俳優の青沼かづま氏にインタビュー(その1)

俳優という仕事は「哀」に落ちいる危険性に満ちている。

ユキノ:意識化されているかどうかは別として、俳優は「哀」に陥りやすい仕事ですよね。

青沼:何百人もの観客の前でセリフを言うという舞台では、「失敗は許されない」という恐怖と戦わなければなりません。だから稽古は本番で間違えないための、セリフや動きの確認に終始してしまう場合も多いんです。

ユキノ:青沼さんは、その恐怖とどう戦っているのですか?

青沼:戦わないで、まず恐怖している自分を受け入れるんです。
こんなに恐怖している、一生懸命だからだな、大切に思っているからだな、よく頑張っていてかわいいな、と。
恐怖を抑え込もうとすると、本番の初めから最後まで恐怖との闘いだけで終わって、敗北します。緊張するのは当たり前です。押さえつけない、隠さない、ところから始めます。
いい俳優だと思われたいのでどう演じたらいいのか、と頭が忙しくなってしまいます。特に本読みの時、初めての演出家、初めての共演者に囲まれ「こいつだめだな」と思われないように構えて力が入ってしまって、自意識のかたまりとなり、「どう思われてるか」ばかりになり、台本を読み深め、理解する方向には決して行けない。
僕は、もったいない時間をどれほど過ごしてきてしまったことかと思います。

ある、立ち稽古の初日、途中から登場する役でした。
脇で出番を待ってると「もうすぐだ、どうしよう、どう演じようか」と、段々緊張がひどくなっていきました。考古学者の役でしたが、考古学者はどう考えるんだろう、どう行動するんだろう、これじゃ考古学者に、見えない、わからない・・・と、焦りました。
不安がピークになったとき、突然、この人物も今、焦っていて、緊張しているんじゃないか、久しぶりの同窓会で、自意識過剰になっているんじゃないか、とひらめきました。
そして、自分の興奮や、混乱、緊張をそのままに、登場してみました。どう演じようかという努力はあきらめ、混乱、不安なまま飛び込んだのです。
その時、「僕はここにいる」という今まで感じたことのない充実感がわいてきました。共演者もはっきり見えてきて、その場全体を感じられるようになったのです。

ユキノ:脚本も素敵で、いい作品でしたね。とても存在感があり、血の通った人間がそこにいると感じられ引き込まれました。それは、その発見と繋がってますね。

青沼:失敗しないよう鎧を着て、自分を守っていると、舞台でも存在感がなくなってしまうんでしょうね。ありのままの自分をごまかさず、勇気を出して一歩踏み出した瞬間、世界が広がりました。
もっと自分のことも見えてきて、本当の僕は、もっとみんなと出会いたい、かかわりたいと思っているという僕自身の発見もあり、その後の俳優生活を変えた出来事でした。

ユキノ:この体験が、青沼さんの日常も変化させたのですか?

青沼:はい。よく見られたいと思う自分が覆いとなって、本当にどうしたいのかが見えてなかったんだと気づき、正直に自分を見て、見栄を張らず、勇気を出して、人とかかわる機会が増えたように思います。
親の転勤、転勤で、人間が怖かったことが長くあり、人との距離をとっていましたから。

これが、あの時のチラシです。