新型コロナウィルス感染者の方からの寄稿

新型コロナウィルスに感染し、無事回復した私の知人から、その間の出来事や切実な想いを寄稿していただきました。

寄稿してくれた方は、神奈川県内に住む20代の男性です。
名前は書いていません。誰にでも起こることとして読んでいただきたいと思います。身近で感染された方の生の声をお聞きすることは、今後もほとんどないのではないかと思います。

一昨日彼は、コロナに感染したことで起こったことを、一生忘れることはできないだろうと言っていました。
聞き逃してならないことは、コロナに感染したこと自体ではなく、コロナに感染したことで起こったこと。つまり、人為的なことについてです。
様々な意見を踏まえ、これからどうすべきかを彼と一緒に考え行動していきたいと思っています。

今、コロナ禍によって、少し危うい社会現象や行動を目にする機会が多くなってきました。心温まることも多々ありますが、差別や偏見、誹謗中傷など心痛む行為もあります。
後者のことが気懸りですが、そのような行為が過度な不安や正義感などに起因することが多いため、一筋縄ではいかない性質を帯びています。

これらのことを思う時、私は3.11直後から数か月間続いた、私の心の中の“違和感”に通じるものを感じています。それは、悲しいというピュアな状態から、少しずつ何か違った心の状態に変化していて、ふと私はそこに違和感を感じ始めました。考えていてもわからない、生まれて初めて味わう感覚でした。
その後私は、敢えてその状態を言葉に置き換えずに放置していました。
すると2か月ほど経ってから、ある言葉がでてきました。

それは、「自分を憐れんでいる」というものでした。
人間には、このような“意識の罠”があることを私は初めて知りました。
とても巧妙で気づきにくい罠でした。

そのことと、今起こっている過度な不安や正義感に起因する差別、偏見、誹謗中傷などの行為が、私には重なって映ってきます。“意識の罠”に嵌ることなく、これからの社会にとってより良い選択ができ、自分へのメッセージをいつでも受け取れる心身の状態に戻していくことが、まず私たちに必要なことではないでしょうか。

以下に、彼からの寄稿文を掲載します。

 

『新型コロナウイルスと向き合う』

皆さんは新型コロナウイルスに対してどのような感情を持ちますか?
人の命を奪い、日常を奪っていく。
憎い、悔しい、悲しい色んな感情が生まれると思います。
その片隅に有難いという感情はありますか?

私は新型コロナウイルスに感染しました。最初は腰痛と熱だけでちょっとした風邪だろうと思うくらいのものでした。病院に行き、解熱剤をもらって二日ほどで腰痛は少しあるもののすっかり元気になりました。医者からは、38度台の熱がなければ薬はやめとくように言われていたこともあって薬を飲まずに過ごしていました。数日後、いつも通りに朝の検温をしたとき37度ちょっとの微熱が出て一応仕事を休むことに。念のため検査だけ受けてほしいと言われ、電話で検査の予約を取ることに。しかし、熱だけでは検査の対象にならないとのことでその日は受けさせてもらうことはできませんでした。次の日もなんとか検査を受けるため色々考えましたがやはり電話で断られる。そして、少し遠くの病院の発熱外来に行き医師に頼み込んでやっとの思いで検査を受けることができました。

検査を受けたその日からつらい二日間が始まりました。まず、検査を受けるために病院に入った時点から菌そのもののような扱いをされる。触れたものを目の前ですぐに消毒液で拭かれ、なるべく近づかないように私と接する。感染予防と理解はしているが複雑だった。

そして、検査でレントゲンを撮るとき、「大きく生き吸ってー」と言われて息を吸おうとしたら今まで感じたことのない喉の冷たさを感じたのです。検査に行くまでの間は何ともなかった呼吸がしにくくなっていることに気づきました。その時点で自分は感染していると確信しました。ただ困ったことに少し遠い病院だったので電車で移動するしかなかったので帰りの電車は心苦しいものがありました。頼むから誰も近くに来ないでくれと思いながら窓が開いている近くに立って乗り続ける。どこも触ってはいけないと思い気を張り続けるしかありませんでした。

家に帰ってシャワーを浴びご飯を食べようと思って一口。「あ、味覚はあるな」と思い飲み込んだ後、「あれ?これこんな後味だっけ?」と思ったのを覚えています。今考えれば、味覚はあったが後味がおかしいというくらいの味覚障害だったのだなと。そのあと、ベッドに横になると、体のだるさがひどくトイレに行くのも嫌になるくらいでした。一応熱を測ると、36度台。「あれ?薬も飲んでないからやっぱり感染してないのかな?」とも思いました。しかし、呼吸と体のつらさから全然寝むれなくてまた熱を測ってみると39度近い。そんなことの繰り返しでした。次の日も呼吸とだるさはひどく、ベッドから全然動けないで一日が終わりました。

その翌日、保健所から電話があり「陽性」の結果だった。まず親と職場の人に連絡をし、いろいろな対応を考えることに。私自身は自宅療養が始まり外出は禁止された。

自宅療養が始まってからがずっとつらい時期でした。体調はびっくりするほど良くなり、「なんだ余裕じゃん」と思っていましたが次は違うつらさが。

家から出られないことは親とのやり取りでなんとかなっていたのでそこまでつらくなく過ごせました。

本当のつらさはメンタル面の方でした。職場の方々が親切な方ばかりでいろいろな対応をしてくださりながら何も気にしないでいいよと言ってくださり救われる毎日でした。

その一方、やはり心無い言葉をかけてくる人も。私は誰かに何か言われても気にしないで生きてきたのでそこに関しては何とも思わなかったのですが、自分の周りにまで心無い言葉を向けられてしまう。これが一番つらいことでした。そしてつらいことはどんどん増えていく一方でした。まるで菌のように扱われる辛さ、力になってくれている人への申し訳なさ、自分のせいで誰かに何かがあったらどうしようという不安、自分では何もできないもどかしさ、普通の生活に戻っても周りの人に不安を与えてしまうかもしれないという劣等感。いろいろと出てきました。

改めて皆さんは新型コロナウイルスに対してどのような感情を持ちますか?
今では社会復帰を認められた私から皆さんに伝えたいことがあります

新型コロナウイルスに対して、憎い、悔しい、悲しいという感情があるのは当然だと思います。私も同じでものすごく憎いです。しかし、別の視点で考えてみてほしい。

人が外出しなくなって地球全体で温室効果ガスが大幅に減った。これは、地球の視点から見たらいいことではないでしょうか?
人が外出しなくなって事件や事故の件数が減った。これは平和と言えるのではないでしょうか?
普通の生活に戻りたい。友達と早く会いたい。みんなで集まって楽しいことをしたい。これは、今までの普通がどれだけ有難かったか物語っているのではないですか?

私は今まで、ニュースで事件や事故、災害などを見ても、どこか「身近なことじゃないからなー」と思っていました。今回の新型コロナウイルスもそうです。身近じゃないと思っていました。しかし、突然降りかかってきた。
事件や事故、災害、地球温暖化問題も同じじゃないでしょうか?いつ自分に悪いことが降りかかってくるかわからない。
これからは、身近じゃないことも身近に起きるかもしれないと思って考えましょう。
自分たちの普通と思っている生活がどこかにマイナス要素をもたらしていることを自覚しましょう。
外出を控えている間に有難いなと思ったことは言葉で感謝を伝えましょう。

新型コロナウイルスは、無ければよかったのにと今でも思います。でも実際にあるんです。この困難な状況の中から学べることを自分自身で考え見つけてください。
人は困難なことが有るからこそ何が「有難い」ことかを学んでいくべきだと私は思いました。
別の視点から新型コロナウイルスを見てください。

最後に同じ質問です。

皆さんは新型コロナウイルスに対してどのような感情を持ちますか?