中川ひろみさんへのリレーインタビュー

『TANBO NO WA』主宰 馬場寛明さんからのリレーインタビューは、NPO法人『子どもへのまなざし』代表 中川ひろみさんです。

インタビューの2日前、私は『子どもへのまなざし』のHPを見ていました。まずトップページのスライドに現れるメッセージが飛び込んできました。
   子どもにとって「あそび」は生きることそのもの。
   子どもが主人公の居場所づくり。

この2つのメッセージを受け取り、しばらく考えさせられました。“私たちの想い”というページには設立趣旨があります。それを読むと、熱い想いだけではなく、「只事ではないな」と考えさせられる設立当事者の決意が伝わってきます。

インタビュー当日の朝、再度HPを見ていた私は、HPに書かれていること以上に何もお聞きすることはないんじゃないかな?と思い、アタマが空っぽの状態で中川さんとお会いすることになりました。
インタビューは、古民家を改築した事務所で始まりました。(聞き手:昆野)

――今朝あらためてHPを拝見していて、『子どもへのまなざし』の活動に共感しました。また、つい最近インタビュー記事を掲載されていたので、それを読むと活動に関する考え方もわかるので、もうお聞きすることはないのかも知れないと思いつつ伺ったしだいです(笑)。
ただ、私の中で甦ってきた記憶は、「大人は、子どもに対して敬意をもって接するべき」という言葉でした。それは精神科医のアリス・ミラーという女性が書いた『魂の殺人』という本にある一言で、ヒトラーや連続殺人犯、薬物中毒者、多重人格者など、実在した人物が何故そのようなことをしてしまったのかを、精神分析によって明らかにし警鐘を鳴らしたものでした。
そこで浮かび上がってきたのは、“幼少期の虐待”という共通点だったといいます。

すると、中川さんは立ち上がって本棚の本を取り出し、私の前に置きました。タイトルはNPOの団体名と同じ『子どもへのまなざし(佐々木正美 著)』でした。

中川ひろみさん:最近、私は講演の最後に、いつもこの本のあとがきを読むことにしています。ちょっと読んでみますね。

――はい。

中川ひろみさん:「自分は大切に育てられている、育てられてきたということを実感できない子どもや若者が、日増しにふえてきているという (中略) 。子どもは、自分が両親や祖父母や教師のほか、地域社会の人々から、大切に育てられている、育てられてきたという実感をいだきながら日々を生きることが、ほかの何事にも代えがたく大切です。そうでなければ、自分を大切にしながら生きることができないからです。まして、他者を大切にしながら生きることなど、まったくできないでしょう。
友達と親しく共感的にまじわりながら、日々を生きる経験を十分にしながら成長しなければ、人間は成人になったとき、勤勉に働くことはできない (中略) 。
勉強ができることが、そのままでは人間社会で勤勉に働く力にはならないのです。仲間から学ぶこと、仲間に教え伝えることを共感的に、十分に経験し合いながら成長して、はじめて社会的な人間らしい人間になるのです。」

大学等の講演の最後にこのように読み上げて「もし大切に育てられたという実感がない人がいたら、当団体のプレーパークに来て、遊び直しましょうよ!」って伝えています。昨年、ある講演の後に「実は、私はそういう実感がないので、遊びに行っていいですか?」という人がいたんです。

――実感をもてない人が多いのではないでしょうか。

中川ひろみさん:親だけじゃなくて地域の人たちもということが、今とても難しいですよね。地域という存在が希薄になってしまっています。
お母さん方も、私の子育てはこれでいいんだろうかと自信がもてない。子どもの姿が不満に思えたり、自分は親としてやれているんだろうかと不安を抱えてしまったり。“でっぱりへっこみ”があって、それぞれ違うけど支え合えればいいなと思っています。
私もプレーパークにいるけども何かする訳ではなくて、場の空気をつくっているのはその時その場に来ている人たちなんですよね。

――いろんな親子が来られていると思いますが、その中には精神的に追い込まれているような子どももいるのではないですか?

中川ひろみさん:そうですね。ここに来る子は元気すぎる子が多いかも(笑)。子どもは元気なのが当たり前なのにね。いわゆるいい子じゃないと、お母さんが肩身の狭い思いをする時代ですからね。

これまでの活動の中で、何人か忘れられない子がいます。小3から来ていた子で、何かあるとすぐに怒り出して、周りにいる子どもが「またか」という目で見るので、余計イライラしてくる。でも“怒り”には理由があって、そこに寄り添うと関係が変わってきます。
とても発想が面白くて…遊び込むとどんどんステキな面が見えるようになりました。小さい子を抱っこしてくれる時の嬉しそうな顔とぎこちなさが忘れられません(笑)。

その子がね、中学受験の時にがんじがらめになってしまって…結局、希望の中学校には合格できなかったらしいんです。本人はかなり辛かっただろうし、もう来てくれないかなぁと思っていたら、顔を見せてくれて「高校受験でまた頑張るから」って。

――その子の親御さんと会われたことはあるんですか?

中川ひろみさん:ないんです。彼のお母さんと会ったことはないんですよね。
プレーパークで遊んでいることを、親には知られないようにしている子もいるんです。親に言うと怒られるから、言わない子もいるんですよね(笑)。

――えっ?でもここで遊んでいたら服が汚れてしまうので、家に帰ったらお母さんは気づきますよね?

中川ひろみさん:気づかれないように、ここで着替えて何事もなかったように帰る子もいます。自由に遊ぶことを、みんながOKと思ってはいないんです。

――最初にここに来た時は、親と一緒じゃないんですか?

中川ひろみさん:小学生以上は子どもだけで参加することが多いんです。近隣の小学校に案内を配布しているので、子どもたちだけでやって来ます。
今気になっているのは小6の女の子です。いつも子分のように仲間を引き連れているけれど、言葉がきつくて攻撃的。周りの子はその子を怒らせないようにしているのがわかります。でも、そういう行動になってしまう理由があるんですよね、きっと。
弱い者いじめをしないと、自分が立っていられない圧力がどこかにあるんだろうな。お家の人なのかなあ、学校なのかなと思いながら見ています。そういう子も、ここで遊んでいると学校とは違う顔や学校では見せない顔を、ほろほろと見せてくれるんです。お家では、自分の気持ちを言わないのかも知れません。
子どもの人間関係も難しいですから、学校の先生以外に「しんどいねえ」と寄り添う大人も必要なんじゃないかと思っています。そしてここは、乳幼児の親子と、小学生・中学生の“命を発散させる人たち”が混在しているところなんです。

――そうですかー(フー)。

中川ひろみさん:もう一人気になっている子は、小3の時からここに来ている中学生で、最近になってようやく、お母さんが重い鬱のためご飯をつくってくれないと話してくれました。いつもコンビニのご飯を食べているので気になっていたのですが、長い時間を重ねてようやく話をしてくれたんです。
学校とは違って評価されるところではない。安心できる関係があって、初めて話しても大丈夫だなと思ってくれたんだと思います。

――嬉しいですね!私はこのリレーインタビューを通じて、大人は子どものためにいるんだなと気づかされました。でもそう理解していても、どうしたらいいのかわからなくなっている親御さんも多いのでしょうね。

中川ひろみさん:いろいろな親がいて、大人がいます。自分の子ども時代を“よし”とできない人もいっぱいいます。それでも親になってしまい、子どもに自我が出てくると許せない。私が子どもだった時私はそれを封印してきたのに、眼の前にいる子どもはそれを抑制せずにそのままでいる。そうやって、折り合いがつかない状況になる人も結構います。

――なるほど…。

中川ひろみさん:まず大人が自分自身を“よし”とできないと、子どもの“ありのまま”なんて受け止めることができないですよね。子どもに「生まれてきてありがとう」のメッセージを送ることができない。そして結局、自分で自分を追いつめることになっちゃう。
「なかだの森」では、月1回“森の相談室”を設けています。森のベンチに座って、ゆっくりと話しを聞いてもらえます。そうやって、森の中で涙を流してお話ししているお母さんもいます。

――とても大切なことですね。ふと、3.11の後に岩手県大槌町にできた「風の電話」を思い出しました。電話BOXの中の電話はどこにも繋がっていません。最初の頃は、身内を亡くした方が電話BOXの前まで来ても、中に入ることすらできなかった。でも少しずつ気持ちに変化が起きて、中に入ってどこにも繋がっていない電話の受話器をとって、亡くなった方に話し掛ける人が増えてきたといいます。
伝えるとか、繋がるとか、吐き出すことの大切さを感じます。

中川ひろみさん:先ほど「大人は、子どもに対して敬意をもって接するべき」と言われていましたが、大人による子どもの見方は大きく二つに分かれます。
一つは、子どもは教育して大人の思う方向に導かないと、ちゃんとした大人になれないという考え方です。
もう一つは、子どもは本来育つ力を自らもっているので、温かいまなざしで応援していけば大丈夫という考え方です。子どもを小さい人と見るのではなく、一人の人間として敬意をもって接することが大切だと感じます。

「なかだの森」は“自分の責任で自由に遊ぶ場所”です。でも、そういう言われると突き放されたと感じる人もいるみたいで…(笑)。結局、“責任を奪わない”ということが重要なんですよね。
子どもは自分がやってみたいことに挑戦すると、失敗もする。そこから次はどうしたらいいかを学んでいます。しかし責任追及の世の中なので、誰が責任を取るんだ、ケガをさせたじゃないか、子ども自身は責任取れないでしょ・・・と、攻撃的に言う人が多くいます。
でもね、ケガをしなければそれでいいのかということなんです。小さなケガを繰り返すことで命を守る技を身につけているのです。ケガなしで大きくなった人なんていないはずなのに…。ケガや失敗を恐れて自分のやりたいことに蓋をされていたら、“大人のよかれ“によって子どもたちは、大事に、真綿に包まれるように、窒息していくような気がします。

――子どもを導こうとする大人は、世の中の大人の多くが“真面(まとも)な大人”だと思っているんですかね?あるいは教育が真面だと。
これだけ真面な大人が少ないのに、自分たち大人が誘導することで真面な大人になると考えていることが全くわからないですね(笑)。これだけ真面じゃない社会なんだから、社会に順応できなかったり不登校になったりするのは、逆に真面だからじゃないかと思うんですよね。

中川ひろみさん:そうそう、そうなんですよね、本当に(二人大笑)!今日は何となく、もやもやするなあとか感じたら立ち止まってみる。そういうことが、とっても大事なことなんです!
親だから、わが子には失敗しないように正しくあってほしい。白か黒かとはっきりしようとする反面、私はこれでいいのかな、うちの子の育て方はこれでいいのかなと不安で、子どもに対して指示・命令が多くなってしまいます。そして、子どもが言うことを聞かないんですと悩み、自分を苦しめてしまう。
「ちょっと困っちゃったね、うまくいかないね」と、それくらいゆるくて大丈夫だと思うんですよね。だから一人で悩まないで、お母さん同士で「まいっちゃったねえ」って話ができる関係をつくっていければいいなと思っています。

――馬場寛明さんの田植えに来ていた子どもたちも、ここで育った子が多いようですね。ビックリするほど元気でした。

中川ひろみさん:そうかもしれません(笑)。今は元気すぎると“発達障がい”かも…と分けられてしまう時代です。

――多様性を認め合う社会といいながら、逆行していますね。3.11で奇跡的に助かった甥も、中学生の時にアスペルガーと言われたようです。先日GWに会い、本人に「私から見ると天才だと思う。ただ世の中は多くの凡人が認めないと天才とは言われないんだ。そこが、辛いところなんだよな」と言ったらウケてました(二人大笑)。

中川ひろみさん:ここにいると、生きづらさを抱えている人に多く出会います。私たちは専門家ではありませんが、ありのままを認めてくれる「居場所」があることで、その人らしく生きていけるかもしれないと思っています。

――“子どもが主人公の居場所づくり”と書かれていますね。どうも高齢者も同じように居場所を求めている人が多く、いつもそこに行けば誰かと会える居場所を必要としているようです。

中川ひろみさん:今、居場所という言葉だけが一人歩きしています。私たちは、“居場所=ありのままを認められる場所”と言っています。
プレーパークも、お客さんを招くというやり方をしていたら、ここまで続けて来れなかったと思っています。みんなで子どもを守り育てるという場所だから、続いて来たんだと思います。自然に、魅力的な人、面白い人が集まるようになりました(笑)。

本来、子どもの側にいられるって幸せなことなんですよね。ここに来るみんなが成長途中で、子育てしているお母さんと、スタッフとして子どもに関わらせてもらっている者が、一緒に成長していけるような場所でありたい。子どもを眼の前にして、どうすることが子どもにとって最善なことかを一緒に悩みながら考え行動することで、お互いが人として成長していける。
その子の今を大切に、大人同士で話し合える関係づくりをしていきたいなぁと思っています。

――政府は保育の無償化や待機児童の解消を目玉に取り組んでいますね。

中川ひろみさん:無償化は、人が育つ場にしていこう!じゃなくて、“子育て外注”という方向に向かっています。
待機児童の解消は、お母さんに“もっと働け”と言っているようなものですよね。子どもが保育園に入れれば親はほっとするかも知れないけど、子どもは子どもの顔ではなくなっていきます。箱だけつくって待機児童が解消されても、肝心の子どもたちが子どもで居られる場でなくては意味がないんです。

――政治において子どもはいつも置いてきぼりです。認可保育園は無償だけど認可外は共働き世帯など以外は対象にはならない。これって子どもを対象に考えられた制度ではないですね。
極論を言えば、政治は票になるかならないか。昔から、政治家は箱モノを造りたがると言いますね。
設立趣旨にある“子どもを真ん中に考える社会”。今の政治や経済とは対極にあると思えるこのことが、人間らしく生きる社会にしていくための真っ当な道だと思います。

中川ひろみさん:子どもって、仲間の誰かが嬉しいとみんなが嬉しいんです。誰かが喜ぶのが、すごく嬉しい。子どもって凄いです(笑)。

―大人になると忘れてしまっていますね、そういう人間の本当の喜びを。本来、人間ってそういう生きものだと思うんです。

中川ひろみさん:“仲間と空間環境と時間”が揃うことが大事ですね。特に仲間の存在は大きくて、仲間がいてこそなんです。
何が正しいとかではなく、お互いが思っていることを言い合って、何となくチームになっている。自由でそれぞれが好きなことをしているんだけれど、影響し合っている感じです。子どもと一緒にいると本当に楽しいですね(笑)!

――人間は生まれた時に全てをわかっていて、大人になるにつれて肝心なことを忘れてしまうのかな。だから子どもの頃は、まだ多くのことをわかっている状態なのでしょう。忘れたことを思い出す旅が人生のような気がしてなりません(笑)。

中川ひろみさん:そうなのかも知れませんね。子どもはすごく大人を見ているんですよね、時々ドキッとすることを言われます(二人大笑)。

実は私、孫が生まれまして。いつも子どもに囲まれているので、孫は特別な存在じゃないと思っていたんですが全然違いましたね(笑)。
やっぱり家の中に子どもがいるというのは、また格別に幸せだなと感じました。
家の中の空気が違うし、存在だけで周りをこんなに幸せにしてくれるんだなあと、つくづく感じましたね。
子どもって、凄い!孫が生まれてあらためて実感させられました(笑)。

――いいですね!命の繋がりを感じます。
幸せってそういうものですよね。みんな幸せを探し求めるから、感じることのできない存在にしてしまうんですよね(笑)。

今日は普段聞くことのできない、子どもたちお母さんたちのお話しをありがとうございました。

後日、私は「なかだの森」に行って来ました。
一人で水の流れを眺めていると、「ねえねえ、手伝って!」と子どもの声がしました。振り返ると4歳くらいの子が私を見ています。子どもから声を掛けられたのは何年ぶりだろう。そんなことを思いながら、彼がつくるレシピの説明を受けていました(笑)。

そこは何の利害もない、自然に身を任せてもいい場所でした。

後日録音したインタビューを聞いていたら、あれ?と思うことがありました。
再生スピードを1.2倍にして聞いているはずなのに、中川さんのお話しが0.8倍くらいスローに聞こえるのです。おかしいなあと思いながら確認しても、やはり1.2倍です。

いつもゆったりとした時間の中におられる中川さんの時間は、このように流れているのかと思いながら再生スピードを1.5倍にしてみたらちょうどいい塩梅でした(笑)。

そんな中川ひろみさんは、私たちのアタマの中からすっぽりと抜け落ちてしまいがちな、“子どもを真ん中に考える社会”というものを思い出させてくれる人でした。

■中川ひろみさんのプロフィール

日野市在住。都内公立保育園に保育士として7年間勤務。出産のため退職。
日野市に転居。日野市で子育てサークルを立ち上げ、7年活動する。
我が子が小学校入学を機に、日野市子ども家庭支援センターに地域支援ワーカーとして勤務。
2003年4月市民活動団体「日野子育てパートナーの会」の副代表として、子育てひろば「みんなのはらっぱ」を立ち上げる。会のNPO法人格取得に伴い、子ども家庭支援センターを退職。
2007年日野市次世代育成行動支援計画「ひのっ子すくすくプラン」の市民ワーキンググループのメンバーとして「市民参加での子どもの居場所づくり」について話し合う。
2008年6月乳幼児の外遊びについてのニーズ掘り起こしのため、「なかだの森であそぼう!」開催。同年11月任意団体「子どもへのまなざし」設立。2009年6月NPO法人格取得。
現在、仲田の森蚕糸公園においてプレーパーク「なかだの森であそぼう!」を月6回開催。また、野外保育「まめのめ」の保育責任者も兼任。子どもや子育て中の人と共に日々格闘中。

NPO法人子どもへのまなざしHP