中村美月さんへのリレーインタビュー

醗酵人の田上 彩(たうえ あや)さんからのリレーインタビューは、和文化ナチュラリストであり~日本の自然のチカラをもっと近くに~をテーマとしたプロジェクトブランド『MIRATOAMI』のプロデューサー中村美月さんです。

“人は自然の一部。”
中村さんがそう気づいたのは、芸能やアート活動のため国内・海外をフィールドに飛び回っている中で起きてきた、ご自身の身体の変調がきっかけでした。その後、自分のインスピレーションを信じて自分の生き方を模索している中、「幸せに生きたい」と心の底から思った時、自然は多くのことを教えてくれたといいます。
それから様々な体験を通して中村さんが辿り着いた境地は、『日本人には日本の自然の力が一番合っている』、その力を日々の生活に取り入れ生きていくことで、私たちが見失ってしまった大切なものを思い出し、“日本の良きもの”を取り戻していくことに繋がるということでした。

絆とは、継承とは何か。その土地のエネルギーとは何によってもたらされているものなのか。そんなことを考えながら、私は中村さんのお話しにずっと耳を傾けていました。
インタビューのプロローグは3.11でした。 3.11についてお話ししながら、ふと中村さんはご自身の幼少の頃のことを語り始めました。 (聞き手:昆野)

中村美月さん:3.11の時は自宅でテレビを観ていて、こうやって地球は終わってしまうのかも知れないと思ってしまいました。正直言って、被災された方々の悲しみや苦しみというものを、本質的に分かろうと思っても分からない。自分が同じ状況になったらどうなってしまうのか想像がつきません。つらくて生きていけないんじゃないかと思ってしまいます。

――素直に、分からないと思います。私は3.11で5人亡くしていますが、小さなお子さんを亡くされた親御さんが、どれほどつらいのか私には分かりません。

中村美月さん:3.11直後は日本全体が自粛ムードで私たちも祭りの稽古はできなかったし、計画停電で練習場も使えなかったりして、世の中が平和じゃないとこうなってしまうのかと思い知らされました。
これまでお祭りや文化的なことが無くなったのは、戦争の時代、近年ではバブルが弾け文化的行事が忘れ去られた時代でした。まずは衣食住がベースにあって、そこに芸能やお祭りが成り立つんだなあとしみじみとありがたみを感じ、毎日感謝して生きるしかないよねと後輩達と話していました。
これからどうなるんでしょうね?

――これから、ですか?(突然ふられて、少々びっくり)
まずは、今私たちは3.11という歴史的転換点に生きていて、この時代に生きている人すべてが3.11の当事者であることに気づいた方がいいと思っています。3.11を生きる私たちには、未来への責任という大きな使命があるように思えてなりません。

中村美月さん:3.11をきっかけに、考え始めた人も多いと思います。大きな衝撃が起きないと気づかないことも多いし、人は何かを失ったり、痛い想いをしないと“本当に大切なものは何なのか”を考えないのだろうなと思います。

――生きている根底に“ありがたみ”がないと、いつも満たされない想いを満たすために何かを追い求めて生きることになります。だってみんな、空気をタダで吸っていますからね。ありがたくないはずがない(二人大笑)。

中村美月さん:本質を辿っていくと、全てのものがありがたく見えてくるじゃないですか。いつもと同じ風景を見て、同じ人と話して、同じことをしているのに、自分の意識が変わると、ひとつひとつがキラキラと輝いて見える。ああ、こういうことなんだなと。

実はですね・・・。

――はい。

中村美月さん:実は私小さい頃から、生きることにすごく劣等感を感じていたんです。
生きていること自体が全然楽しくなかった。全てのことが嫌で、雨の日も晴れの日も嫌い、人とのコミュニケーションも苦手でした。大人と話をしていても、その大人の言葉の裏側を読み取り、その度にうんざりするような子どもでした。
同世代の子と合わなかったし先生や大人がすごく嫌いでした。今になって大人には大人の事情があることが分かりますが・・そういう“面倒くさい”子どもでした(笑)。

一方で、物心ついた頃からお祭りがあると一人で走って行ってじっと見ているような子で、日本の文化や和楽器の音色が大好きだったんですね。私が生まれ育った日野市は、新選組の土方歳三や井上源三郎らが誕生した所で、昔からの郷土芸能が息づいている街ですが、ご縁があって、3年前から私は日野の郷土芸能を継承する団体の会長を務めさせていただいています。

江戸の郷土芸能 江戸祭り囃子

今こうやって、芯が一本通った活動をやらせていただいているのは、小さい頃から純粋に日本の文化や芸術が好きだったことや、“面倒くさい”自分がいたからなんだと思ったりします。
今思い出しても相当変わった子で、アニメより「水戸黄門」や「大岡越前」を観ていたり、ランドセルに印籠をぶら下げて学校へ通っていました。

――そりゃ、想像以上ですね(二人大笑)。

中村美月さん:幼少期は満たされない想いがいつもあり、今思うと自分の魂の“業(カルマ)の深さ”というものが、そうさせていたのかなと思います。
そんな擦れまくった子どもは小学生の時に地元のお囃子の会に入り、そこから私は技芸と一緒に自分を磨き、成長していくことにエネルギーを使い始めました。するとピタッと更生の道を歩み始めたんです(笑)。そこから日本文化を突きつめていくことによって、私の元(もと)がつくられていきました。

高校卒業後に大学へ行く気は全くなく、同じ島国でも全く異なる文化を持つイギリスへ行って文化を学びたいと1年間留学しました。「物事は少し離れると本質がより良く見えてくる」と言うように、外から日本を見て気づかされ考えさせられることが沢山あり、とてもいい経験になりました。世界ではまだアジアや日本ブームが来る前だったので、アジア人としてのコンプレックスを目の当たりにしましたが、反対にアジア人・日本人の魅力は何かということも沢山発見出来ました。

その後、日本に戻ってしばらくの間モデルの仕事をしていましたが、仕事に対する違和感から、少しずつ理不尽さを感じるようになっていきました。例えば日本ではCMなどに有名な人が出ていますが、海外では一流の女優やモデルはCMには出ないんですよね。なぜかというと食品や化粧品等のCMに出て、自分が「いいよ」と宣伝したものを使ったユーザーに何かトラブルが起きた場合、賠償金を請求されてしまうからです。
日本では有名な人が出てシャンプーとか食品とかの宣伝をしていますし、実際私も自分で使ってもいない商品を「使ってまーす」なんてニコニコしながら言っていました。でも、やっていく中で「あれ?これって詐欺じゃない?」って考えるようになりました。

そんなことを考えながら3年程モデルをやっていたら、先が見えなくなってしまったんです。楽しくないんですよね。
やり甲斐を感じない、目標とする先輩もまわりにいない。綺麗な人がいっぱいいて、稼げるしチヤホヤされておカネ持ちと結婚したりする人も多いけれど、それを自分の未来に置き換えた時「あれ?全然楽しくないな」と。

その頃の私は、泣くことがなくなっていました。芸能界という世界で、沢山の良い経験もさせてもらえたのですが、反面厳しいことも沢山ある。いつのまにか感情が固まって、自分を強く見せなければいけないクセがつき、冷たくて寂しい人間になっているな、と思いました。

このままではダメだと思い、事務所にお願いして1ヶ月間お休みをもらって、宮古島に行ったんです。
そこで水平線から朝日が昇り、光を浴びて目が覚め、泳ぐ。そういう生活をしていたら、自分の中にある感情の塊がスッと溶けていくのを感じました。数年間止まっていた涙がどっと流れ出てきて、3日3晩涙が止まらないんですよ(笑)。
“このままの環境で今の仕事を続けていたら、私は変われない”、そう確信しました。

関西コレクションにて

宮古島にて

そして東京に戻ってモデル事務所を辞め、「自分の“生きる”に向き合う」ために、心の声に従い片道切符だけを持ってイタリア・フィレンツェに向かいました。
実はこれには勇気が要りました。このままではいけないことは分かっている、でもどうしたらいいか分からない。その時に一番行きたいと思った場所が、なぜか‵フィレンツエ”だったんです。行ったとして何が変わるんだ?という葛藤は常にありました。結局、最後に私の背中を押したのは『このままだと何も変わらない自分と現実』、その存在から脱界したい強い気持ちでした。

そして自分の感性の赴くままにイタリア中部のトスカーナの地を転々とし、そこで偶々出逢ったのが、日本のお祭り『ジャパンフェスティバル』でした。
私がもう一度自分の生き方を見直し、全てをリセットした時に出逢ったのが、自分の元である『日本の祭り』だったこと。この体験は心が揺さぶられるような運命的なものを感じました。そこで一週間程お祭りのお手伝いのボランティアをし、それがきっかけで、今私が所属している国際交流舞踊団体を紹介していただきました。ベラルーシ共和国や南相馬を訪問したのも、この活動によるものです。

またその頃は、それまでの海外生活での飽食やモデル時代に無理なダイエットをしたこともあって、身体の不調と冷えが続きすごく悩んでいました。ですから、これからも海外で良い仕事をしていくためには、しっかりと身体のメンテナンスをしなければならないと考えました。そうして3.11の数年前から、私は日本の伝統の食文化を勉強し始めました。

そもそも日本の芸能・芸術は、日本の自然から生まれ日本の食文化から発達しています。今やっている郷土芸能の踊りの足踏みも稲作から来ています。実際田んぼで作業をしてみると、泥に足をつかまれないようにする歩き方が、踊りや、武道のすり足の文化にも繋がっていることを実感しました。
ロシアで国立バレエ団の方と一緒の舞台だった時に、彼らはぴょんぴょん跳ね、クルクルとまわる。狩猟民族の狩猟文化から来ていることが分かります。

私が日本の美しい文化や芸術を継承していくためには、日本の自然に触れ、自然環境を守り、さらに文化を継承していく“人間”を育成していかなければなりません。そのためには私自身が、日本人としての食事のあり方を学び実践し、ちゃんとした家族の関係を築いていかなければならないと思っています。
人を愛し、土地を愛し、食を愛することは、人を育む原点であって、もっと日本人はそういう感覚を取り戻す必要があると強く感じています。

日本の無農薬田んぼは、既に1%にも満たない状況になってしまっていますが、それを保護するNPO団体を通して田んぼの作業を手伝い勉強し始めたのもその頃です。
また、食の勉強をしている中で、ある日母が勧めてくれた『これを食べると医者はいらない』の著者、若杉友子さんという80歳くらいのおばあちゃんの講演会に参加してみました。するとこのおばあちゃん、めちゃくちゃ身体が小さいのに、ひとつひとつの細胞レベルから凄いエネルギーが伝わって来るし、声の力が強く「こんなパワフルなご老人がいるんだ・・」と衝撃を受けました。

若杉ばあちゃんに会って、食によって「生き方がこんなに変わるんだ!」と思い、このおばあちゃんのやっていることは本物だと確信し、おばあちゃん直伝の日本の民間に伝わって来た健康茶、お米コーヒー(黒焼き玄米)やマコモ茶のつくり方を教えてもらいました。そしてその後、自分で飲みたいがために実践を積み重ねていくうちに、つくり方を完全にマスターしてしまいました。
そして若杉ばあちゃんにも「これはすごいね!よく出来て気も入っとる。これなら人に教えてもいい」と免許皆伝になったんです(笑)。

――お米コーヒーは、玄米コーヒーとも違うんですか?

中村美月さん:お米コーヒーは、別名「黒焼き玄米茶」とも言われています。黒焼きというのは、炭のチカラを得た極陽性の日本のスーパー薬膳です。歴史は古く、古事記にも登場しています。冷えて陰性に傾いた身体の体温を上げ、陽性に立て直し、免疫力や自然治癒力を高めます。

お米コーヒー(黒焼き玄米)

最初私は自分で飲むためにつくっていました。私の身体にすごく合っていて体温も高くなり体調管理にぴったりなので、海外に行く時は粉にして持っていくようになりました。いつもお米コーヒーと味噌を持参していて、帰国後はマコモ茶でデトックスしています。
海外に行くと食事の違いなどから腸内環境が悪化しやすくて、舞台で足がフラフラしたり、身体の変調が顕著に現れます。それを強く感じたのが、ベラルーシの放射能数値が高い場所に行った時のことです。放射能を浴びると免疫力が低下するのでそれぞれの人の弱いところに症状が出ます。私の症状はまず頭が“ぐぅわんぐぅわん”してきて、花粉症で鼻が弱いので鼻水がツーと垂れてくるんです。

そして同じ症状が起きたのが、3.11翌年に福島原発から21km地点の南相馬に行った時でした。放射能が強い地域に行くと細胞がやられるので肌がボロボロになってしまい、舞台の仕事に支障が出るような状況でした。

ベラルーシ共和国にて

食を勉強し実践し始めてから、友だちに「美月、キラキラして輝いてるね!」って言われます。私自身は、結構ハードスケジュールが多く寝不足で疲れていることが多いのですが、どうやらそのように見えるようですね(笑)。いいのか悪いのか(笑)。
ですから、日本人にはもっとお米や味噌など日本のいいものを食べてほしいし、そうすればもっともっと心身共に素敵な日本人がどんどん増えると思います。

昨年9月から妹と一緒に、中村姉妹でMIRATOAMIというブランドを立ち上げお米コーヒーやマコモ茶の販売、日本の伝統や自然を身近に感じられる講座、ケータリング事業をスタートしました。私自身が、自分でつくり、食し、効果を体現している本物を伝えていきたいと思い取り組んでいます。
姉妹共に芸能の世界にいて、広告に関しては様々な裏の事情を見てきたので、やはり人に伝えるのなら自分達で愛用し、生産者のものづくりの心意気に惚れて、未来に繋ぎたいものを伝えたいと思っています。

春野草の講座

このブランドをきっかけに、同世代と様々な価値観を共有していきたいと思っています。普段、都会にいてモノや情報に溢れた中で生活をしている同世代の人たちが、無農薬農家さんを手伝いに行く「週末ファームステイ」で、自然の中で見失いつつあった本来の自分と出逢う。生身の自分が、農を体験し、汗をかき、苦労して、そこから得られる幸福感を感じてもらいたいと思っています。
日常ではなかなか得られない充足感や生きている実感を得る。それを求めている若者が今多いんですよね、実は。

お米のコーヒーは外国人のウケがすごくいいんですよ。「伝統」「国産」「100%無農薬」なので外国の人は120%買っていきます(笑)!

MIRATOAMI 和漢 お米コーヒー

一方海外の活動では、昨年からイタリアに招かれて“篠笛”の授業を始めました。生徒さんは現地の方が15名程。最年長者は72歳の方です。
海外で太鼓のクラスやチームは増えて来ましたが、篠笛のクラスはまだあまり聞いたことがありません。なぜかと言うと、まず伝統的な篠笛の継承者が少ないこと。和楽器、特に竹で出来たものは海外の乾燥に負けやすく持っていくのも難しいということ。でも皆さん情緒ある日本の音色の篠笛にすごく憧れがあり、自主練を重ね、去年の秋に行われたフィレンツエ・ジャパンフェスティバル20周年では、福島県三春町の七福神のお囃子をご披露しました。舞方は恵比寿様・毘沙門天・布袋様など七福神がみんな揃って舞台に出てきます。

皆さん引き続き熱心にお稽古されているので、今年は私の継承している江戸の祭囃子を教えてみようと思っています。海外の人にとって、日本文化を学ぶことで自分磨きができることがすごく魅力的のようです。

篠笛教室 イタリアにて

結局、自分自身を磨くこと。そこに日本文化の真髄があります。
それが和の精神の一つなのでは、とも思います。

世界に日本文化を伝える。私にとって今やっている活動の最終ゴールは、「日本人が元気と誇りを取り戻して、もっと素敵に、もっともっと幸せになってほしい!」ということです。

――幼少の頃の苦悩が反転して、みんなが幸せになることを願うって最高じゃないですか!このまま突っ走るしかないですね。 ところで、こんなに長い時間私の質問を挟まずに話し続けた方は初めてじゃないかなあ(二人大笑)。今日は聞き手に徹しました。

中村美月さん:そうなんですよね、元々はこんなに喋る人間ではないです。人間不信、コミュニケーション大嫌い、すごい人見知り、人前で笛を吹くと緊張し過ぎて音が出ないほどのあがり症、だから私より下手な笛の初心者を見たことがないし・・ただ成長していく中で克服しただけ。と、後輩たちに話すんですが・・・、誰も信じてくれないですね。悲しいんです(二人大笑)。

――もし私が後輩でも、難しいかも(大笑)。
そう言えば、MIRATOAMIとはどういう意味なんですか?この文字を見ながら15分くらい考えてしまいました。

中村美月さん:15分(笑)?妹と一緒に、私たちの想いを名前にしようと考えていたんですが、とことん考えるととんでもない生真面目な名前になってしまうので・・結局、逆に意味が分からない感じでいいんじゃないか?となりました。
陰極まって陽となるみたいな、極限までいって反転してしまったという感じです(本人爆笑)。

――はあ?(清聴極まって、爆笑となる)

中村美月さん:考え過ぎた結果、こうなったみたいで。(もう笑いが止まらないまま喋っています)
これくらいのノリでやらないと、やっていることが真面目過ぎてつまらなくなってしまうんですよ。

――すっごい説明になってきましたねー。ところで妹さんと二人姉妹ですか?

中村美月さん:そうです。姉妹というよりもパートナーといった感じで、タイプや得手不得手が違うので、こういう活動をやっていくために、“姉妹でいる”のかなと思っています。

――うーむ、そういう考え方ってなかなかないですよね。姉妹を縁のように感じておられるんですね。

MIRATOAMI×中村姉妹

中村美月さん:小さい頃からそういう思考が強かったですね。自分が何でこの世に生まれてきたのか、何で女性で生まれ、何でこういう外見で、何でこの家族の元に生まれて、何で日本人で、何で指は5本で、何で時間は一日24時間で・・ってヤバいですよね小学生で(笑)。
だから今の自分というものは、小さい頃からの「何で」の答えの欠片を拾い集めてこうなっている、という感じです。

沢山の分からないことだらけの中で、唯一ハッキリ分かっていたこと。それは「人は必ず死ぬ。そして土に還る。この指も、今着てる服も全ては地球の一部」。
それが分かった時「今自分はこの生を どう生きたいか」を、よくよく考えます。

私達のブランド、“MIRATOAMI~日本の自然のチカラをもっと近くに~”は、「身体の健康」「心の健康」を目的としています。
そして、これからの『令和』の新時代に大切にしないといけないと思うもの・・・それは「魂の健康」です。
私たちが豊に幸せに生きるためには、「自然のチカラ」と「自然を愛しむ日本の文化・伝統」は欠かせないものだと思っています。

悩みなさそうって言われますが、そんなこと全然ないですよね(笑)。キラキラしてるねって言われますが、結構ダークなんですよね(大笑)。

――魂の下積みが長かったんでしょうね(爆笑)。とにかく早いですよね、いろいろなことに気づくのが。
魂の叫びが伝わって来るようなお話を、ありがとうございました。

3.11以降、絆という言葉を良く耳にします。絆は今を生きる人と人との結びつきを意味しますが、中村美月さんはさらに過去、現在、未来に流れる繋がりを大切にし、これまで受け継がれてきた日本の芸能・文化や食を継承されています。

さらに、ご自身の体験を通して気づいた“自然の力・自然のありがたみ”を伝えていくことが、自分が生まれて来た使命であると確信し生きておられます。
生まれながらにして魂の段階が違うのではないかと思えるほど、道理というものを理解されている方だと思えてきます。

お話しをお聞きしながら私は、土地のエネルギーは“人が土に還る”ことによりもたらされるものだと気づきました。
そんな人間の根源について考えさせられる、中村美月さんとの不思議な一時でした。

■中村美月さんのプロフィール

東京生まれ
和文化ナチュラリスト・陰陽ライフアドバイザー
MIRATOAMIプロデューサー
江戸伝統芸能継承者・講師 他
国内海外で「日本の美しい文化」を継承し伝える仕事や活動をしています。
2016年に~日本の自然のチカラをもっと近くに~をテーマにしたブランドMIRATOAMIを設立。
日本に古くから伝わり、忘れさられようとしている、現代の私達に必要なもの・未来へ繋いでいきたいものを再発掘しプロデュースしています。体験型の週末ファームステイ企画や、講座・ワークショップなどを開催。代表的な講座は春野草を美味しく食べる講座・ジェンダーレスな美学講座など。

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