池田早紀さんへのリレーインタビュー

一般社団法人ハーブボールセラピスト協会代表理事であり、子宮ケア専門サロン リラ・ワリ オーナーの永田舞さんからのリレーインタビューは、アーユルヴェーダ カウンセラー&セラピストの池田早紀さんです。

20歳の時にインドへ行ったお母さんのお話を寝物語のように聞いて育った池田さんは、ご自身も20 歳になった時導かれるようにインドに向かいました。そしてその旅先で出会ったものは、池田さんが生涯をかけて辿り着く理想郷のようなところでした。
その後、池田さんはアーユルヴェーダを通じて“いま眼の前にある命”と向き合い、命のつながりを大切にして生きておられます。

インタビューが始まり、アーユルヴェーダについてお聞きしていると、なぜか池田さんのお話しは一気に“人生の目的”という深い深―いところに飛んでいきました(笑)。(聞き手:昆野)

――アーユルヴェーダとはどういうものですか?

池田早紀さん:世界4大伝承医学のうちの一つです。アーユルヴェーダとは“生命”に関する“智慧”という意味の、インド亜大陸を発祥とする世界最古の医療です。病気と治療の枠組みだけでなく、健康な人をも対象にした医学で、WHO(世界保健機構)の認める代替医療でもあります。
馴染みのある文化の中の考え方でいうと、仏教思想の特に禅宗に近いところも多々あります。
また、アーユルヴェーダとも関連してくる、有名なインドの聖典([1])『バガヴァッド・ギーター』には目的と行為に関する記述があるのですが、端的に言うと行為そのものが目的なので行為をしなさいと教えています。それをずっとずっと削いでいくと、無や悟り、三昧の境地に至るということになります。
行為ではなく目的に捕らわれてしまう時には、例えば組織を管理する側がただ人間を管理しやすい状況をつくってしまうことに繋がったり、内面の弱さや虚無感を隠したりしてしまえるということでもあるのかなあと思います。あとは目的について考えすぎてしまって手や足が止まってしまったり。結果や、また結果への執着(成功や不成功など)を捨てて行為をできるかどうか、また行為し続けることができるか、ということを問うている聖典です。

――面白いですね!“人生は体験だ”と思っている私には、腑に落ちることです。生きる目的がわからないと言って迷走している人も多く、それによって自分の存在意義を知ろうと求め歩いたり他を否定したりします。
3年程前にエックハルト・トールのDVDを観ていたら、人生に目的はないと言っていました。聴衆に向かって彼は、「もしあるとすれば、みなさんの目的はここに来たこと。あるいはそこに座っていること」と、にこやかに穏やかな口調で語りかけていました。多くの人は、目的と思えるものがないと不安なのでしょうね。
アーユルヴェーダのセラピストというのは、どんなお仕事ですか?

池田早紀さん:ボディーワークとしてはオイルを使ったカラダのトリートメント(浄化療法)が特徴です。“肉体と魂と精神”の3つを対象とした医学なので自ずとカウンセリングなどの要素も入ってきます。

アーユルヴェーダの施術で使用するオイル

――何がきっかけで出会ったんですか?

池田早紀さん:20歳の時にインドに行ったのがきっかけです。それまで、私はアーユルヴェーダを知りませんでした。

――なぜインドに?

池田早紀さん: 母が20歳の時にインドへ行ってすごく良かった!と何度も言っていたので。私も20歳になったらインドに行くのかなあ〜と勝手に思い込んでいました(笑)

スリランカのアーユルヴェーダ視察、病院の製薬所にて

――人生の必然だったということですか(笑)?

池田早紀さん:ねえ、どうでしょうか(笑)。私が小さい頃から、いつも母は20歳の時に自分がインドに行った話をしてくれました。何が良かったのか、インドがどの様な国だったのか、母が何を体験したのかについては、多くを語ってくれませんでしたが、私も20歳になったらインドに行こうと刷り込まれていました(笑)。
20歳になった時私は大学で教育と心理学を専攻していました。仕事を通じて社会に自分を還元したいという想いはあったのですが、それを職業に当てはめた場合どんな職業なのだろうと考え模索していました。
そんなモヤモヤ感をもちながらインドに行ったら、たまたま紹介された宿がアーユルヴェーダのリゾート施設だったんです。何も知らずに行った私は、まずそこが病院だということに驚きました。病を治療しているところなのに、気持ちが良すぎるほどいいところでした。心地良い風が吹き、光があり、穏やかな海が見え、ハンモックや芝生があって、とてもリラックスできるところでした。
そこは、当時私が学んでいた心理学の治療室や精神分析室、カウンセリングルームのイメージとは随分違っていて、看護婦はすごく楽しそうで幸せそうに働いていますし、オーナーは「病は気持ちがよくないと治らないので、3割ぐらいの人はここに来ただけで治ってしまうんだよ」なんて、ちょっと自慢気に話してくれました。
その時インドで受けた衝撃が、今の私の生き方に大きな影響を与えています。

――お母さん、凄い方ですね!

池田早紀さん:確かに、小さい頃から私は、母の影響を凄く受けていると感じます。

――お母さんとアーユルヴェーダとは、何か関わりがあったんですか?

池田早紀さん:直接的にはありませんが、子育てを終えてから母は様々な手技療法を学んでいます。最終的には頭蓋骨整骨療法を含むオステオパシーを体得して、最近60歳になって開業しました。命に係わる仕事を通じて人の役に立ちたいという意味では、やはり深いところでつながっているのかなあと思っています。

――命がつながっているという感じがしますね。お母さんと池田さんとお子さんの間に、強いつながりを。

池田早紀さん:今日ここに来るにあたって考えていたのですが、やはり私という人間にアーユルヴェーダを授けてくれたのは母だったのだなと思っています。いま私はアーユルヴェーダに守られて生きているように感じるので、これを生業というよりも、アーユルヴェーダの価値観を体現していくことが、私にとって意味のあることだと思っています。
いま東京で暮らしながらアーユルヴェーダに携わることを選んで、暮らしの中で折り合いをつけていくことも含め、きっと意味のあることなのでしょう。

フィンランド、ヘルシンキでセラピストをしていた際のセラピールーム

――東京で暮らすことに、葛藤があるということですか?

池田早紀さん:(・・・沈黙。)20代の時は、ひたすら世界中でアーユルヴェーダの研鑽を積み、セラピストとして多くの方々と一対一で向き合う仕事をしていましたが、30歳の時に第一子が生まれ東京に定住。そして二人目の子がいま2歳です。インドやスリランカ、世界各国でヨーガやアーユルヴェーダの世界の中だけで、無心に学び続け、何も考えずひたすら走り続けていた独身時代と、生活者として定住をし、子どもや家族を守りながら生き抜いていくことには大きな差があり、そのシフトに戸惑っていたような気がします。
また暮らしと仕事という点では、自分がアーユルヴェーダの仕事をしたいからといって、子どもを保育園に預けてでも仕事をするのかというところに私は大きな葛藤がありました。本来、生命の智慧のはずなのに、生命の現場を離れて他の人の施術をして対価をいただき、そのお金で子どもを保育園に預ける。何か凄く根本的な矛盾を感じていて、本当は違うのだろうけれどもアーユルヴェーダの仕事をどうしても続けたいと思い悶々としていたのが30代前半でした。アーユルヴェーダ=職業という言葉に縛られていたのですね。アーユルヴェーダの本質は職業ではないのに。うんうん、そうそう(納得するように)。

――そうなんですよね。職業という言葉に縛られている人が多いですね。どんなことをしたいかを考えている時に、どんな職業に就きたいかを考え始めるとワクワク感なんか萎んでしまうじゃないですか。生きるって、そんなちっぽけな選択に左右されるものではないですからね(笑)。
最近知ったんですが、“人生は体験”というのは禅の教えらしい。ただ私にとっては禅であろうが何であろうが構わなくて、自分の体験を通して入って来たメッセージが私にとってどのような意味があるのかということが重要です。私は生きるための知識を得たい訳ではなく、必要なメッセージを必要な時に正しく受け取って、それを活かして生きていければいいと思っています。

池田早紀さん:ある友人が、職業は既製服みたいなもので、みんなそれを着てみるけど袖が短い人もいれば丈の長い人もいる。すべての人にピッタリと合った服は絶対にないと言っていたのを想い出しました。[2]

――世の中や会社の枠に自分をはめ込んで仕事をして生きていて、窮屈になって不平不満を言い出す。以前、私は「この会社に入るために生まれてきた訳じゃないだろう。本末転倒だよ!」と、よく後輩に言っていました。会社のためにとか言っていても、突詰めれば自分のリスク回避でしかない。その場凌ぎの上っ面のことで右往左往していることが多すぎますね。

池田早紀さん:特に日本人は窮屈なところに入れちゃうかもしれませんね。世界中には、窮屈なところには絶対に入らないし身を置かない人たちもいっぱいいて、マジメな話をしていてもあくびはするし、待合わせにも来なかったり(笑)。日本人も少しそこを外せたらいいのになあと時々思いますね。

――日本には、我慢して生きるのが美徳で当り前という慣習がありますよね。でもその状態をずっと続けられないことはわかっているので、いつか何らかのカタチで破綻を来します。
そもそも我慢しないということは、逆に言えば自分でリスクを選択して生きるということです。我慢しているといいつつ自分を哀れみながら、リスクを取らないで済ませる選択肢を探しているというのが実態ではないでしょうか。

池田早紀さん:母を見ていて、何でこんなに辛そうに生きているのだろうと思っていましたが、いま思うと日本で子育てをしながら、色々な慣習や制約、女性同士の言い分などが窮屈でしょうがなかったんだなあと思っています。一言でいえば“憤りを感じていた”のではないかと。
私自身は子育てを始めてまだ5年ですが、組織的に動く時にはある種の圧迫感を感じることがあり、するといつのまにか子どもにその圧迫感が伝わってしまっています。そんな時、私ってこんなに弱い情けない女だったのかと思えてきます。一方で自分の内面をしっかり見られる時は、気持ちに余裕をもって子どもと接することができます。そんなことを繰り返しながら、等身大でリアルな人間の心理やアーユルヴェーダを体感しています。
同世代の日本の母親を見ていると、子どものために自分を抑圧し、自己犠牲の上で家庭が成り立つのは「何か違う」と思っていて、もっと多様な女性の生き方を表現しようとしているように感じます。
私自身生きて行くにあたって、結果としてインドではなく東京を選んだのですが、それはアーユルヴェーダという仕事や生き方を東京で体現していくことで、これから先の日本の女性の生き方に役立つような、社会というインフラに還元できることをしていきたいと思ったからです。
母は60歳になって開業し、引切り無しに患者さんが来ています。難治だった病気が治った、身体の痛みが取れた、楽になった、といつも人から感謝されていますが、それでも母は「こんな私でも役に立てているのかな。」と言います。自分なんかという想いが、ずっと長く強く続いたからなのかなと思うと、胸が締め付けられる言葉でした。

――出産や子育てや姑・小姑との生活を体験してきた女性同士は、みんな人生の先輩・後輩みたいな関係なんですかね。私にはまったくわかりませんが(笑)。
母になるって、どういうことですか?

池田早紀さん:命をかけて守るものがあるということです。それゆえに、いままでの自分の思考では動けなる場面が生じたり、自分が情けなくなったりもします。私にとって母になるということは、想像できなかったまさに「体験」の世界です。

――父親の場合も、命がけで子どもを守るという意識は強くありますが、母親のそれとは何か異質のもののような気がします。自分の体内から産まれ出てきた子どもは分身というのか、あまりにも身近すぎる存在でしょうから。

アーユルヴェーダのセミナー風景

池田早紀さん:昆野さんご自身は、どのように育ってこられたのですか?

――4人兄弟の四男ですからまったくの自由というか、親から細かいことを言われたことがなかったですね。だから自分のことは自分で決めるものだという意識が強かったのか、これまでの人生のほとんどのことは自分で決めてきたと思っています。後悔することもなければ、他人のせいにすることもないのは、そういうところに起因していると感じます。そういった情けない行為は、自分の人生を台無しにしてしまうことなのでやりません(笑)。

池田早紀さん:どんな幼少期を過ごしたかは、その人の一生を左右する一つの大きな要因になることが多いですね。

――幼少期の環境や出来事は、その人の人格形成にとても大きな影響を及ぼしますね。私の中で育まれたことは、”自分で決める、決めたことをやる”、ただそれだけです。裏返すと、それは取るべきリスクを取るということです。取るべき時にリスクを取らずに迂回した人生を送れば、いつか最大のリスクを取らざるを得ない状況になる。これ当たり前のことですよね!(笑)
ところで、これからどんなことをしたいですか?

池田早紀さん:人間の間には何か「最大公約数的なもの」があるのではないかと、ずっと思っています。深く深く掘り下げていくと共通する何かがすべての人の中にあって、——それは人種とか、性別とか、育ちとか、言語の違いとか、年齢とかも関係なく—— そういうもので対話ができたらいいな、と小さな頃からすごく思っています。[3]
私にとって、それにアクセスできるのが今のところアーユルヴェーダなのかなと思っています。人類に遍く共通している最大公約数を、アーユルヴェーダを機軸に追っていきたいという探究です。最大公約数の最初にあるものは、生まれたという現実。そして様々な人と関わりながら生きて、最期に死がある。アーユルヴェーダを生きていきたいです。

――子どもたちに何を伝えたいですか?

池田早紀さん:そうですね。(しばし考える。)子どもからは学ぶことばかりですが、強いて言うならば、みんな違うものなんだよ、みんな違っていていいんだよということは伝えていきたいですね。アーユルヴェーダ医学も、人それぞれ体質が違うのだから、同じ状況でもストレス度合いも違うし治療の方法も薬の調合も人によって違うというもの。それゆえ、個性を診る医学とも言われています。子どもたちには、人は皆それぞれ違うものなのだという前提で、絶対と相対の世界があることを伝えてゆけたらと思っています。

――ずっと私たちは、違いを尊重し合うことの大切さを教えられずに育ってきました。肝心なことや本質的なことが、ごっそりと抜け落ちた状態で年齢を重ねている人も多いと感じます。

池田早紀さん:一番大事なことは、自分で見つけるものだからではないでしょうか。

――なるほど!肝心なことは教えられても腑に落ちないことが多いですからね。誰かに教えられてわかったような気になるのではなく、体験することで気づき実感する。そうやって一番大事なことを自分で見つけて行くのが生きるということですね。

池田早紀さん:肉体をもたない状態では喜びもない。感情を体験したくて肉体がある。肉体は制約ではあるが、感情や感覚をもらうための最大のギフトでもあると思うのです。
そして、私たちは体験をするためにこの世にやってきた、、、のかな?

――“ギフト”いいですね!
とても面白いお話しをありがとうございました。

「一番大事なことは、自分で見つけるもの。」
それは、私たちがいつしか忘れてしまっていたことかも知れません。
そして最も大切なことは、“見つけた!”という感動を味わうことなのでしょう。

何のために生きているのかを考えることよりも、“ギフト”から私が成り立っていると思えた時に、有難みが湧き上がり、見えてくる景色が変わり、大事なものが見つかるものなのかも知れません。

池田さんは、生きることの真理を探究しながら、私たちに命のつながりを想い出させてくれる人でした。

■池田早紀さんのプロフィール
Ayurveda Counselor and Therapist
アーユルヴェーダ カウンセラー & セラピスト
<HPリンク先>https://sakin-ayurveda.jimdo.com/

◆ インド国立グジャラート・アーユルヴェーダ大学提携 日本アーユルヴェーダスクール
「アーユルヴェーダライフスタイルカウンセラー」 「アーユルヴェーダ ヒーリング コンサルタント」
◆ 米国補完医療大学「Ayurvedic Medicine Practitioner」
◆ 中国衛生省認定 中国足部反射区健康法足反射療法士

3000年以上前からの癒しの原点「アーユルヴェーダ」に携わり 、上智大学在学中の20歳よりインド、中国、東南アジア、東欧、北欧など世界各国で研鑽を続ける。ヨーガ教室での講師、またクリニックでのカウンセリングなどを経て2009年にセラピストとして独立。講演会、WS多数。近年では、セラピストとしてサロンで個人と向き合いながらも、料理家の方々とのコラボレーションで心身を整える食と暮らしのアーユルヴェーダの場を提供。人気料理ユニット南風食堂との自分をチューニングする アーユルヴェーダ×料理『マハト・チューニング』クラスは多くの卒業生を輩出。今年で4期目を迎える。
(※詳細/お申し込みはこちらhttp://www.nanpushokudo.com/

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[1] 現代語訳もされており、入手可能。上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』岩波書店、田中 嫺玉訳『バガヴァッド・ギーター』 TAO LAB BOOKS
[2] 稲葉俊郎医師。自著『いのちを呼びさますもの』アノニマ・スタジオ、内でも言及。
[3] ユング心理学でいうところの「集合的無意識」のようなものかもしれません。