馬場寛明さんへのリレーインタビュー

和文化ナチュラリスト&MIRATOAMIのプロデューサー中村美月さんからのリレーインタビューは、『TANBO NO WA』主宰 馬場寛明さんです。

馬場さんへのインタビューは、東京都日野市にある落川交流センターで行いました。最寄り駅の京王線百草駅でお会いした馬場さんは、軽トラ・作業着・長靴の3点セットにタオル頭の装いです。その姿を一目見て、まずは「そのままの人なんだろうなあ」と思わずにはいられません。
交流センターの敷地内は、木々に包まれ、静かで心を豊かにさせてくれる空間が広がっています。私は椅子に腰かけ、馬場さんは小さな鍋に水を入れ卓上コンロでお湯を沸かし始めました。

話し始めてまず感じるのは、包み込むような声質と話し方。
馬場さんの声は、耳を通して聴こえるというよりも身体全体に心地良く響いてくる感じがして、発する言葉の意味を超えた氣が伝わってきます。(聞き手:昆野)

――いつ頃からここで田んぼをやられているんですか?

馬場寛明さん:10年程前からです。その頃はまだ会社で仕事をしながらでした。

――私は子どもが小さい頃に、何度か日野市内の農家に遊びに来たことがあります。また小田原にある不登校の子どもが集まる塾の夏合宿に家族で参加して農作業をしたことを思い出します。

馬場寛明さん:『はじめ塾』のことですか?

――はい、そうです。ご存知ですか?

馬場寛明さん:はい。はじめ塾の教師だった岩越さんが、この伝統構法の小屋作りワークショップ『小屋の学び舎』の講師をしてくださり、塾の中学生も2名参加していました。

――私はその夏合宿で、塾長の和田さんの話しをお聞きしていて、ふと「無意識の選択」について気づくことができたので、あの夏合宿は一生忘れられない出来事になりました。当時うちの長男がアトピーだったので、私もいろいろな活動に参加する機会があったんですよね。

馬場寛明さん:以前、私は自然食を扱う仕事をしていたので、お子さんのアトピーの相談を受けたりしていました。あくまでも、私は八百屋の立場ですが(笑)。
当時みなさんにお伝えしていたことは、薬は対処療法でしかないので、できるだけ薬を使わずに、とにかく体内の毒を出すようにする。エネルギーのあるものを食べれば毒を排出する力も高まるので、お母さんやお子さんたちに「今はがんばってー」と励ましていました。段々、お子さんの成長とともに肌が“つるん”としてくるのを見ると、いつも「ああ、良かったー」と嬉しくなっていました(笑)。
そうやって、そのお母さんが知り合いのお母さんに伝えて広がるという現象が起きていました。

――成功体験をした人が身近にいないと、食事だけで本当に完治するのか親は確信がもてないですからね。

馬場寛明さん:うちの長女もアトピーでしたが、いつのまにか完治しましたね。ですが、ちょうど予防接種を受けた後に、てんかんの症状が出てきたんですよね。驚いて救急車で病院に行ったら、抗てんかん剤を毎日飲むという選択を迫られまして・・・結局、薬は使わずに高校生になった今では、とても元気に生活しています。そんな私の経験を生かそうと、前の会社では予防接種を受けるか受けないかで悩んでいる人たち向けの座談会なども行っていました。

――うちの子どもは一人も予防接種を受けてないだろうなあ(笑)。私自身も、もう20年以上病院に行っていないし薬も飲んでいませんからね。

馬場寛明さん:それは西洋医学に対する疑問からですか?

――そうですね。対処療法でしかないので、根本療法的なことを続けないと本来の健康に近づいて行かないですよね。

馬場寛明さん:そういう考えに至ったのはいつ頃ですか?

――子どものアトピーも大きなきっかけでしたが、それより遡って自分が25歳で死にかけた時は、すでに医者を信用していなかったですね(笑)。その時は入院するまでに、毎日病院を変えましたから。

馬場寛明さん:なぜ毎日病院を変えたんですか?

――熱・嘔吐・下痢の症状だったので、風邪だろうと言われ、採血結果は4日後に出るのでそれまで様子をみましょうと、どこの病院でも帰されたんです。解熱剤を打っても熱が下がらず上がっていたので、風邪のはずがないと私自身は確信していたので。

馬場寛明さん:死にかけたというのは、どういうことですか?

――入院4日目に、ベッドに横になりながら地球以外の星にいる自分の後ろ姿を見ていました(笑)。1ヶ月以上経ってから聞いたんですが、病院内の申し送りで「若いのに可哀そうにね」と話していたらしく、それがちょうど入院4日目だったんです。もうダメだと言っていたようです。その頃から、私は少し浮世離れをし始めたかも知れません(二人大笑)。
ところで、何がきっかけで田んぼを始められたんですか?

馬場寛明さん:小さい頃に、お米を作る技術は発達してきているのに、“なぜ世界では貧困がなくならないのだろう? なぜ世界のどこかで、戦争はなくならずに起きているんだろう?”と疑問に思い、親に聞いてみましたが、子ども心に納得する答えは得られませんでした。今もその答えは模索中ですが、子どもの頃のそんな想いが、私の中の根底にあると思います。
人間は進化しているはずなのに、いつも世界のどこかで苦しんでいる人がいて、悲惨な出来事が繰り返し起きているのはなぜなのか。疑問に思えてなりませんでした。
そういう想いを心に留めたまま、私は主食であるお米を自ら育てたいと思うようになっていました。“米に惹かれた”という想いです。

――人間は利便性を求め続け、退化していると私は思っています(笑)。

馬場寛明さん:退化していますか、なるほどですね。実は田んぼをやり始めた時、私は機械に偏見をもっていたので全て手作業でやってみたんです。機械を入れると人間味が薄れると思っていましたから。
でも大変でした。大変さが身に染みて翌年からトラクターを借りました(大笑)。
今は機械化する部分と手仕事とを分けていますが、やはり手間を掛けてでも手のひらで仕事をすることに意義がある仕事があります。
その見極めがいいバランスでできれば、現在のテクノロジーと人間がもつインスピレーションを生かしつつ、自然と調和した仕事になるのではないかと思っています。

――『生命(いのち)の暗号』という遺伝子についての本を読んでいたら、先日NHKスペシャル人体の『遺伝子』という番組が目に飛び込んできました(笑)。それによるとほとんどの人は、自分の遺伝子全体の5%とか2%程度しか遺伝子を使っていない。さらに人間がもつ遺伝子の種類や数はほとんど同じですが、一つひとつの遺伝子がONかOFFかによって、その人の免疫力や記憶力などなど多くのことに影響を及ぼしているといいます。

馬場寛明さん:面白いですねー(笑)。何でなんすかねー。

――わかりません。現在、西洋医学では遺伝子をONにする薬の開発を進めていると言っていましたが、薬で変えるって、違うんじゃないかなと思いましたね(二人大笑)。
自分の体内のことなので、多分自然環境や心のもちように左右されてONになるのではないかと思うんですよね。

馬場寛明さん:確かに、自然の中での体験で ON・OFFに切り替わる・・・んーん。

――このように科学的に解明されてくることと、私たちがずっと感覚的に抱いていた自然の摂理や根本療法などを照らし合わせてみると、さらに様々なことがわかってきて面白いなと思います。

馬場寛明さん:面白いですねー。やはり人間には凄い可能性があると思います。実際、私も子どもたちに自分のやる氣しだいとか、スイッチの入れ方しだいで何でもできると話しています。
人間としての根源的な取り組み、例えば種を蒔くとか、実を採るなどを敢えてすることによって、多くのものを得られることを知ってほしいんですよね。
この日野市も少ない自然を潰して宅地化が進んでいます。敢えてここで田んぼをやることで、都心と山間部とのぎりぎりの所にあって自然体験と都会での生活ができるという、ある意味で理想的なライフスタイルを創り出すことができると思っています。

――宅地化ですか・・・。今全国で800万件以上の空き家があるようで、確か全戸数の13%程度が空き家と言っていました。それなのに、なぜ田んぼを潰して宅地化を進めるのかわかりませんね。

馬場寛明さん:相続による売却や、田んぼをもっていても成り立たずに放置されてしまうケースが多いですね。日本ではほとんど見かけませんが、本来は田んぼが点在する都市デザインというものが、洗練されたまちづくりだと思います。何んとかしたいんですよね。
もう少し踏み込んだまちづくりのデザインをやろうとしても、なかなか行政を動かすのは難しい。この辺りも、どんどん土地や人の関係が細分化されて、繋がりが希薄になっていきます。
そんな中で田んぼをやり始めて思うのは、田んぼをやるには人手がなければできないので誰かに手伝ってもらうしかないということです。ずっと昔から、人の集まりがなければできないのが稲作なんです。

実際、子育て世代のお父さんたちに手伝ってもらい、田んぼで手を動かしていると、とても親しくなれるんです(笑)。凄く原初的な作業を一緒にすることは、人との繋がりをもつことにおいて大きなヒントになると思っています。地域の活力を高める意味でも、ライフスタイルの中に“田んぼ”があることは、人間らしいまとまりを創り出すことになると思います。(お手伝いして下さる方には感謝が尽きません!)

――みんな同じように満たされない想いがあって、それを何かに求めていると思うんです。それはボランティア等にも共通する部分があって、誰かの役に立ちたいとか、喜んでもらえたら自分自身が嬉しかったとか。損得とは違う世界の価値観を、日常の中では実感できる場面がほとんどないので非日常に求めていく。田んぼも、それに通じるものがあるんじゃないかと思います。

馬場寛明さん:普段会社で仕事をしている自分と地域の中での自分とを、みなさんもっと一体化できれはいいのになと思います。ここの田んぼに来る人たちも、凄い専門知識や能力をもっている人が多いんですが、地域の中に入ると、どうしても“タダのおじさん”になっちゃう(大笑)。
そこを上手にコーディネートして、それぞれの能力を役割に落とし込めたら凄く役に立てるし、地域に還元できることも増えてくると思います。もったいないんですよね。

――経済最優先の社会や企業での判断基準は会社や自分にとって損か得か。田んぼやボランティアは、その対極にあるといえます。そこに普段とは全く異質の喜びを感じ、そこに喜びがあることを知る。
アタマではわかっているが、仕方なく仕事を続けている自分がいる。矛盾を感じつつも、生きるためにしょうがないとか言って我慢して働く。中途半端な生き方になる。無意識の選択というより、わかり切った選択をしています(二人大笑)。

馬場寛明さん:私も昨年末までは二足の草鞋を履いていました。幸い勤めていた会社では組織にいながらも自己実現できるような仕事をしていたので、個としての考えや行動を自己の責任において行うことができました。そういうことがとても大切だなと思います。
多くの人はどこかに所属し、所属した組織の中で自分の意見や可能性を狭めてしまっている氣がします。

――多くの人は帰属あるいは従属意識をもちます。そうなると厄介です。群れをつくり、自己正当化し、上司の僕(しもべ)となって弱いものいじめをしたり、責任転嫁や言い逃れをしてその場凌ぎをします。結局、そういうことをしていて人生楽しいはずがない。そんなつまらない大人の迷惑を蒙っているのが子どもたちです。
世の大人たちが、どれほど子どもたちの迷惑になっているか自覚すべきです(二人大笑)。

馬場寛明さん:実は3.11の後、私は二人の子どもに謝りました。

――え!何についてですか?

馬場寛明さん:私の原発に対する問題意識が甘かったために、行動に移せていなかったことについて、子どもたちに謝りました。
私は小学校の頃、『はだしのゲン』の映画を見せてもらいました。原子力が如何に危険なものか、小さい頃から知っていました。それなのに、その原子力による発電に対して、良くないものと知りながら、反対のアクションをすることもなく、原子力の代わりとなるエネルギーを選択することもしませんでした。
私は、福島第一原発の事故が、これまでの私たちの行動の積み重ねによって引き起こされたものだと思っています。

――凄い、子どもに謝るって凄いですね!子どもたちに対して、全ての大人が当事者だということですね。

馬場寛明さん:3.11以前から、このままだと“まずい”と確信していたことを、やれていなかった想いがあるんです。エネルギー問題についても、まだ決定打を打てていない自分がいます。多くの人の力を合わせて変えて行けるものがあると思います。田んぼという、今は小さな取り組みではありますが、もっと踏み込んだ意見交換ができる場にしていきたいと考えています。
私自身、この地域の人たちの温かみを感じているので、こういう人たちとの繋がりの中から意見を汲み取りながら、社会的課題を解決するための方向付けができたらいいなと思っています。

田植えや収穫というのは祭りみたいなものなので、田んぼを通じて何かを感じた人が、普段の作業にも顔を出し遊びに来てくれます。そうすると、何となく普段はしないような話になったりするんですよね。
田んぼで単純作業をしていると、そういうことが起こります。人の心が開くなあって感じるし、私自身の心も開くのがわかります。そういう交流ができると、嬉しいなあ、気持ちいいなあって感じます。
みんな無防備になり、自然に深い話になったりすると凄く喜びを感じますね。

本当に小さな取り組みですが、いろいろな人と会話をして、心を開いて、可能性を見つけ、それを集めて。今後二度と原発事故など起きないような、もっともっと楽しい世界にしていきたいと思っています。

――いいですね!これから、どんなことをしたいですか?

馬場寛明さん:まずは私自身の生活から、より“循環”することを実践し実感していきたいと思っています。田んぼには、種を蒔く、稲が育つ、収穫し、食べる、また種を蒔くという一連のサイクルがあります。田んぼ以外でも、私たちの身の回りには様々なサイクルがあります。
それが、もし全て目に見えていれば、多くの人が関心をもちチェック機能が働くので、一つひとつのサイクルが上手く回り出すのではないかと思います。現状では目に見えないものが多いため、サイクルが回らずに途中でひどいプロセスになっていたりします。澱んでいるという感じです。
プロセスが見えてくると、「それは止めようよ」という意見が出て気運も高まります。ちゃんとサイクルが回る設計をして進めていくことを、少しずつ広げていきたい。

以前、田んぼの用水路整備をした時も、敢えて杭や板をホームセンターで買わずに、杭や板を作ることから始めました。杭になる木材は森から来て、木は森でどのように育ち、その森はどれほどの豊かさをもっているのか。
自然と共生するサイクルを1周することで喜びを感じ、2週目のサイクルが生まれて行くことを楽しむ。そういう循環のしくみをつくりたいと思っています。
もし3.11以前から、もっと原発のサイクルが目に見える状態になっていたなら、私たちは原発をつくるという選択をしなかったと思います。


繋がっていると心地いいんですよね!
実際に、日(太陽)と水と土があるだけで稲は大きく成長します。そのサイクルが続くと、どんどん田んぼが良くなっていきます。それを私は田んぼで学びました。同じように、全てのものが循環し出すことで社会は良くなると本当に思いますし、そうできるとはずだと思っています。
そういうサイクルが回ると、経済は回らなくなるんでしょうか?

――都合の悪い人がでてきますね(笑)。資本主義社会ってそういうことですよね。今の経済ルールや競争原理で都合のいい企業や人は、そういうサイクルが回り始めると儲からなくなります。

馬場寛明さん:資本主義の限界ですね。そういう状況に差し掛かっているような氣がします。だったら共産主義という訳にも行かないので、新たなおカネやエネルギーの使い方を考えていかなければならないのでしょう。

――先日読んでいた敗戦直後の文部省教科書『民主主義』には、社会主義は国が国民に生産財を供給するもの、共産主義は国が生産財と消費財を供給するものと書いてありました。そこには、良い悪いはない。ただ国が統制を強めようとすると、暴力的な手段が生まれてきます。そうすると独裁主義の道に陥りやすくなる。そこに恐ろしい部分があるということなのでしょう。
ただ、『奪い合えば足りず、分かち合えば余りある』という“ありがたみ”が、今の世の中ではあまりにも薄れていることは間違いないでしょうね。
ところで、今の子どもたちにどんなメッセージを送りたいですか?

馬場寛明さん:私たちは、生きる上で必要なもの全てを与えられています。それは“日と水と土”。大地に種を一つ蒔けば、何百倍にもなって還ってきます。
この世界には、そういう後押しがある。だから絶大なる安心感があるんだよということを体現してほしい。それが、私が自然栽培と出会ってわかったことです。
子どもたちは、みんな大きな可能性をもっています。ですから肥料によって育てるのではなく、元々もっている力を引き出すだけでいい。一人ひとりがいる環境や場を整えてさえいれば肥料なんかいらない。自分で根を張り、必要な養分を取っていきます。人のあり方と米のあり方は、似ています。

人それぞれが、それでいい。自分の思うことをやればいいし、夢中になれることがあればそれでいいということを伝えたいなあと思っています。

――馬場さんご自身としては何を?

馬場寛明さん:今年、農業者として認可を受けまして、田んぼを増やして、多角的に展開していきたいと思っています。ここで農家をやりながら、一方で今年から横浜市都築区の民家園を中心に、文化財を活かす・人と人、人と自然を繋げる地域デザインを企画運営します。それらを統合するために、農業法人化も考えています。
自然と調和し循環する生活を楽しみながらつくり上げて、私もみんなもハッピーになれる方向に向かって行きたいですね。

――まだまだ話は尽きないというか、私も田んぼの循環に身を投じてみたくなってきました(笑)。また遊びに来ます!ありがとうございました。

6月初旬、私は馬場さんの田んぼで行われた“手植えの田植え”に参加しました。近所の子ども会も参加していたため、多くの子どもたちが田植えをしたり遊びまわったりしています。大人も子どもも、みんな裸足か靴下を履いて田んぼの泥に足を突っ込んでいます。時間とともに、子どもたちが少しずつ泥にまみれていきます。

ちょっと転んでみて腰まで泥に浸かった子どもは、お母さんに“叱られない”雰囲気を察知すると、徐々に気持ちが解放されて泥遊びがエスカレートしていきます(笑)。思うままに遊んでいいんだ、という安心感が生まれています。
やがて大人たちに少し疲れが見え始めた頃、子どもたちの泥んこ遊びは絶頂期に達し、畦道から何度も何度もジャンプして田んぼに飛び込んで全身泥だらけになっています。泥落としは・・・、用水路です。みんな当たり前のように用水路の底に横になり、泥を落として畦に這い上がります。
懐かしく微笑ましい光景と空気が流れています。

「私たちは、生きる上で必要なもの全てを与えられています。だから絶大なる安心感があるんです」。
馬場寛明さんは、普段私たちが氣づかない“すぐ隣り合わせにある豊かな世界”の存在を、田んぼという宇宙を通じて伝えてくれる人でした。

■馬場寛明さんのプロフィール

自然と調和した生き方を提案している㈱ナチュラル・ハーモニーのスタッフとして、2018年まで店舗運営やイベント企画・天然菌によるオリジナル商品作り等に携わる。
2019年より、今まで東京都日野市で行ってきた自然栽培稲作を通して、人と自然が繋がり、楽しみ、学べる場づくり、コミュニティづくりを新たな事業として本格スタートする。
横浜市都筑民家園を拠点とした「遺跡フェスタ・江戸市」や、伝統構法での小屋作りワークショップ「小屋の学び舎」のプロデュースも行う。

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