永田舞さんへのリレーインタビュー

アロマコミュニケーションカウンセラー高島元子さんからのリレーインタビューは、一般社団法人ハーブボールセラピスト協会代表理事であり、子宮ケア専門サロン リラ・ワリ オーナーの永田舞さんです。

永田さんと初めてお会いし話し始めると、身体が包み込まれるような何ともいえない心地良さを感じ始めました。この心地良さは、永田さんの人間性から湧き出てくるものなのだろうと思いながら話しを続けていた時、一瞬、私は永田さんの言葉の意味がわからなくなりました。

「実は、私は生まれが普通じゃないんです。」

無意識のうちに、私はもう一度聞き返していました。

「私が生まれた日に母が亡くなっているんです。」

永田さんは、“生まれて来なければよかった”という、罪悪感のようなものを抱えながら生きて来られたといいます。それまでの永田さんの人生は、いわば“記憶のない記憶をたどる旅”のようなものだったのかも知れません。

そして3.11が起きました。(聞き手:昆野)

――ハーブボールとは、どういうものですか?

永田舞さん:何種類もの薬草を布で包んで、それを温かく蒸したものを全身に押し当てていくトリートメントです。元々、アーユルヴェーダ発祥で、タイを中心としたアジア諸国の伝統的な治療法の一つです。今も海外では治療の一環で病院でも受けることができます。そんなハーブボールを日本で広めるための専門スクールが、ハーブボールセラピスト協会です。

オーガニックタイハーブで作られたハーブボール

――パンフレットには「和草ハーブボール®」とありますね。

永田舞さん:はい。日本の薬草だけを使って、日本で作っています。

日本のハーブで作られた和草ハーブボール®

――日本の薬草だけを使うことに、どのような違いやこだわりがあるんですか?

永田舞さん:私は『身土不二(しんどふじ)』という考え方を大切にしていて、日本人は日本で採れたものを食するのが自然であり、身体にとってもいいと思っています。
ですから日本全国から、食べても飲んでも安心な無農薬または農薬散布されていない天然の薬草だけを取り寄せています。震災や天候不良などの影響がある中で、安定供給できるしくみや商品づくりを目指し取り組んでいます。

無農薬のみかん、橙を作る農家さん@長崎県

現在、ハーブボールは北関東でつくっていますが、そこでは地元のママさんや介護をされている方、障がいのある方など、外で継続的に働くことが難しい方がハンドメイドでつくっています。

全てハンドメイド。思いを込めて一つ一つ手作り。

――元々、そういう方々の雇用などを考えて活動されているんですか?

永田舞さん:そうです。単に商品をつくり流通させることだけを目的とするのではなく、町おこしや地域活性化さらに日本文化を後世へ残すための一つのツールとしてつなげていきたいと考えています。

――ハーブボールと出会ったきっかけは何だったんですか?

永田舞さん:元々私はSEの仕事をしていて、朝から夜遅くまで働く激務の日々が続いていました。そんな時に、育ての母親である祖母がガンになってしまいました。毎日の激務と祖母の介護のために東京と長野を往復し続けて、心身ともにとても疲れていました。心身の不調を治すために様々な治療を試してみたんですが、私にとって最も効果が持続したのがタイ式マッサージでした。タイ式マッサージを受けるようになってからタイという国についても興味を持つようになり、会社を休んでタイに行った際にハーブボールと出会いました。当時ストレスで不眠と極度の生理不順があったのですが、ハーブの香りと温熱効果のおかげで、ハーブボールの施術後すぐに生理が来て深い睡眠がとれました。自律神経とホルモンの調整にハーブボールがとても良かったのだと思います。また、ハーブボールを体験した際に、ありのままの自分を受け入れてくれるような感覚があり、心からホッとし、安心できたことを覚えています。
この経験がきっかけとなって、その後すぐに会社を辞めました。その頃日本ではハーブボールを習う場所があまりなかったので、3か月程本場のインド、スリランカ、タイに行って勉強して日本に戻ってきました。2007年の頃でした。

ハーブボールを学びに行ったタイのスクールにて

ハーブボールに出会ったきっかけは、確かに仕事の忙しさもあったのですが、実は、私は生まれが普通じゃないんです。

――はい?

永田舞さん:というか、私が生まれた日に母が亡くなっているんです。

――そうなんですか・・・。

永田舞さん:実母が亡くなった後、私は母方の祖父母に育てられました。
なぜ私はこんなにもハーブボールが好きで、こんなにも真剣に向き合っているのかあらためて考えてみると、私にとってハーブボールは一度も顔を見たこともなく、声も聞いたこともない『お母さん』みたいな存在で、何でも受け入れてくれるような温かみがあり、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言われているような感覚に包まれるからだと思っています。
生まれた時から私を育ててくれた祖母が亡くなった時、早く祖母に会いたくて、私は死にたくて死にたくてしょうがなかったんです。心が壊れてしまった時に、生きるきっかけを見つける最後の手段だと思って行ったタイで出会った「ハーブボール」は、私に生きる本当の意味を教えてくれたような気がします。

――みなさんにずっと見守られ、みなさんからのメッセージを受け取れてよかったですね。ハーブボールが永田さんを、メッセージを受け取れる状態にしてくれたということなんでしょうね。
その後も、何度か海外で勉強されたんですか?

永田舞さん:はい、何度も行って勉強しています。ちょうど3.11があった2日後にインドとタイへ行く予定をしていて行くべきかどうか迷いましたが、家族の応援があり行きました。結局、私は海外からずっと日本の惨状を観ていました。日本の凄まじい光景をずっと観ながら、今私は生きていて、今海外からこの状況を観ていることがどのような意味をもつものなのか、ずっと考えていました。
そして思ったのは、これから私は「いつか」という言葉を口にするのは止めようということでした。つまり物事を先送りして生きることを止めようと決意しました。いつかやりたいと漠然と思っていても、その「いつか」は訪れないこともある。何度も何度も海外から日本の衝撃的な映像を観ながら、私はそう思っていました。それからは、どんなことであってもやると決めたことは必ずやろうと思って生きています。
またその時周りにいた外国人から、今日本はどうなっているのか、この惨状をどう思っているのか、原発はどうなるのか等多くの質問を受けました。その時私は日本人として、これからこの震災とどう向き合って行けばいいのかを、その都度問い正されている気がしました。

――「いつか」を使うのを止める、先延ばしの人生から脱却。いいですね!
帰国してから、どのように変わりましたか?

永田舞さん:“命と向き合って生きたい”という想いが強くなりました。元々、私がハーブボールを通じて接する方の多くは妊娠や出産を経験されているので、その方々のケアをすること自体が“命と向き合う”ことなんだと再認識できたんです。「そのままの自分でいい」と思っていただけるケアであり続けたいと思っています。

――3.11によって、死にたいという想いから、このままの私でいいんだと気づかされたということですね。

永田舞さん:「いつか」は来ない。今、私を生きるしかない、と。

――決めてもやらない人が多いですよね、この世の中(笑)。軽々しく生きている人が多い割には、軽快に生きている人は少なく、しがらみを引きずって生きている人が多い。みなさん想い込みで生きているなら、楽しく愉快な想い込みをしていた方がそれだけで世の中よくなるんですが(笑)。どうかしてますよね(二人大笑)。

永田舞さん:どうしても自分一人でやっているような感覚になり、独立心や対立心が湧いてきたりしてつながりを忘れてしまいます。一人で生きている訳じゃない、もっともっとつながりを感じられるような生き方ができれば、一人では越えられないことも乗り越えていけると思います。
妊娠や出産というのは自分ではセーブできない状態で、セーブしたいと思ってもできません。それはとても神秘的でピュアな状態だといえます。

――私は男なので妊娠、出産の経験がないですが(笑)、悲しいというのもすごくピュアな状態です。失ったものはとても大きいけれど、ピュアな状態はとても大切なことをもたらしてくれます。でも人間はピュアな状態をいつまでも持続することは難しい。3.11以降、私も悲しいというピュアな状態から、時間とともに“自分を哀れむ”状態にすり替わっていることに気がつきました。それは人間が陥りやすい罠でした。

永田舞さん:ピュアな状態から、エゴが入り混じって来るんでしょうか?

――生きるってそういうことなんでしょうね(笑)。
永田さんご自身は、どのようにして“つながり”をつくっているんですか?

永田舞さん:例えば、私は地域の農家さんとのつながりをとても大切にしていますが、きっかけとしては物産展などに出店された方のコネクションで現地に行き、農家の方とお話ししてつながっていきます。人を介してつながっています。
元々私は、自分で使ったことのないものを使ったり人に勧めたりあまりできないので、可能な限り直接お会いして判断し決めています。それによって農家さんとのパイプも強くなり広がっています。そうやって普段から薬草をつくり集めているネットワークが機能していれば、いざという時もきっと役に立つと思っています。

国内で2か所しかない、無農薬の紅花畑の視察風景@山形県

一方今の社会では、何でも買えば済むという意識が根強くありますが、そういう意識がつながりを阻害しているといえます。元々日本の暮らしには、分かち合うという文化が根ざしていたと思うんです。そういう日本の文化や良さというものが、次の世代につながっていないということも強く感じます。こういうことを私が強く意識するのも、やはり私の生まれ方によるところが大きいのかなと思っています。
日本の各地にある様々な食文化や生活様式などが、次の世代につながらない状態にあります。このままだと日本の文化や産業も残らない。何のために今この時代に自分が生きているのか、何を残せるのかと考えても何も残すことができない。とてももったいないことだと思っています。
私自身、生まれ方が違っていることや普通の家庭とは違う育ち方をしたことによって、人とは別の角度から“生まれて来ることの意味”を伝えられると思っています。

――生まれ方が違うことに、運命的なものを感じ始めたのはいつ頃からですか?

永田舞さん:実は最近なんです(笑)。ずっと生まれて来なければよかったと思っていましたから。私のせいで母は亡くなった、私が生まれなければ母はそのまま生きていた、と。本当にしっくりと心に落とし込めたのは、最近のことです。
自分は自分でいいんだ。必要だから生まれて来たんだ。だから私がやるべきことは何だろうと、やっと最近思えるようになりました。いままでずっと人と比べてしまう生き方をしていたような感じがします。あの人は両親がいるから私とは違うとか。でもそれでは自分が可哀そうだなと(笑)思えるようになって。生まれて来たことがハッピーだし、ピュアな状態で生まれてきているので、変な見方、考え方はもう止めようと思いました。
今、命と向き合う仕事をさせていただくことで、今の自分を生き切ることとか、生まれてきたことの意味を一つずつ確認する作業をさせていただいています。この仕事と巡り会わずに、ずっとSEをやっていたらこんな想いを抱くこともなかっただろうなあと思うと、やはり運命的なものを感じます。

――全然違う人になっていたでしょうね(二人大笑)。同じ名前だけど、違う人みたいな。

永田舞さん:ホントそうですよね(笑)。

――将棋の羽生さんが、今の自分は将棋のことをまだ何もわかっていないと話されていました。スゴイなと思いました。自分のこと、人間のこと、宇宙のことなどをわかろうとすることは大切なことですが、わからなくても、今ここに生きていることに感謝することができれば、それだけで素晴らしいことなんじゃないかなと思います。

永田舞さん:わからないと思いますし、わからなくていいと思います。

――そうなんですよね(笑)!
ところで妊娠、出産というピュアな状態にいる方と接する場合に、何か心掛けていることはありますか?

永田舞さん:いつも中庸でいることですね。どんなことがあっても身体に触れる時は、心をフラットな状態にしています。また身体のこと家庭のこと等、色々と踏み込んでお話ししなければならないので、考えを押し付けず、ただただ傾聴するように心掛けています。

――来られる方の中にはシングルマザーや共働きの方もおられると思いますが、日々の暮らしの中に、社会的な歪を感じている方も多いのではないでしょうか?

永田舞さん:サロンに来られる多くの方が、社会のしわ寄せや歪を感じています。待機児童問題、教育、食、安全などの話が多く、結局、行きつくのはいつも政治の話です。そして最も影響を受けているのが子どもたちです。

――政治の話ですか、確かにそうなりますね。子どもたちを見てどう思いますか?

永田舞さん:純粋無垢でいいと思う面もあれば大人びている面もあり、ちょっと怖いと感じることもあります。もっともっと小さい頃に感じてほしいこと、培ってほしいこと、育んでほしいことを、体験を通して感じてほしいと思います。
子どもたちを見ていると、一人の大人として申し訳ない気持ちが湧いてきたりします。
昆野さんは、お子さんとのコミュニケーションをよく取っていたんですか?

――ほとんど会話はしませんでしたね(笑)。ただ毎朝出掛ける前の一瞬それぞれの顔を見て、「大丈夫だな」と思っていました(大笑)。コミュニケーションは大切ですが、私自身がどう生きているかが大事だと思って生きています。
ただ、子どもは親になってみないと親の気持ちがわからないことも多いので、「多くの親は、自分の命よりも子どもの命を守りたいと思っている」ことなど、伝えるべきことは伝えた方がいいでしょうね。親子の断絶とか、もったいないなと思います。子どもに対して、いつも私は真剣に接しています。子どもがどう思っているかはわかりませんが(大笑)。

永田舞さん:なるほどですね。お父さんはちゃんと見てるよって示してあげることが大切ですね。

――「いつか」を使わないということと、同じような感覚だと思うんです。

永田舞さん:生きることと死ぬことは表裏一体で、死はいつ訪れてもおかしくない。当たり前ってないじゃないですか。そう思って生きている人ってどれくらいいるのかなと思います。

――執着の少ない生き方が大事だなと思いますね。

永田舞さん:当たり前と思っていることが無くなってもいいんだという生き方をしている人ほど、すごく器が大きくて魅力的ですね。私もそうなりたいと思っています。

――もう大丈夫じゃないですか(二人大笑)。違う自分と生きている人が多すぎますよね。

永田舞さん:誰かが決めた「私」と生きていたりします。私はなぜこうなのかとか、考えることすらしない人が多い。そういうことをやらずに、どう生きているのか不思議に思います。

――考えて答えを出そうとする人が多いですが、考えている間は答えが出なくて、考えるのを止めた時にふとわかったりします。単に腑に落ちればいいことなんですが、考えるから腑に落ちない(笑)。

永田舞さん:大事なことは臓器の名前がつきますね。私は生徒さんに、第二の脳が腸、第三の脳は表皮と教えています。私たちセラピストは表皮という脳に触れる機会をもらう仕事です。その人の感情に触れることができ、思考に影響を与えるようなとても重大な仕事をしているので、技術や知識を身につけなければならないと伝えています。
脳はアタマにしかないという固定観念がみなさんあるので、身体はつながっていて様々なところにDNAが組み込まれていること等を理解できれば、みなさん腑に落ちると思います。

――それだけでいい世の中になるんですけどね(笑)!

永田舞さん:なかなか簡単にはいかないみたいですね(二人大笑)。

――これから何をしたいですか?

永田舞さん:サロンのお客様のお子様は沢山見てきたので、次は自分の子孫を残したいですね(笑)!もう一つは日本というキーワードで何かをしていきたいと思っています。
日本人として生まれ育ってきて、日本のものを使うことや日本の伝統・文化をつないでいくことはとても大切なことだと思っています。私の生き方の軸はそこにあると思うんです。それを後世につなげていくことが私の役割だと思っています。

和草ハーブボール®を通じて、子ども達に日本の素晴らしさを伝えている

――いいですね!清々しい気分をありがとうございました。

いつかやりたいと漠然と思っていても、その「いつか」は訪れないこともある。これから私は「いつか」という言葉を口にするのは止めよう。
永田さんは、3.11直後に海外から日本の惨状を観ていて、そう決意されました。

死にたいと思っている時は、死を覚悟していなかったのかもしれません。
“命と向き合って生きる”と決めた時に、死を受け入れて生きる覚悟ができたのかもしれません。

生きる覚悟をもて始めた時に、自分のミッションがくっきりと見えてきて、焦点が絞り込まれ、今やるべきことを理解し、それをやり続けている。
やり続けることの中でつながりの大切さを実感し、新たなつながりをつくり、つなげていくためのハブとなる。

永田さんは光の道を歩み始めた人でした。

■永田舞さんのプロフィール

1982年長野県出身。
会社員時代にタイで体験したハーブボールの温かさと香り、自分を全て受容するような包み込まれる感覚に感動し、会社を退職。
2011年ハーブボールを主軸にした子宮ケア専門サロン「リラ・ワリ」を三軒茶屋/学芸大学にオープン。

ハーブボールの知識と技術の高さが口コミでセラピストに広まり、2013年ハーブボールスクールを開校。のちに、2016年、一般社団法人ハーブボールセラピスト協会を設立。日本でハーブボールを専門的に学べるスクールとして、全国から受講生が集まる。

夢は「一家に一個ハーブボール」。
座右の銘は「なすがままに、あるがままに」。

<リンク先>
一般社団法人ハーブボールセラピスト協会
子宮ケア専門サロン リラ・ワリ