多少便利さを犠牲にしても

簡素な暮らしと元気な子供、海のままの海、森らしい森、川の歌、その他に何がいるでしょう

五月公演の演目の一つ「レイチェル・カーソン物語」の挿入歌の一節です。

ヨーロッパ 、日本 のプラスチックリサイクルを 一手に引き受けていた中国がもう受け入れないと言う。長い間 中国では汚れたプラスチックを海外から受け入れ、リサイクルするために 人海戦術で洗剤で洗い、 川も 海も大地も空気も汚し、 大変な環境汚染を引き起こしていた。私は ペットボトルを買わないし、プラスチックゴミを 使わない 方だと思っているが一週間で 20リットルの 袋がいっぱいに なる。ニュースを見てギクリとし、やっぱりそうかとも思った。リサイクル処理施設の排水による泡だらけの濁った川、小学生低学年ぐらいの少女が赤ん坊をおんぶして一つひとつプラスティックを洗っている。薬品か焼却の排煙のせいか、少女はしきりに目をこすっていた。ヨーロッパの国々にまでゴミを中国に送っているとは知らなかった。

5月なのに 日本のどこかで雪が降ったり 真夏日になったり 異常気象が 日常のようになって いる。地球が悲鳴をあげている。日本では原発ゴミも増え続け、それは、フランスやイギリスに運ばれ、川と大地を放射能で汚染しそこに住む子どもたちの健康に影響を及ぼしている。私は、暮らしをどう変えようか。どんなに便利でも見えないところで加害者になる暮らしは胸苦しい。便利さを多少犠牲にしても心の底から気持のよい暮らしをしたい。まず節電と水筒とお弁当と風呂敷か。私個人の暮らしと、世界全体のシステムがいのちの尊厳を中心にして回っていくよう祈りながら行動したい。私は脚本を書き、演出をし、俳優に「元気な子供~~」と歌ってもらうことで満足していてはいけない。