菊地映輝さんへのリレーインタビュー

株式会社ミネルバ代表の柴田 昭さんからのリレーインタビューは、慶応大学SFC上席所員の菊地映輝(えいき)さんです。

小学から高校の頃まで毎日、一家揃って一日中テレビばかり観て育ったという菊地さんは、すべてのことはテレビから学んだといいます。私は、テレビ漬けで育って研究者になった人に初めてお会いしました(笑)。
テレビは思考を画一化してしまい独創性が乏しくなると考え、自分の子どもにはあまりテレビを観せなかった私ですが、実は小学生の頃までかなりのテレビっ子でした。

とても優しくピュアな生き方をされている菊地さんは、何を考えどのように生きようとしているのか。研究者の視点、思考で、様々な角度から語ってくださいました。多くの人が職業や仕事について考える時の、あの“あきらめ感”は何に起因するものなのか。とても大切なことに気づかされます。(聞き手:昆野)

――どういう研究をされているんですか?

菊地映輝さん:文化について研究をしています。文化がどのようなプロセスでできたのか、どうなっていくのかを研究していて、研究しながら大学の非常勤講師もやっています。
文化と言っても幅広いですが、私がしているのは特にサブカルチャーの研究です。

――サブカルチャーと出会うきっかけは?

菊地映輝さん:実家は札幌なんですが、小さい頃から一日中家族がテレビを観ている家で、私もずっと一緒にテレビを観ていました。ずっとテレビを観ていると、そこでは“東京的”なカッコイイものが流れている訳ですよ。それが私にとっての原初体験で、テレビの中のキラキラした世界を研究したかったというか、そこに自分もアクセスしたかったんです。
それが私にとっての文化のイメージで、今はオタク文化を研究していますが、それも小さい頃に観た『電車男』が影響していると思います。

――家族と一緒に一日中テレビ漬けですか。珍しいご一家ですね(笑)。

菊地映輝さん:良くも悪くも、大事なことはすべてテレビが教えてくれました(笑)!

――テレビからどのような影響を受けたんですか?

菊地映輝さん:影響というよりも、“あこがれ”ですね!私自身が俳優としてドラマで演技力を発揮できる訳でもないし、お笑い芸人のように面白いことを言って笑わせることもできない。その世界で自分が1プレイヤーにはなれないので、研究をしているみたいな感じですね。常にあこがれの世界でした。
小さい頃はテレビ、思春期はインターネットと、いつも面白いものがある場所へのあこがれがあるけれど、でも自分はそこには行けないんだというのがモチベーションでした。

――札幌から東京に出て来られて、行きたいと思っていたところに行くことができたんじゃないですか?

菊地映輝さん:夢をもって東京に出てきたんですが、何故か慶応の環境情報学部のキャンパスは神奈川県藤沢市の外れにあるんです。駅から徒歩40分。さらに親が決めたアパートに住んだら、札幌よりも田舎で飲食店もないところでした。
キラキラした世界にあこがれ上京したはずなのに、逆に島流しにされたような感じでした。行きたいところには行けませんでした。思っていた東京とは、ちょっと違っていましたね(笑)。

――藤沢でもテレビ漬けでした?

菊地映輝さん:周囲がみなインターネット中毒だったので、私も引き込もってネットばかりしていました。でも結果としては、それが良かったと思っています。その時にインターネット的な思考やネット文化を経験できたので、今やっている研究にも役立っていますし、自分の人格形成の上でも重要なことだったと思っています。

――何がどう影響するかわからないものですね。

菊地映輝さん:そうですね。偶々の連続で今がありますね。

――実は私もテレビっ子だったんですよ。

(菊地さんが目を大きく開らき、うれしそうに身を乗り出して)
菊地映輝さん:そうなんですか(二人大笑)。

――いつも一人で観ていました。

菊地映輝さん:テレビがつくってくれた私というのがあって、その後大学時代にはネットが私をつくってくれました。今はその二つを混ぜた自分があるんだなあと思っています。

――ご自身もオタクだったんですか?

菊地映輝さん:小中学生の頃アニメやマンガにハマっていて、自分はオタクだと思っていたんですが、ある時「他のオタクみたいに情熱をもっていないな」ということに気がついたんです。次から次に登場する新たな作品の視聴や、どこまで買ってもキリがないグッズの収集に私は疲れてしまったんですね(笑)
自分がオタクではないと感じ始めて、オタクというものがどういうものか知りたくなりました。

――どんなお子さんでしたか?

菊地映輝さん:んーん…、難しいですね。

――どんな夢をお持ちでした?

菊地映輝さん:夢、んーんそうですね…。あまり夢のない子どもだったような気がします(笑)。どちらかというと、自分の興味のあることだけをやって来て、興味だけを追い続けて来た感じです。ずっといつも「知りたい!」ということが根底にあるんです。

――今もそれを続けておられるということですよね。

菊地映輝さん:手を変え品を変え、やって来れたと思います。今はコスプレやサブカルを研究していますが、その時代その時代に色々なことをやって来ました。例えば、学生の頃は『Dowitter』というTwitterを使った簡単な診断および調査サービスを運営していました。このサービスでは、自分がフォローしているTwitter上のユーザーアカウントのうち、どのジャンルの有名人が多いのかという傾向を知ることができるものです。また、修士論文では当時若者に人気だったライブストリーミングサービスの「ニコニコ生放送」のユーザーにインタビューを行って、なぜ彼らがニコニコ生放送にハマるのか。ニコニコ生放送内に見られるユーザー文化は何によって育まれるのかを明らかにしようとしました。やってることは全く違いますが、共通点はその当時にネットで流行しているものでした。
最近研究を行っている、お台場に何故オタクが集まるのか、街中でコスプレをすることがどういう意味をもつのか。そうした研究も全て、自分がオタクだと思っていた時期に持っていた興味が、バックグラウンドになっています。

――幸せな人ですね(笑)!

菊地映輝さん:ホント、幸せものです(二人大笑)!
30年間、私に投資し続けて来た両親は嘆いていますが、その子ども(私)は幸せものですね。そろそろ、長年の親の投資に報いるためにも、社会的成果を出したいなと思っています(笑)。最近それが楽しいし、やっと少しずつ評価されるようになってきた感じです。

――菊地さんには、“興味本位でいる自分”を大切にしてほしいなあ。誰かのためと言いながら、自分が何かに打ち込めなければ、誰かの役に立とうとしても難しいですからね。

菊地映輝さん:以前、一人暮らしの親戚のおじいさんが、しばらくの間誰にも発見されずに亡くなっていました。孤独死でした。その時、オタクとか楽しいことばかりではなく、社会的な問題に対しての研究もやらなければとしばらく葛藤していました。でも、やはりその感覚は長くは続きませんでした。
結局、使命を持ってやれる人がやるべきだなと、自分を納得させました。

――確かに、『孤独死』も一つの社会的な課題ですね。ただ亡くなった方の一生を想うと、最期に一人で亡くなった状態を孤独死と表現し、恰も悲惨な亡くなり方をしたと報じるメディアに私は疑問を感じています。孤独だったかどうかはご本人の気持ちであって、第三者が決めつけることではありません。そういう意味では、ネガティブな言葉ほど決めつけない方がいいと思っていて、例えば孤独という言い方を避けて「孤独感がある」という程度にしておいた方がいい。以前、『言葉の使いよう』にも書きましたが。

言葉には、自分が言葉の意味と同じ状態だと思い込ませてしまう力があると思うんです。3.11以降、私は2ヶ月ほどの間“悲しい”と感じていましたが、その後何か違和感を覚えるようになりました。この感覚は何なのだろうと、しばらくの間放置していたらある時、“自分を哀れんでいる”状態に変化していることに気がつきました。
人間というのは、自分のことはわかりにくい。気づかないうちに、こういう変化が起きるのかと驚きました。この2つの違いは大きくて、“悲しい”はとてもピュアな状態で人間的に自分を成長させてくれる状態であり、“自分を哀れんでいる”は第三者を意識した恣意的な感情に惑わされた状態だと感じていました。少し脱線しました(笑)。

菊地映輝さん:あの時の悔しさみたいなものは、独居している人が、外と何らかのカタチで繋がっているシステムがあれば、叔父さんは生きていたんじゃないかというものでした。コミュニティが崩壊してしまっている現実に対し、少しでも解決可能なシステムを考えるべきだったのではないかという後悔です。
それでも私は、結局、別のテーマを選んで今があります。

――そこに菊地さんらしさがあるのではないでしょうか。その時々にご自分が関心をもち、やりたいことや面白いと思ったことに集中できたところに、菊地さんらしさがあると思います。今日初めてお会いしてまだ数十分ですが、それを大切にしてほしいなと思います。

菊地映輝さん:ありがとうございます。

――おカネを稼ぐことを目的に仕事をし始めると、“仕事が楽しい”なんて思えなくなるし、「仕事は楽しく」なんて口にすると「ふざけるな」と言われてしまいそうです。それが当たり前だとか、仕事の厳しさだと誤った考え方をしている人がとても多いですね。

菊地映輝さん:確かにそうですね。自分がやりたいことと、おカネをもらえることが一致することが一番いいと思いますがなかなか難しい。いつも自分がやることの社会的な意味を考えていますが、独りよがりなことは絶対に嫌だなと思っています。ただ正直言って他人からチヤホヤされたり、評価されたいという想いもあります。ちゃんと評価される人であれば自ずとおカネに繋がると思うし、様々な評価の仕方はありますが一つはおカネに繋がっているかどうかでしょうね。
将来の私も、仕事をして評価され、それが対価に繋がってくれればいいなと思っています。

――オタク文化などのサブカルは、日本固有のものが多くすでに海外に波及しています。研究内容を海外に伝え海外で実践することは、面白いことではないでしょうか?

菊地映輝さん:確かにクールジャパン政策では、アニメやマンガと言ったコンテンツの輸出に積極的でしたが、形のない文化という概念を輸出するということが果たしてできるのか、国にとって何がプラスなのかを考え工夫していく余地はあるので、私もやっていきたいと思います。
例えばアキバは、海外から東京に訪れる観光客が期待する場所のベスト3に入ります。しかし実際訪れた観光客の満足度はベスト3に入りません。なぜそうなるのか、解明しなければなりません。

――ビジネスとしては時間が掛るので、海外の大学で教えるのはどうでしょうか?海外からの観光客のほとんどは、表面的なアキバの情報をもとに訪れ、表面的な情報やモノだけに接して、期待外れだったと言っているのではないでしょうか。
もう少し深く理解をしたいと思っている人も多いでしょうから、例えば訪問先の歴史をある程度知った上で行くのとそうでないのとでは全く面白味が違うのと同じように、見えないことの理解をしてもらうことが必要な気がします。

菊地映輝さん:日本で起きていることを、海外の授業などを通して伝えることは重要な意味をもつと思います。私ができることは、中と外をつなぐことなのかも知れないなと思っています。何故なら、私自身がオタクになりきれないオタクだったので、ある種、内側のことを身近に感じられる外側の人間と言える気がします。だから研究者としてもいいポジション取りができるのではないかと。当事者でもないし第三者でもない立場ってまさに研究者に求められる立場なのかなと思っています。それが、やりたいことの一つです。

――埼玉県の宮代町でも活動をされているようですね?

菊地映輝さん:そうです。柴田 昭さんが関わられている町民主催のコスプレイベントの調査研究を行っています。今では“第二のふるさと”と思えるほど、地元の方々に温かく迎えていただき、とても愛着のある好きな街です。皆さん素敵な方々で、商店街の会長や役場職員、住民の方々など、立場も年齢も関係なくフラットで自由に楽しいことをしているところが、とても心地がいいですね。

――フラットな関係性っていいですよね。組織内がオープンというのは、外の人にも自然体で温かいですね。
ところで、今の子どもたちを見ていてどのように感じますか?また、何を伝えたいですか?

菊地映輝さん:私たちの年代含めてですが、日本人ってシステムを相手にするのが得意というか、かなりシステムに依存して生活しています。例えば、私たちがコンビニで買い物する時にレジでやりとりする店員は、フランチャイズのマニュアルというシステムに従って行動しています。だから、私たちは生身の人間を前にしてコミュニケーションを取っているのに、やり取りしているのは店員の向こう側にいるシステムなのです。逆に、今は少なくなってきた八百屋さんの場合には、雑談をしながら、お客さんにその日お勧めの野菜を買ってもらう訳です。そこには人間と人間の会話や自然な振る舞いがあるだけで、誰かが決めたマニュアルがある訳ではありません。日常は段々と人間同士のやり取りではなく、コンビニのようなシステムが前面化し始めています。
特に、今の子どもたちも、小さい頃からそれが当たり前になっていて、疑うことなくごく自然に毎日を生きています。
世の中に蔓延っているシステムが如何に不自然なものか、その“いびつさ”に気づくことが大切で、そのためには何故と疑うことで一度システムの枠から外れて、自分がその外側に出てみることが大事だと思うんです。
私自身、“何故”の感覚を大切にして来ました。疑うことで、少しだけ自由になれる。ビジネスで言えば商機を見出せるとも思います。世の中が如何にシステムで満ち溢れているか、気づく態度が大事じゃないかと思っています。子どもたちに限らず、それを伝えていきたいし、それが私のポリシーでもあります。
今あるシステムは、すでに過渡期に来ています。過渡期を越え限界に来た時に、このままシステムに乗り続けていると死んでしまいます。若い人たちはそのシステムに乗ってはいけないと思うんです。それを世の中全体が先延ばしにして、気づかないようにしているだけ。そうじゃないんだということを伝えていかなければならないなと思っています。

今あるシステムに代わるシステムを、自分たちで考えていくことが重要なんです。

――特に日本に多いですか?

菊地映輝さん:日本はシステムがとても多いです。それだけに、人間的なやり取りが失われています。都会が孤独だというのは、まさに都会はマニュアル化されたシステムに満ちているからです。

――企業からすれば、効率化や均一化、質的向上等のためにマニュアル化していると言えます。個々人からすると、システム通りにしていれば問題はなく安心できると言えます。
でもそこには、無機質な仕事や職場に安心を感じる、無機質な自分がいます。
みんなと同じことをやっていれば大丈夫、でも本当は『安定というリスク』から目を背け続けることで、最も重大なリスクを抱えることになる。当たり前のことですよね。リスクから逃れることばかり考えて、取るべきリスクを取ろうとしない訳ですから。自身の成長を考えた場合でも、衰退の一途というリスクを背負っていることに気づかないでいます。
これから何をしたいですか?

菊地映輝さん:昔から学者と言えば大学の中で研究をするものというイメージが強いですが、私はそうではなく社会に積極的に出て行きたいと思っています。
私は2017年2月に『アキハバラ大会議』というワークショップを開きました。秋葉原が抱える様々な問題を解決するのに、論文を書いて発表しただけでは、今ひとつ不十分と考え、ワークショップという、研究成果をより直接社会に還元できる方法を選びました。このワークショップには、秋葉原に遊びに来る人だけでなく、秋葉原に住む人、働く人、市民団体など秋葉原に関わる様々な人を集めました。そして、それぞれの立場から見た秋葉原の問題点や将来の街の姿について自由に語ってもらったんです。すると同じ街でも関わり方によって見え方や問題の認識が全く違うということが判明しました。このワークショップでは実際に秋葉原の街の問題を解決するには至りませんでしたが、今後も試行錯誤を続けて、具体的なアクションに繋げていく方法を模索して行きたいと思っています。

話を戻すとこれからも自分が興味のあることをテーマに活動していきたいです。 “自分は何に興味を持っているのか”ということに敏感でいる状態を維持し続けたいですね。
その時々で人との出会いによっても方向性が変わって行くので、自分は何に興味があり、どこに“何故”を見出して、それが社会にどう見られるかを、常に自覚していくことが一貫した私の目標です。

――今日はとても興味深いお話しをしていただき、ありがとうございました。


中学生以上の子どもたちに「将来何になりたい?」と聞くと、職業を言う子どもがとても多いようです。
自分がなりたい職業を見つけることが、人生の目標を見つけることになると、学校で教えられているのでしょう。
なりたい職業を言えるということは、いま世の中にある職業に当てはめているということです。さらに自分のやりたいことを、企業や役所における仕事の内容、やり方、役割、責任等に合わせていくことになります。

いつしか、あの頃の自分はどこにいったのか、何故いつからこんなことをしているのだろう、こんなことをして何の意味があるのか、つまらないけどしょうがない、みんなそうだから・・・。
そんな大人が増殖してしまいました。

菊地さんは、“自分は何に興味を持っているのかに敏感であり続けたい”と言います。そのように生きることは、自分に深く問い続けられる状態にあり、いつも自分らしくいて、感性を磨き続けている状態だと思います。
一方で、“どこに何故を見出すかが大切だ”と言います。とても客観的なものの見方、考え方をされているのでしょう。みんながやっていることは当り前で、普通で、常識だと思っているのは、それで自分が安心できているだけのこと。
3.11の後私は、遺体が見つからない、遺骨のない骨箱に手を合わせる、葬式ができない、墓がない等の状況と普通を比べていて、今のこの時代の普通と比べていても意味がないとわかりスッキリしました。

菊地さんは、社会や企業の都合でつくられたシステムに依存している若者たちに警鐘を鳴らしています。間違いに気づいてほしいという願いが込められています。
興味のあることにことごとく没頭しつつも、そこにある課題を客観視し社会に還元する研究者。

菊地映輝さんは、いつまでもこのままでいてほしい人でした。

■ 菊地映輝さんのプロフィール

慶應義塾大学SFC研究所上席所員。2017年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程所定単位取得退学。最近は情報社会における文化事象について、ネットと都市を横断して考えている。

菊地 映輝 – 研究者 – researchmap 
・アキハバラ大会議(@akb_daikaigi)さん | Twitter