年から40年で精神科専門の病院ができてきて、精神疾患の方も多く受け入れられるようになってきました。それ以前は、“気違い”と言われ、いじめられ省かれてきましたが、多少は良くなってきているのではないかと思います。
何十年か前までは、隔離され閉じ込められて、そのまま死刑になっている人も多かったですからね。 

――どのような症状の人が増えていますか? 

甲斐貴志さん:様々な症状の人が増えています。最近では『境界性人格障害』の人が増えています。感情や思考を制御できず、衝動的な自己破壊行為などを行ってしまうもので、暴れたり感情を抑えきれなかったり、協調性が上手く保てないなどの症状があります。 

――ご自身で気をつけている点は? 

甲斐貴志さん:やはり仕事が終わったら、割り切って家に持ち込まないようにしています。
スタッフの中には精神を病んでしまう人もいて、
1年も経たずに精神的にキツイと言って辞めてしまう人もいます。みんなメリハリをつけて生活するように気をつけていますが影響を受けやすい人や感情移入しやすい人は、続けるのは難しいようです。 

――どのようにメリハリをつけていますか? 

甲斐貴志さん:仕事中は患者さん第一に考えて行動していますが、仕事が終わったら音楽のこと“よさこい”のことを考えたりしてアタマを切り替えてしまいます。
休日も仕事のことを考えずに自分の好きなことだけを考えています。それなりに充実していると思っています。
 

――ブログを拝見したら、先日香港公演から帰国した当日に、急きょ空港から直接“茶髪”のまま病院入りして、上司から“大ひんしゅく”を買ったと書いていましたね(大笑)! 

甲斐貴志さん:そうなんです。帰国当日を休暇日にしたつもりが出勤日にしてしまい、それに気づいたのが空港からの帰宅途中だったので、もう大慌てでそのまま病院に向かいました。
私が上司に電話で遅刻することを伝えた後に、上司は
300回程ため息をついていたらしいです(二人大笑)。 

――面白いですねー。本業とのギャップが激しいので、とっさの時すぐに看護師に戻るのは難しいですよね(笑)。

 

香港公演前の観光(後ろ左が甲斐さん)

  

神奈川“よさこい”で

 

“レッスン生募集広告”にも熱いまなざしで 

――本業の看護師以外に、自分で曲をつくって演奏したり、“よさこい”や演技レッスン等をされていますが、それらはご自身の中でどのような意味をもっていますか? 

甲斐貴志さん:表現者として、ずっと追い続ける夢や挑戦だと思います。
私が目指しているものは『自分のやりたいことで誰かの心を動かすこと』です。私自身が影響を受けた作品やアーティストのように「一時的にでも感動したり、影響を受けて夢をもてたり」、たった一人でもいいので、心に刺激を与えられる表現者でありたいと思っています。 

実際に活動を始めてからは、努力しても全く結果を出せず先が見えない状況で、続けることが辛くなることもたくさんありました。
それでも「まだ続けたい」と思えるのは、次から次へと人との繋がりが増えていき支えられてきたことが一番の励みになっているからだと思っています。

“自分で決めたこと、自分のやりたいことを貫くこと”は、私自身に課した命題だと思っています。

 

――精神科の医療現場の一端を垣間見ることができ、多くを学ぶことができました。
ありがとうございました。

 

ライブで熱唱

貴族役で映画撮影(笑)

 

患者さんに対し最も気をつけていることは何かと尋ねた時、甲斐さんは「相手を否定しないことです」と、きっぱりと答えられました。
その最も大切な一言を“一瞬”で返答されたことに、甲斐さんの仕事に対する姿勢と意思を強く感じました。
これまで様々な患者さんと接しながら、ご自身が最良だと思える態度や言葉で試行錯誤を繰り返すことで、辿り着いた答えなのでしょう。 

人はどこから来て、どこに行くのか。
幻聴・幻覚・幻想の中にいる人の“自分”はどこにいるのか。
その“自分”と、普段何気なく生きている“私”とは何が違うのか。

おそらくそこに答えを見出すことは難しく、考えるほどに“私”の存在意義まで見失っていくような感覚になります。
本来、私たちは考えてわかることよりも、感覚的にわかり気づくことの方がはるかに多く、生きる上で大切なことはその気づきの中にあると思います。
たとえ気づいた時に確信がもてなくても、それを実感できるような生き方をすることで、人は心豊かに生き、生きる醍醐味を味わうことができるのかも知れません。

普段から、人間の多面性や深さに接しておられる甲斐さんのお話しは、“人間らしい生き方”を想い起こさせてくれます。

甲斐貴志さんは、“相手の身になって感じることの大切さを教えてくれる人”でした。

■甲斐貴志さんのプロフィール

1987年2月13日生まれ 宮崎県出身。小5~高校 卓球部。
看護専門学校でギターを始め、学祭でバンドに参加。
看護師:精神科病院勤務。
サンミュージックアカデミー所属。
バンブーレボリューション所属。
シンガーソングライターとして作詞・作曲したり、イベントに参加中。
趣味:一眼レフカメラで写真撮影。

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