メディアのあり方

『コレスポンデント』というインターネットメディアについての記事を見かけました。
2013年にオランダで創設され、今年半ばからニューヨークを拠点に展開する「特派員」という意味のメディアです。

私にとってメディアは、日々違和感や嫌悪感を感じつつも実態がよくわからないものなので、そもそも論に立ち返ることが難しい領域です。以前から私なりに思っていることは“国民・政治・メディア”のレベルは、ほぼ同一なんだろうなということです。

そういうモヤモヤ感の中で出会った、『コレスポンデント』の理念10カ条(東京新聞要約)をご紹介します。

1. 扇情主義ではなく物事の本質に焦点を当てることで、日々のニュースに対する解毒剤になる。
2. いかなる広告費も受け取らず、購読費に支えられる仕組みにより、良質なジャーナリズムを提供する。
3. 既成概念や偏見にあらがう。出し抜かれる恐怖に流されるのではなく、真相をより深く追求する。
4. 単に問題を示すだけでなく、その問題で立場の異なる人々の共通の土台を探り、解決策を示す。
5. 購読者を単なる消費者ではなく、知識の豊富な貢献者と見なし、考えを共有し、質問に答える。
6. 記者は中立や不偏を装うより、腹を割って自分の考えを明らかにし、事実に基づき考えを変える。
7. 購読者の個人情報は、法律に従い必要最小限を収集する。収集理由を明示し、第三者には売らない。
8. 記者も読者も多様な人に参加してもらう。購読料を任意額とすることで、購買力を理由に除外しない。
9. 金銭的利益より信用を最大限に高め、購読者らに奉仕することを目指す。配当は収益の5%に制限する。
10.   透明性と継続的な自己啓発を大切にする。間違いは間違いと認めて正す。購読料の使途を明示する。

刺激より本質。速報をやめ「読者第一」。
メディアが健全であり続けることの難しさが伝わってきます。

一方、昨年の出来事で痛快だったのが、スーパーボランティアと言われる尾畠さんの報道でした。
尾畠さんが当たり前だと思ってやっていること言っていることと、メディアにおける当たり前や常識がかけ離れ過ぎていて会話にならないありさまでした。ある男性キャスターは、「今までのオレの人生はなんだったんだろう!」なんて言って笑わせていましたが、かなり本気の発言だったかも知れません。
視聴者の関心を集めたいTVニュースの判断基準や価値観が、本来の人間の良識や善意、幸福感、ありがたみといったものと程遠い存在になっていることを気づいてほしいと思えるシーンでした(笑)。
尾畠さんの一言一言は、微笑ましく心洗われるようなものでした。
昭和の頃までは、日本人にも全身シャキシャキ感で一杯のような人が多かったことを想い起こさせてくれます。

昨今ではトランプとメディアの対立や、2年程前に仏のメディアがイスラム教を侮辱したことが印象的です。この仏メディアは言論の自由を振りかざしていましたが、自分が信じる神を侮辱されて怒るのも当然だし、他者が信じている神を侮辱しておきながら「言論の自由」はないよねと思って見ていました。

米ギャラップ社の18年の信頼度調査では、新聞の信頼度が23%でTVニュースが20%。それぞれ20年前より10ポイント、14ポイント下がっているようです。
トランプの信頼度37%にすら遠く及びません。

メディアは、世の中を混沌とさせている大きな要因といえます。

自分で物事を判断し、見極め、行動しようとする時、やはり自分で事実を確認しなければ適正な判断はできませんね。
それを怠ると、誰がや世の中のせいにしたり、後悔することになります。