柿崎俊道さんへのリレーインタビュー

『知財で日本を元気にする会』の井上能宏(よしひろ)さんからのリレーインタビューは、株式会社 聖地会議代表の柿崎俊道(しゅんどう)さんです。

2005年、柿崎さんは 『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり(キルタイムコミュニケーション)』を出版されました。それが、『聖地巡礼』という社会現象のきっかけとなりました。今では全国の自治体の観光や街おこしに発展し、さらに100年1,000年後の文化財的価値を見据えた取り組みを進めておられます。 2005年の本は今やバイブルとなっていますが、ここまでの道のりは長く、ほそ~いものだったようです。

『聖地巡礼』の生き字引のような柿崎さんは、腹の底から湧き上がる力強さとしぶとさを合わせもち、一方でその思考には、文化とビジネスの両面について時間軸をもって俯瞰する機能が組み込まれているようです(笑)。
向かい合って座った瞬間(まだ録音を開始してないのに)怒涛の如く、柿崎さんのお話しが始まりました(聞き手:昆野)

――『聖地巡礼』は、社会現象ですね。

柿崎俊道さん:2005年に私が本を出版した時は、アニメ・マンガの聖地巡礼は一般には知られていませんでした。それから、まだ12年ほどの時間しか経っていません。
何をもって聖地と言うのか、コンテンツツーリズムと言うのか。毎日更新されていく感じでプレーヤーが増えれば増えるほど変わっていきます。

――元々、宗教において重要な意味を持つ神社・仏閣などが聖地と言われ、そこに赴く行為が巡礼と言われます。それがいつ頃からアニメ・マンガでも言われるようになったんですか?

柿崎俊道さん:いつから言われるようになったのかは、正確なところはわかりません。一説には『美少女戦士セーラームーン』に登場する神社とも言われています。東京の麻布十番に神社があり、そこに多くのファンが通う内に聖地巡礼という言葉と結びついてきたのではないか、と言われています。
聖地巡礼は物語の世界を旅するムーブメントです。遡れば『南総里見八犬伝(曲亭馬琴)』の舞台は江戸時代にファンが通っていたという話がありますし、従来の宗教の聖地もその宗派の物語で描かれた世界です。アニメ、マンガの聖地と宗教の聖地は、結局、繋がっているんだと思います。

――埼玉県のアニメツーリズム検討委員になられていますが、何がきっかけでしたか?

柿崎俊道さん:検討委員は満期を迎え、いまはやっていません。2005年に出版した『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』は、アニメの聖地巡礼を商業誌として出版した初めての本でした。その2年後に埼玉県内で聖地巡礼ブームが起きて、埼玉県庁の人たちが「このブームは何なんだ」となった。県職員の方が北海道大学観光学の山村先生にお尋ねになって、私の本を引き合いに出されたそうなんですね。
その縁で埼玉県から声が掛かり委員になってほしいということになりました。アニメの聖地化プロジェクトの副座長になり、さらに『アニ玉祭』の総合プロデューサーを任されたという次第です。

――街づくりプロデューサーといった感じですね。私は、街づくりに関しては様々な角度から観ていますが、アニメで街おこしをするのは面白いですね。

柿崎俊道さん:これまで行政はハードウェアで街をつくってきました。そこにソフトウェアである、生活を切り口に考えていこうという流れが起きています。ライフスタイルの新提案というのはよく聞きますよね。そこから、さらにもう一つ次元を上げて、「フィクションと現実世界の境い目なんかないんですよ」というのが私の見方なんです。
聖地巡礼は虚構を旅すると言いますが、我々人間は、みんなこの世界で虚構を旅しています。結婚だってそうですよね。書類1枚で結婚しましたなんてね。結婚自体が虚構だから、みんなそれに気づき始めて、不倫だの熟年離婚だのする訳です。
そう考えると、みんなフィクションの世界に生きている。そっちの世界に行きたいんだったら行ってしまえばいいじゃないかと。夢から覚めずに、一生終えれば一番いい訳です。見たい夢をみて一生を過ごし、夢から覚めないというのが究極の『聖地巡礼』だと思っています。
自分の眼に視えているものが本物かどうかなんてわかりませんからね。人間が視ている世界と、他の動物が視ている世界や生き物は違いますし、言葉だって日本語が伝わっていると思い込んでいるだけで、みんな思い込みな訳ですよ。
『聖地巡礼』というのは、自分の見たい夢を見に行く旅ではないか。私が出版した本の序文にそのようなことを書きました。そこがスタートですね。

――アニメ原作者が通っていた学校が聖地になったりしていますね。

柿崎俊道さん:それが本当に聖地かというと聖地ではないんです。なぜならそれはアニメをつくる上での素材の一つに過ぎないからです。
例えばそういう場所があって、風景を写生したり撮影してスタジオに持ち帰り、担当者が画を描いて、それを加工したものがアニメに使われる。アニメに使われた上で、キャラクターが乗っかり、特殊効果が乗り、さらにお芝居があってストーリーがあり、声優の声が入ってパッケージングされて、総合芸術としてのアニメが出来上がる訳です。それを観てみなさんが感動する。だからキャラクターもいなければ何もいないものは、単なる素材なんですよ。ただ、その場所に行くことで、アニメファンが心の中で刺激を受けて、自分のアタマの中で聖地がパーッと閃く、花開く。聖地とは、つまり心の中に聖地があるんです。
ということは、別に行かなくてもいいんですよ。目をつぶっていても、パーッと広がれば、そこが聖地でいいんですよ。

――面白いですね。小さい頃からアニメはお好きだったんですか?

柿崎俊道さん:子どもの頃はアニメはあまり観ませんでした。

――そうですか、かなり好きそうですが(笑)。

柿崎俊道さん:好きになったのは大人になってからですね。特にアニメの仕事をするようになってから、興味がどんどん湧いてきます。
ただ、アニメの仕事をしていると、このように好きか嫌いかをよく問われます。また、聖地巡礼に関わる地域の皆さんは「アニメが好きだから」という理由で参加されます。それは結構なんですけど、仕事にするからにはファンでは困るんですよ。アニメ作品という権利を扱うために必要な法律の知識やアニメ産業の成り立ち、現在のトレンド、未来のトレンド。そういったものが実際に仕事をするには必要になります。「好き」であればいい、というものではありません。そこの理解は難しいところですね。まあ、お気楽な商売をしているんでしょ、と思われるくらいが客商売にはちょうどいいんですけど、ビジネスパートナーとして組む場合は困ったな、と思います。その調整が聖地巡礼プロデューサーの私の仕事でもあるんですけどね。

――2005年に本を出版されて今に至る訳ですが、もし出版の要請がなかったら人生全く違っていましたか?

柿崎俊道さん:全然違っていましたね。ただ、私の中では、あの1冊で一度終わっていました。埼玉県から要請があったのは、出版から4年ほど経ってからだったので、実際その頃は別の仕事をしていましたから。
当時は、アニメ誌の編集者を経て、ビジネス書の編集者をしていました。その出版社を辞めた後は、コンテンツビジネスの知識を活かそうと、ひとりで活動を始めました。まず始めたのは、日本のアニメ作品の放映販売権を取得して、東南アジアの放送局に売り込むことでした。現地まで行って、結構、放送局とミーティングを重ねましたよ。それを1年程続けましたが、これは事故が起こる前に止めておこうと思いました。行ってみてからつくづく思い知りましたが、ライセンスビジネスはひとりで行うのは無理がある。帰国する飛行機の中で思いました。
つぎに、北京から声優を呼んでイベントをやってほしいと依頼があり、これは大成功でした。ただ大変な割には実入りが少ない。2007年~2008年頃でした。北京で声優を呼んだ初めてのイベントだったそうで、中国国内のアニメファンの間では伝説化しているようです。
今度はアニソンDJ(アニメソングのクラブDJ)。渋谷の老舗クラブの250人のスペースで行いました。4回開催し全て満員御礼だったので、これはいけるんじゃないかと思いきや難しい。満員御礼で観客はすごく盛り上がって、みんな夢中になるんですが収益が上がらない。結局、夢中になり過ぎると、皆さんドリンクやフードのオーダーをしないんですよ。4回連続でやって、なんか違うなと。200人~300人の集客じゃ儲からない。
一方で、大手のクラブイベントは3000人〜4000人を集めて、DVDやらドリンク、フード、酒、何から何まで売れるんですごい収益になる。300人~3000人程度の中間がなく、二極化していることに気がつき、なるほどな、と。200人〜300人のイベントをプロデュースしている人間はこの壁で躓く。乗り越えるには、イベントの企画力だけではなく、大手メディアの力を利用する必要があります。そこまでの体力は自分にはないので撤収しました。
それからは、漫画家になりました。今までの仕事は、ひと様の知的財産をお借りしてビジネスにすることでした。自由にできないし、失敗した場合、ペナルティが発生する。自分で漫画を描けば、自分の知的財産です。何をしようが、自己責任。これはいいぞ、と思い、漫画を描いてはインターネット上にある小さなコンクールに出し続けました。結構よかったですよ。入賞して、Amazonギフトカードを何枚ももらいました。大手漫画誌のコンクールにも挑戦しましたが、こちらは引っ掛かりもしませんでしたね。ただ、有名漫画家さんから批評をいただいたのは、良い想い出です。
漫画を描いたのは、自分の自由になる知的財産を持つためです。ある程度の数が揃ったところで、自作をチャイナモバイルに持込みました。中国最大手の携帯電話会社です。先方からは、個人と契約するのは初めてだ、と戸惑われました。翻訳から何から好きにやっていいぞ、と契約を取り交わし進めました。しかし、今度は売上の回収が難しい。未払いが発生すると、中国国内の人間を追求するのが、とても面倒なんです。海の向こうに信頼ができるエージェントがいて初めて成立することだな、と思い知りました。これもムリがあるなと止めました。
そんなことを30代半ばまで繰り返していました。まさにトライ&エラーばっかりですよ。

――いやー、でも素晴らしい。痛快と言っちゃ失礼でしょうが(笑)。

柿崎俊道さん:そうこうしているうちに、埼玉県で聖地巡礼ブームが起きた。起こるべくして起きた。埼玉県から呼ばれて、アニ玉祭に繋がりました。
イベントの運営を中心に、権利問題の処理、アーティストのセッティング、作品展示や物販スペースの営業など、数年間、失敗し続けたことを総合的にやってくれ、という訳です。

――繋がりましたねえー。

柿崎俊道さん:今度はお仕事ですから、手堅く無茶せず進めました。

――手堅く、無茶せずに、そういう一面もお持ちなんですね。

柿崎俊道さん:それは簡単です。フルスロットルではなく、10%、30%、50%の出力で仕事をすれば、失敗はありません。自分ひとりでやるときには、伸び伸びできますから、全力でいきます。しかし、ひと様のお仕事の時は安全圏を確認してちょうどよい塩梅を目指します。
アニ玉祭では、約90ある出展者に満足してもらうことを心掛けました。実行委員会からのオーダーが、埼玉県観光とアニメでした。アニメだけではなく、埼玉県の観光PRも重要だという訳です。その両者は切り離して考えるのではなく、いい塩梅で融合しなくてはいけない。埼玉県がアニメで盛り上がっている最終的な姿を想像すると、埼玉県出身のクリエイターが埼玉県在住のまま全国で活躍することなんですよ。つぎに全国のクリエイターが埼玉県に引っ越して、埼玉県で活躍してくれること。埼玉県と関わりをもてば、クリエイティブが爆発する、というイメージをつくることがアニ玉祭の目的ではないかと考えました。
そこで、出展営業、埼玉県内の若手クリエイターに声を掛けました。まずは彼らが出展しやすいようにする。つぎに、都内の大手コンテンツ系企業に声をかける。そして、ブースを大手と若手を同列にする。大手に惹かれた来場者が若手のブースに自然と足を運ぶようにしました。 つまり、アニ玉祭の“一番おいしいところ”を埼玉県内の若手やこれから発展する企業に預ける、ということです。

――面白いですね!そうやって裾野が拡がっていくし、人も育っていきます。そういう考え方は個人的な想いからくるものですか?ビジネスとしてですか?

柿崎俊道さん:そのどちらか、というのは考えたことがありません。ただ、10年、20年後のリターンを見越して考えると、これが自然でもっとも多くの実りが期待できる。地域が、現在の著名人や有名企業に貢いだとして、どれほどの見返りが期待できるでしょうか。

――なるほど。ところで役所の方と仕事をされて違和感はなかったですか?

柿崎俊道さん:役所の方のモチベーションは何なのか、それがわかるまで時間が掛りましたね。こちらとしては、前のめりに取り組んでほしい訳ですよ。彼らは何をもって前のめりになるのか? それを見つけるのに時間が掛りました。

――庁内での評価しかないでしょうね。

柿崎俊道さん:そうなんです。ただし、その庁内の評価がどういったものか、外部にいる僕のような人間にはなかなかつかめない。それがわかれば、お互い気持ちよく仕事ができるのにな、と思っています。
『聖地会議15』で埼玉県の初代担当だった島田邦弘氏と対談した際に、私は“ペット論”というのを提唱しました。ペットというのは1回飼ったら、そのペットが死ぬまで飼い続けます。アニメ事業も同様です。1回事業を始めたら20年のプランを立てて、引き継ぎしながら進めていく。担当者が異動したら、刷新しましょう、では困るんです。それはハムスターですよ。ハムスターの寿命は2、3年です。民間をハムスターのように扱ってもらっては困る(笑)。アニメ業界と仕事をしたいのであればワンちゃんネコちゃんを飼うつもりで取り組んでほしい。20年続けるつもりがないのなら、最初から呼ばないでほしい。そんなペット論を提唱しています。

――会社名と冊子のタイトル共に『聖地会議』という名称ですが、冊子はどんな内容ですか?

柿崎 『聖地会議』は、アニメ聖地巡礼・コンテンツツーリズムのキーマンと聖地巡礼プロデューサーである私の対談本です。アニメ聖地巡礼はまだ始まったばかりのムーブメントです。講演などで皆さん、良いことを言っているんだけど、それを整理してまとめた本がほしいな、と思ってつくりました。2015年8月から始めて、現在(2017年4月)で15号です。聖地会議のWEBサイトから購入ページに飛べます。今、多くの方が聖地巡礼、コンテンツツーリズムについて語っています。聖地会議はその中でもっとも生々しい対談です。実際に現場で働いている方の声ばかりです。
自治体の観光課の方によく読まれていますね。また、研究者や大学で聖地巡礼を研究している学生さんに好評で、聖地会議の内容を論文に引用される方も増えてきました。大学の生協にも徐々に置かれ始めています。2017年4月からは北海道大学の生協でも販売しています。
また対談本の制作と並行して、講演会などのイベントも行っています。5月15日(時間 19:00-21:00/会場 3331 Arts Chiyoda 東京都千代田区外神田6-11-14)に埼玉県観光課の初代アニメ担当者と現在のアニメ担当者を招いて、講演をします。聖地会議のイベントはどれも生々しいとの評価をいただいています。

山村 高淑 氏

岡本 健 氏

小栗 徳丸 氏

安彦 剛志 氏

鈴木 竜也 氏

総集編

――生々しい、いいですね!これからどういうことをしたいですか?

柿崎俊道さん:未来にアニメ文化を遺すこと。現在のアニメ産業の効率化。この二つです。
アニメの制作途中では様々な副産物ができますが、実はそれらは全て非常に貴重な資料なんですよ。しかし大量に溜まってしまうので、アニメ会社は全部捨ててしまいます。もったいないけどしょうがない。それをある程度引き取って地域で保管し、研究や展示会、グッズ制作として活用します。
既に2年前から、私も関わって千葉県鴨川市を舞台にしたアニメ作品の制作資料を全て鴨川市に来るようにしました。鴨川市とアニメ製作委員会の共同事業です。全ての原画・動画と呼ばれる制作物を市で保管しています。これは日本で初めてのことで、これから研究、分析をして原画展を開催したりグッズをつくったりします。現在、市の郷土資料館に保管しています。それを100年、200年保存する。
例えば今から100年前の映画といえばチャップリンですよ。チャップリン時代の映画作品の制作資料が全て残っていたら、映画研究家は大喜びですよね。100年後に喜んでいただこうと、鴨川市を舞台にした『輪廻のラグランジェ』というアニメで始めました。

一方で、昨年アニメの作業工程をサポートするツール開発をしました。そもそもアニメというのは“職人技術の集大成”なんです。これまで紙と鉛筆で描いていたものを、液晶タブレットで描き始めた。それに慣れた若い人たちが増えると、作画という作業は完全デジタルになるでしょう。ただ、紙と鉛筆のメリットを検証しないまま、デジタルに移行することを危惧しています。技術は一度失われてしまうと戻ってこない。
紙と鉛筆の自由度を維持しながら、制作効率を高められるツールを、神奈川工大とアニメスタジオに協力してもらい開発しました。実際使ってもらうと、今まで3日徹夜していた仕事が2日に短縮でき、すごく便利だと喜んでもらえました。まだ開発中のツールですが、すでに現場で使用されています。 日本のアニメならではの職人技術を保存していくことは、とても大切なことなんです。

――有形文化財ですね。

柿崎俊道さん:誰かが意識的に残さないと残らないんですよね。
日本のアニメの特徴は手描き、ということです。紙に描かれた絵は1点ものです。その1点ものをアニメの舞台になった土地で保管するということは、聖地に御本尊・御神体が来るという訳です。こうやって初めてその土地が聖地になる。御神体が来ることで、観光だけじゃなくて研究対象となり、歴史や文化として残していく。ここ2~3年で、人を巻き込んでカタチになってきました。

――観光の継続性も高まるし、産業も生まれますね。

柿崎俊道さん:研究が始まると多くの可能性が広がります。博物館の“格”は何で決まるかご存知ですか?

――展示物では?

柿崎俊道さん:スタンダードです。例えばライオンは何をもってライオンとするのか。これがライオンですと言えるものが世界中に一つだけあります。ライオン研究者は、それと他のものとを見比べてこれは亜種だとか、これは突然変異だとか判断します。つまりスタンダードのライオンをもっているところには、世界中のライオン研究者が見比べるために来るので、そこはライオン研究の中心になります。日本の博物館には、やぶ蚊、ハエ、ダニのスタンダードがあります。
博物館の“格”は、スタンダードを幾つもっているかで決まります。 それをアニメ文化で花開かせたい。オリジナルの研究対象が日本にあり、日本に来なければ研究ができない。世界中のインテリ層が、渡航費と宿泊費を払い、日本語を覚えて、日本にやってくる。そんな世界をつくりたいと思っています。

――いいですね!ところで子どもの頃はどういうお子さんでしたか?

柿崎俊道さん:……(無言)。まあ……(無言のまま約30秒)。
(事前に質問を渡していたのに、何でそんなに考え込んでいるのだろう・・・)

厚木に住んでいたんですが、とにかく小学校まで遠かったんですよ。往復10kmくらいを毎日歩いて通っていました。神奈川県の話ですよ。ちょうど厚木市と伊勢原市の市境に住んでいたものですから、成り行きで遠い学校になってしまったんですよね。しかも直線距離なら、往復6kmで済むところを、危険だからと遠回りさせられるんですよ。それで、往復10km。今は近くに小学校ができているみたいですけどね。
小1の6歳の時から片道1時間半、とにかくひたすら歩き続けた子どもでした。行きはまだ元気があるからいいんですが、学校から真っすぐ伸びた帰り道を見るたびに気が遠くなるような途方もない気持ちになりました。これだけ毎日通っているのだから、たまには学校がオレのところに歩いてこいよ、とよく思っていましたね。

――・・・。今の子どもたちを見ていてどう感じますか?

柿崎俊道さん:たいへんだなと思いますね。選択肢があるようにみえて選択肢がない。選択肢があるようにみえるのが不幸なんです。というか夢をもたされてしまうのが残酷だなと思うんです。
親が過度な期待をもったり、情報が多すぎて、田舎で生まれ育って農業を継ぐことがカッコいいと思えていればいいものを、ネットやテレビでは俳優が綺麗な女優さんと結婚して羨ましく思えて、オレも東京に出てカッコいいことやろうなんて思ってしまう。知らなきゃいいのにと思うんです。
一方では、判を押したように有名大学出て、ゴールドマンサックスやらに入ってMBAを取って、日本に戻ってきて云々。金太郎飴のような人生に憧れちゃう。 何が幸せなのか、親として自分の子どもにどう育ってほしいのか。
本当は誰しもが何某かの成功をしながら生きているはずなのに、すごく成功した人を見てしまうと、手にした幸せを、幸せだと感じられなくなるんですよね。他人と比べて、自分が幸せかを判断してしまうんです。
子どもたちは生まれた瞬間から、そういう評価にさらされているのは、たいへんだな、と思います。ただ、子どもたち自身にしたら、それが当たり前なので、自分で乗り越えていくんでしょうけどね。

――今回も、やはり“幸せとはどういうものなのか”ということに繋がってきましたね。
アニメ・マンガという、私にとっては別世界のことについて触れることができ、とても楽しいお話しでした!ありがとうございました。

これまでずっと、ご自分の判断でリスクを取りながらビジネスをされてきた柿崎さん。「トライ&エラーばかりの人生」とご自身は言いますが、そこに人生の醍醐味があるはず。だから続けておられると思います。

一般的な会社員の中で、自分でリスクを取って仕事をしている人は稀です。私自身がリスクを取って仕事をしてきたのでよくわかります。
いいか悪いかは別として、長年、リスクを取らずに働いていると、いずれ回避できないリスクに陥ります。でも、そもそもリスクを取る意思のない人は、その時どきを損得で判断し上手くやろうとすることばかりを優先するので、知らず知らずのうちにつまらない人生を送っています。その結果、回避できないリスクに直面した時、初めてそのことに気づかされるので、一気にどん底に落とされ何のために生きてきたのかわからない気分になってしまいます。
それを私は「安定というリスク」と言っています。なるべくして、なっています。

柿崎さんとお話ししていて、私は会社を辞めてしばらくしてから気がついたことを想い出しました。それは“仕事に厳しい”とはどういうことなのか、ということでした。多くの人は“仕事に厳しく”ではなく、“他人(ひと)に厳しく”しています。
結局のところ、仕事の醍醐味やおもしろ味を、心底味わったことがないからだと思います。

私が感じた柿崎さんは、仕事の厳しさを知っている優しい人でした。

■柿崎俊道さんのプロフィール

プロフィール写真

柿崎俊道 Shundo Kakizaki

1976年生まれ。株式会社聖地会議 代表取締役。月刊誌「アニメージュ」(徳間書店)などのアニメ誌、アニメ関連書籍の編集・執筆を経て、ご当地イベント企画やグッズ企画なども行う聖地巡礼プロデューサーとなる。2005年に上梓した『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』は、今に続く「アニメ・マンガ聖地巡礼」現象をもっとも早く取り上げた書籍として知られている。 埼玉県アニメイベント「アニ玉祭」総合プロデューサー、埼玉県アニメの聖地化プロジェクト副座長を歴任。

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