加藤ゆかりさんへのリレーインタビュー

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスプラクティショナーの篠山佳奈さんからのリレーインタビューは、シングルマザーの加藤ゆかりさんです。

二人の息子さんをもつ加藤さんは、「元祖へっころ谷」という“天然創作料理とほうとうのお店”で働きながら、タイマッサージ、着物の着付け、デイサービスと四足のわらじを履いています。
19歳で結婚し20歳で第一子を産み、26歳で離婚した加藤さんとお話ししていて最も印象深かかったのは、母としての加藤ゆかりさんでした。
これまでいろいろなことがあったはずなのに、加藤さんの笑顔は屈託がありません。多分、根っからの楽天家なのかも知れませんが、独り立ちしつつある二人の息子さんとご自身の未来を想い、いろいろな葛藤をしながら今を生きておられる様子が伝わってきます。

ひたすら子育てをされてきた加藤さんは、二人の子どもの母親から一人の女性へと向かう岐路に立っているような気がします。
迷わずまっすぐに行きましょう。そんなエールを送りたくなる加藤さんです。
インタビューは、「元祖へっころ谷」で行いました。(聞き手:昆野)

――四足というか母としての加藤さんを含めると五足のわらじですね。いつ頃からどのように移り変わってきているんですか?

加藤ゆかりさん:3.11がきっかけでした。
26歳で離婚してから4年程経った頃で、二人の息子を育てながら事務の派遣をしていました。3.11が起きてまず思ったことは、こういう災害が起こると真っ先に派遣は切られるということでした。この先、このまま続けていては立場が厳しいなと思い始め、ちょっと違うことをしたいなと考えたんです。
30歳を一つの節目に感じていて、これから自分一人で生計を立てていくためにはどうすればいいのか、一端立ち止まって考えました。

元々マッサージ全般に興味があったのですが、ある時『世界で一番気持ちのいいマッサージ』という、強気なうたい文句のあるタイマッサージが気になりました。タイのおばちゃん達が営む横浜のタイマッサージ店で、初めてタイマッサージを受けたら、最後に身体を逆さまにされて大爆笑して、面白い!という理由だけで、やってみることにしました。

その後、武蔵小山にある日本タイマッサージ協会という鍼灸の先生の開いた学校でタイマッサージを学び、ご縁でお声がけいただいて、その学校に5年勤めました。
会長は東洋医学をずっと続けてこられた方で、とても勉強になりました。マッサージの手技だけでなく、解剖学や経絡、五行論など、体に関わる様々なことを教えていただきました。もちろん、どれも学び出せば奥深く終わりのない世界なので、さらりとですが。それが後に、私があれこれと学びだすきっかけになりました。

――どんなことが勉強になったんですか?

加藤ゆかりさん:いろいろなお客様と接することで、私たちの身体にとって日頃の生活習慣が如何に大切か知ることができました。
例えばマッサージのお客様に「毎日ごはん、食べれていますか?」と伺えば、「外食や出来合いばかりで、なかなか身体に良いと思える食事はできていない」と答える方がとても多かったんです。私たちの身体は、食べたものでできているので、例え定期的にマッサージのようなケアをしても、日々の食事をしっかり摂れなければ、その状態が身体に現れるのを痛感しました。

もちろん食事や運動だけでなく、精神的なものにも私たちの身体は影響されています。ストレスを感じると、人は血流を脳に集中させて、身体を固めて身を守るという動物としての本能が残っています。
ストレスを感じるだけで、呼吸、体温、免疫、血流、腸内細菌、脳に送られる物質、そこからくる情緒…様々なことが変化していきます。けど、日々をこなすことに追われていると、そんな自分を振り返る余裕もなくなります。ほとんどの人は、自分のことは後回しにしますね。
そんな方にもっと提案ができるようになりたい!そう思って食事についても学ぼうと考え、「元祖ヘっころ谷」で勤めながら様々なことを学んでいます。

――タイマッサージでの独立は考えなかったんですか?

加藤ゆかりさん:なかったですね。一本化してしまうと、どうやら私は煮詰まるタイプで(笑)、あれやこれややっていてバランスが取れてるようです。

タイ古式マッサージの施術は、2人ヨガとも呼ばれ、受け手だけでなく施術側の身体も
良い状態になる。

――「元祖ヘっころ谷」の食事は、どんなこだわりがあるんですか?

加藤ゆかりさん:お店の店主けんちゃんが、“人を良くする食”というのを本当に大切に考えているんです。近くの畑で、自然農で在来大豆とお米を育て、収穫した稲藁で自家製納豆をつくって、お店のメニューにしていたり。
私たちの身体のコントロールは体内の微生物に大きく影響されていて、今住んでいる環境に適応した身体づくりには、同じ土地で育った作物のもつ微生物を取り込むのが相応しいと考えています。自分が住んでいる地域の土地で野菜をつくり育て、それを食べることが最も理に適っていて自然だという考え方です。
想像以上にマニアックなところで学んでいるなと思っています(笑)。

へっころ谷での賄い時間。多くのスタッフがこのために働いているといっても過言ではない。
5時間仕事をしたあとに、2時間も賄いを食べる日も。
種の話、自作の調味料への関心、精神的な話題まで話はつきない。

――元々、そういうことに興味があったんですか?

加藤ゆかりさん:今思うとそうですね。ずっと興味があったけど、どこで学べばいいのかわからなかったという感じでしたね。

――息子さんがアトピーだったとか?

加藤ゆかりさん:そうではないです。

――うちは第一子の息子がアトピーだったので、ずっと温熱療法テルミーの興梠 守氏に食事療法について教えていただきながら食材を選び食事をしていました。小学校入学時は、まだ給食は無理だと思っていたんですが、市立の給食センターに予め申請すれば個別にアトピーを考慮した給食を用意してくれるということだったので、様子をみながら近所の小学校に通っていました。
ところで着物の着付けは、まさかあの『はれのひ』ではないでしょうね?

加藤ゆかりさん:『はれのひ』?えっ!違います。あれは大変な事件でした。私の周りにも多くの被害者がいて、前日になって振袖はないかと、知人から連絡がありました。成人式を楽しみにしていた人たちのことを思うと、本当に気の毒でなりませんでした。

――被害に遭われた方々は、一生忘れられないでしょうね。
やはり着物には日本らしさを感じるので、日常の衣食住の中に日本らしさを取り戻す意味でも、私も着物を着て仕事をしてみようかと思ったりします。例えば、日本の首相がサミットなどに出席する時は、紋付き袴にすべきでしょうね。体格やスタイルで見劣りする日本人でも、多分どの国の代表よりも風格が感じられると思います。

加藤ゆかりさん:レッドカーペットを歩く着物姿の日本の女優さんは、ドレス姿のハリウッド女優にも負けていませんからね!(笑)
いろいろなことをやっていますが、だからこそ気づくこともたくさんあります。例えば、「うこん」はスパイスでもあり薬でもありますが、染め物の染料にすると虫よけにもなるので、着物やそれを包む風呂敷の染料に使われていました。草木で染めた服をまとうことで、皮膚からその薬効成分を吸収するとも言われます。
薬を飲むことを服用というのは、そこからきているそうなんです。

四足のわらじを履いているとその中に共通点が見つかり、知識が連鎖してくるのでとても勉強になり楽しいですね。

友人の娘の初節句。着付けして古民家へ。

――根っこの部分が“自分の好きなこと”だから、自然にポジティブな連鎖や新たな気づきが生まれるんでしょうね。
そしてデイサービス。こちらの仕事は結構たいへんなんじゃないですか?

加藤ゆかりさん:ところが私の職場は、他の施設とは職場環境や雰囲気が全く違うようで、例えば利用者さん10人に対してスタッフ5人とボランティア5人で対応しますし、利用者さんが自分でできることは奪わずに、自分でやってもらうようにしています。
利用者さんには“できる力を大切にしてほしい”という意図で、お世話をするというよりも一緒に過ごすという感じです。他の施設では利用者さんが包丁をもつことには慎重ですが、その施設では利用者さんも一緒に包丁を使って調理を進めてくださったり、皆さん一緒に料理を楽しんでいます。
仕上げの味付けや出来上がりのチェックは、90過ぎのお婆ちゃんが見てくれることもあります。
そういう雰囲気なので、私は仕事に行くたびにお婆ちゃんたちから格言をもらうのを楽しみにしています(笑)。

――金言ですね。

加藤ゆかりさん:そうです。私が四足も五足もわらじを履いていて、一つに絞れなくて欲張りなのかなとか言うと、「その欲張りはいい欲張りよ。どんどん欲張んなさい!」とか。いつも編み物をもってくる方に「人は時間がない方が、たくさんいろんなことができるの」とか。90過ぎのお婆ちゃんに言われると説得力がハンパないですね(大笑)。
昨日も90代のお婆ちゃんに、今のうちにやっておいた方がいいことは何か聞いてみたら、「遊ぶ!楽しむ!美味しいものをいっぱい食べる!それでいいの!(大笑)」と言われました。利用者さんには、本当にお世話になったり助けてもらっています。
うちの長男は私が20歳の時の子どもなので、私が95歳の時に長男75歳です。私も元気でいようと思っています(大笑)。

――19歳で結婚、20歳で出産。長い人生になりそうですね(笑)。ずっと3人暮らしですか?

加藤ゆかりさん:そうです。実は長男が小1の頃に発達障がいじゃないかと言われた時期がありました。発達障がいというのは概念もはっきりしていなくて、同じ状態でも生活に支障があることを”障がいがある“というし、支障がなければ障がいがあるとは言わない。個性と言えば個性なんです。
とにかく長男は小1から小2にかけて全く教室にはいない子で(笑)、授業中に話をし出すと止まらないとか、虫を探しに一人で教室を飛び出したりしていたので、先生からは毎日付き添って登校してもらわないと困ると毎日学校から電話がありました。そうは言っても、離婚したばかりの私が学校に毎日付き添っていては、生活が立ち行かなくなるし…。

小学生の頃の長男。近所の湧き水エリアにて。サワガニを探しています。

――そうでしたか。今だから笑って話せることもいっぱいあるんでしょうね。

加藤ゆかりさん:先生方を悩ませていた小2の頃に、担任の先生の産休で一時的に代理で来た”元副校長先生”がおられました。その頃長男は授業中に校庭へ出てしまう、教室にいても窓の外を眺めていたり、叱られているのを認識できなくて他の話を始める、テストは名前すら書かずに白紙…といった調子だったので、私は先生が代わるなりお話をしに行きました。前の担任の先生には支援級を勧められていたけど、どうしていいものかと。

そして元副校長先生とお話ししたら、「教室に入った瞬間、彼を見てすぐにわかったよ。たくさんの子どもたちを見てきたけど、私は彼みたいなタイプが大好き。だから、おー!いたいた!!って思ったの!!
今はいろいろ不安に思うこともあるかも知れないけど、小4くらいまでに好きなものがハッキリしてくると思う。いろいろなことが、みんなと同じようにできないとかあると思うけど、そんなの気にすることではないよ。私は普通級で大丈夫だと思う。
とにかく、彼の好きなものを全力で応援してあげたら、彼はそこから伸びていくから。同じような子は何人もいたけど、一人スイスの鉄道が大好きな生徒がいて、ずっと連絡をくれているんだけど、彼は今、大好きだったスイスの鉄道会社で働いているよ。
私はどんな子どもたちも大好きだけど、彼みたいなタイプは育てていて一番面白いから、楽しみにしてて!」と。

その先生がいる間、息子が授業中に教室から出ることはありませんでした。帰宅すると「先生の授業は面白くて、あっという間に終わるんだよ!」と言うんです。
白紙だったテストも、すべて100点で持ち帰るように。一度も書いてくることがなかった連絡帳も、隣の席同士で連絡帳チェックをする時間を設けていただいたおかげで、しっかり書いてくるようになりました。

ところが夏休みを挟んで3人目の先生に代わると、息子はすっかり元通りになってしまいました。先生の悩みも元通りで、帰宅しては学校から毎日掛かって来る電話に、謝り倒すことしかできずにいました。
2年間がんばってみましたが、私一人で育てることに限界を感じて、実家のそばに戻ってきました。

当時は生活に手一杯で、見直すべきことがわからなかったのですが、家庭環境や食事など、もっとできることがあったのではないかと今になって思いますし、どんな大人にもできることではないと思いますが、その子に合う対応ができれば、子どもはとても伸びる可能性を秘めているものなんだと感じました。

――関わる先生によって、そんなに態度や行動が変わってしまうんですか?その子の一生を左右するほど、先生との関わりが大きいんですね。でもその前に、加藤さんの息子さんへの理解が揺るぎなかったから、息子さんはすくすくと育っていたのだと思います。
発達障がいと言われて、一人で困っている親御さんも多いと思うので、是非、加藤さんご自身の体験談を、多くの人たちに発信してほしいですね!

実は、3.11で奇跡的に助かった私の甥も発達障がいと言われていますが、私が見る限り彼は天才です。天才は、凡人に認められて初めて天才と言ってもらえるので、彼らも辛いでしょうね(笑)。

友人宅の竹やぶで筍堀り。家の中では激しい喧嘩をしても、自然の中だと喧嘩にならなかった。

加藤ゆかりさん:集中力を発揮すると凄まじいですね。その後に転校した先の小学校の担任の先生はおっとりしていて、私が心配して大丈夫ですか?と聞いても「何がですか?」という感じでした。ちゃんと教室にいますか?と聞くと、「いますよー」って(大笑)。何だったんだろうという感じです。
小6まではいろいろと問題行動はあったんですが段々落ち着いてきて、今高2ですが生徒会長になったり、私よりしっかりしています。やる気のない時期は全くですが、集中し始めると、3ヶ月くらいで偏差値20くらい上げてくるので、真似できないなと思っています。
未だに虫や生き物が大好きで、生態系調査をやっているNPOでお手伝いさせていただいたり、そのご縁で都内の科学実験教室の合宿に合流させていただいたりしています。

最近、進路について聞いたら「オレ、バックパッカーやろうかなと思って」と言っていました(笑)。

小さな頃からお世話になっていた”NPO Dream eggs ゆめたまご”での田植体験。
教えてもらっていた長男もお手伝い側に。(一番右)

――いいじゃないですか!好きなことをやった方がいいですよ。無理に就活とか言っても、長い目でみると本人のためにならないと思います。

加藤ゆかりさん:本人のためにも、その方がいいんですよね。でも、何処に行くんですかね(笑)?

――何処に行くかはわからないけど、何かを感じて旅に出る。それでいいじゃないですか。これから息子さんに対して、障がいという言葉を一切使う必要はないですね!

加藤ゆかりさん:もう大丈夫です。でも段々発達障がいと診断される子が増えてきていて、学校では普通級、支援級と分けてフォローしていたりしますよね。子どもたちにとって本来どうあるべきなのか考えさせられます。

――子どもファーストで考えたら、区別しない方がいいですよね。いろいろな人がいて違いを知る。比べて優劣を付けるのではなく、比べることなく違いを認め合う。私たち大人は人格形成における最も大切なことを、すっぽりと抜け落ちた状態のまま育っています。
それが恥ずかしいことだということを知らない。みんなやっていれば安心で、それをいいかどうか自問自答することなく、みんながやっているということだけで正しいと誤解してしまう。本来人間としてどうあるべきか、自分の中に違和感はないのか。そんなチェック機能をもてるようなるためにも、違いを認め合えるようになりたいものです。
次男はどんなタイプですか?

加藤ゆかりさん:控えめなんですよね。控えめだけど何かを秘めていて、エネルギーを貯め込んで、静かに放出するようなタイプですね(笑)。

大学生に教えてもらいながら、稲を乾燥させる”はざかけ”を教わる次男。

――二人とも天才です!親は呑気にしていればいいですよ(大笑)。歴史上功績をあげた人たちの多くは発達障がいだったと言われています。虫好きの子が英雄になるかどうかはわからないが、何かを発見して世の中を変えてくれるかも知れません。養老孟子さんだって、未だに海外まで昆虫採集に行っているようです。昆虫を見ていると、人間世界はせこせこしていてバカバカしく見えてしょうがないのかも知れません。
世の中のためにも、是非好きなことを続けてほしいなあ。

加藤ゆかりさん:私もお手本になるようなタイプじゃないので、好きなことしなさいと言っています(笑)。

――最高のお母さんですね!これから何をしたいですか?

加藤ゆかりさん:今住んでいる地域も緑は多いのですが、もっと自然豊かなところでの暮らしを夢みています。子どもの頃から、地方での暮らしに憧れていたんです。
両親ともに神奈川出身の私は、子どもの頃から、大型連休で出かけた自然の中から戻りたくなくなるほど、そういった場所での暮らしがしたかったんです。そろそろ人生半ばに差し掛かるので、そういった暮らしに移行したいと思っています。
先日息子たちに、二拠点の往復生活をしたいと言ったら、「いいじゃん!困ったことがあったら手伝うから」と一言でした(笑)。そうか!もうそんな年頃なんだと思って、子どもの親離れの方が先に進んでいることに気づきました。

――もう眼中にないですよね、親なんて(大笑)。子どもはそうでなきゃ。自給自足的な生活をしたいんですか?

加藤ゆかりさん:田舎暮らしの中に、私のやりたいことがいっぱいあるような気がしています。今も失敗の連続ですが、畑を借りて無農薬野菜をつくっていますし、元々私は古いものが好きなので古い家や古いものの中で生活していたいんです。年月を経ても、職人さんの技術の感じられる建具や道具、昔からある伝統食などにも、今の消費型の商品にはない魅力が詰まっているのを感じます。
子どももだいぶ手が離れつつあるので、つかず離れずそっと見守っていればいいんじゃないかなと思っています。

――まったく支障ないんじゃないですかね!(笑)

加藤ゆかりさん:ぼちぼちいいですかね(笑)?

――息子さんたちも、楽しいお母さんを見ている方がいいでしょう。

加藤ゆかりさん:子どもを理由に自分の人生を疎かにしない方が、子どもの人生に依存することなく、彼らを手放してあげられるのかなと思いますね。

――子どもを手放すことで子どもの生き方を尊重でき、親と子が一人の人間として対等に生きていくことができるんじゃないでしょうか。
やはり、できるだけ執着のない生き方がいいですね。そのためには変化が必要ですし、変化を楽しめるような生き方をしていきたいものです。

加藤ゆかりさん:同じことをしていたり同じ場所でずっと生活していると、思考も停止してしまいますからね。
私自身いろいろな仕事をしていると自ずと変化が生まれ、その中に共通点が見えてきたり新たな気づきが生まれたりします。

――私も当事者として3.11を経験しましたが、ああいうことが起こると死に方などにも全くこだわりがなくなってきます。

加藤ゆかりさん:普通が普通であるのは、今だけなんですよね。普通の状態も変化していきますから。

――今普通に思えることも、時代を遡ると普通ではないことが多々あります。そう考えると比べることに何の意味もないとわかり気が楽になります。私自身あまり既成概念にとらわれずに生きてきたつもりでしたが、とらわれていたことも多かったと感じます。
そんなふうに感じられる体験をどんどんしていくべきだと思います。何歳になってもね(笑)。“人生は体験だ!”その一つの方法が旅をすることなんでしょうね。
ところで子どもたちを見ていてどう思いますか?

加藤ゆかりさん:私の母は、今の私の子育てとは全く逆のことをしていました。私が小学生の頃は、母が私にさせたい習い事を週6日や7日させていて、その合間に必死で友だちと遊んでいました。だからやらされ感がとても強く、習いごとの多くはあまり実になりませんでした。
ピアノを8年習っていても、本当に楽しくてピアノを習っている子に1年で追い越されることもありました。どの世界もそうですが、楽しくやっている子には勝てないですよね。勉強も然りで、成績がトップクラスの子は好奇心の塊でしたね。先生に勉強のことを聞いている時も、まるでゲームの攻略法を聞いているようなテンションでしたからね。
だから子どもたちには、自分が楽しいと思えること、興味のあることをちゃんと自分でわかる子でいてほしいですね。これは好き、これは嫌だと。

――お母さんが反面教師だったのかわかりませんが、今の加藤さんの接し方は子どもたちを尊重していますね。

加藤ゆかりさん:長男は虫や生き物。次男はゲーム。次男がゲームをしている時の集中力は凄いです。今が正解かはわからないですが、ゲームをしている時の手さばきと、あの真剣な目を見たら、わたしには奪えないです。次男は小さい頃から繋げたり組み立てる作業が好きで、家の中のクリップや洗濯ばさみが、気がつくと全部つながっていました。とても使いづらくて(笑)。保育園の頃は園にあるレゴブロックを占領して、朝から帰るまで、ずっと組み立てていました。
その集中力や好奇心が、これからどのように繋がっていくのかわかりませんが、今もゲームの中で建物をつくっていたりするので、小さいころから好きなものって変わらないんだなと思います(笑)。

――これから息子さんたちがどのように生きていくのか、とても楽しみですね!ご自身の人生を楽しむことと、子どもたちの成長が楽しみなことと、楽しみだらけの人生になりそうですね(笑)。
そんな楽しそうな人のところには、いろんな楽しい人が集まって来て、どんどんどんどん楽しみが膨らんでいくでしょう!加藤さんとお話ししていると本当にそう感じます。
田舎暮らしも早く実現したいですね。今日はありがとうございました!

いつの頃からか私は、この世界で起きていることは全て奇跡であり、人間はみな天才だと思うようになりました。その認識は、何かによって劇的に変わったというよりも、本や体験を通してそう思うようになったと感じています。
日々の暮らしの中で、何か素晴らしい奇跡が起きてほしいと思うことは、今ここにいるという奇跡を忘れているに過ぎません。少なくとも私たちの人体は、小宇宙のように奇跡的に機能しています。

奇跡というコトも、天才というヒトも、全てがそうであるにも拘らず、満たされない想いによって満たされていることを忘れ、満たされたいと求め始めます。比べてしまうという行為も自信のなさの現れであり、ほぼ無意識に、不安の払しょくや優越感を得るために行っているといえます。

これまで加藤さんは、二人のお子さんを暖かく包み込むように尊重して育てて来られました。多分これから加藤さんは、彼らに包まれて生きていくのでしょう。
また、出会いというものが人生を左右するほどの影響力をもち、幼い頃の出会いほど心の奥で深く息づいていると強く感じました。

これまで加藤さんがお子さんを通して感じてきた生き方の本質が、これからは加藤さんを通して多くの人に伝わり、加藤さんの周りには心安らかな人たちが自然に集まってくることでしょう。

■加藤ゆかりさんのプロフィール

タイ古式マッサージセラピスト、着付師、調理師。
「ママは僕たちのために、毎日大変そうな顔をして生きているの?」という息子たちからの言葉を受け、心配させずにすむよう楽しく仕事をする母でいようと一念発起したシングルマザー。
興味のあることを仕事にしようとの思いから、常に2~3つの異なる職種を掛け持ちし、12年で20前後の仕事に携わる。タイ古式マッサージの老舗サロン2店舗同時に勤務。
その経験から【自分のからだの状態を知り、ケアする知識】を提供するため、本来の食事のあり方を「元祖へっころ谷」で学ぶ。
「最近は、毎日楽しそうで、いい顔をしている」と息子たちに言ってもらえるようになり、さらなる楽しい日々を目指すべく、半移住、二拠点生活を計画中。

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