私のリアクション点検―2「未来を変えてしまうお盆」

<誰も植えてないのにすっくと立ちあがり高貴で薫り高い 白百合>

友人のMさんが20数年ぶりに、事故でなくなった、当時高校生だった息子さんの法要をした。友人は周りに気を使い、常に明るくふるまっていて、わたしは、友人でありながら20数年前にそんなことがあったことを知らなかった。あの事件のあと、うつろなまま葬儀は済ませたがその後の法要はしなかったという。しなかったのではなくできなかったのではないか。私なら、きっとできない。そんな事実はとても受け入れられない。どこかに息子は生きていると思うようにして、事故を思い出さないように、忘れようとするのではないか。この間、泣くことも、わくわくすることも、もうずっとなかったという。あの明るさは、笑顔は、努力のリアクションだったのか。

私たちの演劇の訓練に、過去のドラマティックな出来事をていねいに思い出すというものがある。大嫌いな人の記憶、つらい別れ、感動の出会いなど、こころの中の自分史を整理して、引き出しにしまい直し、役作りに生かしていくための訓練だ。けれどあまりにもつらい記憶は少なくとも7年は冷静に向き合えないので、訓練に使えないことになっている。

もう10年ほど再演を重ねている、『父と暮せば』(作・井上ひさし)という芝居がある。原爆で命を落とした父親が、一人生き残り、寂しく暮らす娘のところに出てきて一週間暮す話だ。娘は火の中から父親を助け出すことができずに置き去りにして逃げた自分を責めている。また、美人で、自分より勉強もできた親友が死んで、自分が生き残ったことに負い目を感じ、生きる力を亡くしている。その娘に父親は、あの日、何が起きたのか、死に際に娘に託した言葉を思い出させようと「あの時」を再現してみせるのだ。あえてあの時に向き合わせ、ヒロシマの死者たちが本当に伝えたいことを伝えようとする。ひとしきり泣いて、やがて娘は立ち直る。けれどももし辛いからといって向き合わなければ、時間は止まったままなのだ。父は、娘が自分だけ幸せになってはいけないと恋をあきらめ、一人で老いを待つだけの人生を送ろうとしていることになるのを恐れたのだった。

心の扉は一つで、苦しみと喜びは同じ扉から入ってくる。だから苦しいことに心を閉ざすと、新しい楽しいことや、喜びが入ってこない。泣くことも、嘆くこともしないということは、考えないようにして心の平和を保っていても、結果、そこにとどまって死者とともに自分の未来を封印してしまうことなのだ。それは先だった者の望むことではないと、井上ひさしは言うのだ。

人間は思い込みの動物だ。往々にして知能が発達したばかりに自分の思い込みや、過去の言葉や体験、生き残った罪悪感に捕らわれて、幸せを感じることを逃し、嫌う。心配している他者や、見守る森羅万象に生かされていることに感謝することも忘れる。今を生き生きと身の丈一杯に生きることがなかなかむずかしい。

迎え火を焚いて新盆の母と義父を迎え、祈り、そのあと母の曾孫まで集まり、皆で食事をし、大騒ぎをした。思い出話に泣き、笑い、愚痴り、感謝した。妹からは生前ならとても言えなかった恨みつらみも出てきた。母は姿かたちはないが、そこにいて静かに聞いてくれている。関係性の新しい発見や捉えなおしが始まった。一人では向き合えなかったことが、おいしいものを挟んで皆で向き合うお盆は、生者にとっても死者にとっても生きなおしのきっかけをもらう節目の時間なのだ。

20数年を経てあらためて法要が始まり、これから毎年お盆には友人とその息子の新しい語り合いが始まるかもしれない。彼女が泣くこと、笑うことを自分に許すことができるようになるといい。それは少しづつ癒されていくこと。そうした新しい出発となることを願う。

井上ひさしは、辛いヒロシマの現実に向き合うことから、平和な新しい日本の未来、そして人類の未来を、いのちの尊厳が守られるものにしたいと願ったのだ。演劇なら、オールシーズンで、お盆でなくてもいい。芝居にかこつけて暗い客席で、誰にもかまうことなく、心おきなく、泣き笑いしていただきたい。それは自分でも気づかず見ないようにしていた過去を癒して未来を創るための、供養のような働きもする演劇だ。そんな、愛と死を思い出す演劇を創りたい。社会に、喜怒哀楽豊かな、人間らしさを取り戻すために。今を生きる私たちはみな、21世紀の未曾有の難問と苦しみに向き合い、3.11で旅立った人々と共に未来を創らねばならないのだから。