青沼かづま氏インタビュー(その5)

ユキノ:今まで「哀」の傾向を持つ俳優についてお話ししてきました。今回から自信家の「喜」のキャラクターについてです。

青沼:「喜」の傾向は経験をある程度積み、ある程度評価も得て、指導的立場に立たなければならないころに現れてくる場合と、小さいころから成績が良かったり、スポーツができたり、端正な、またはかわいい容姿に生まれて、大事に、褒められて育った場合に作られる場合があります。
人に対して上から目線で、支配的にかかわってしまいます。

ユキノ:わたし、それですね。根拠のない自信があって、つい上から目線になってしまいます。
小さいころ、かわいくて勉強ができたんです。今は見る影もありませんが。

青沼:「喜」の傾向を持つ俳優はパワフルで、舞台の上でも花がある人、いわゆるスター性がある人が多いのですが、この花は、本当の花ではなく、30分で見飽きてしまう花です。
自信があるので押しつけがましくなったり、どや顔が透けて見えたり、自分がどう素敵に見えていいるかが気になり、なかなか役の人生に意識が向きませんから、セリフの解釈が浅く、感動の舞台を作ることができません。

ユキノ:舞台は二度とない今を観客と共に作るものなので、本当にデリケートですね。

青沼:そうです。「喜」の欲深さが舞台を壊します。
自分が一番上だと思いたいし、実際、周りが、頼りなく指導したくなってしまいます。こうすればいいのだ、と、演技をやって見せてしまうところまで来ると、もう、周りが疲弊していきます。チームワークは壊れ、新鮮でみずみずしい舞台が創れません。

ユキノ:「喜」の俳優は、自分が原因になっているなどとは、夢にも思っていないのでしょうね。まったく、みんな困ったもんだ、と、上から眺めている。
ある有名なバレエダンサーが、ジャンプした時、「うまく飛べた」と思った瞬間その演技は醜くなる、と言いましたが、一瞬に現れ、伝わってしまうのですね。

青沼:そうです。一瞬にあらゆることが透けて見えてしまう。ライブはこわいです。
普段から自分の自惚れや、支配したくなる心など「喜」の心をよく捕まえて意識化してなければ、無意識に舞台で、表現したくないものが雑音のように出してしまうのです。

ユキノ:雑音なく、濁りなく、その場の空気を丸ごと変えることができる本物の俳優を目指して訓練をかさねていくために、まず初めに大切なことは何ですか?

青沼:自分の心が「哀」になりやすいのか、「喜」なのか、普段から自分の喜怒哀楽を観察をすることが最も大切です。
だって、透明になってすっと舞台に立った時の、俳優の存在感と言ったら、それはもう!

ユキノ:モスクワ芸術座のカリャーギンさんのことですね!待ってました!

青沼:今から、20年以上前に日本で公演があり、日比谷の劇場で見た芝居が僕の役者人生を変えてしまったといっても過言ではありません。ショックでした。
音楽劇だったのですが、ストーリーも、あまりよく覚えいないのですが、カリャーギン氏の登場の場面が見たことのない存在感で、劇場中の空気を包み込んで、がらりと変えてしまったように思えました。ただゆっくり上手から歩いて出てきて舞台のセンターで立ち止まり、考え事をしながらあごひげを触り、ぶつぶつ何かつぶやくのです。
たったそれだけなのに、本当に何かを、その場で思索している「人間」が、存在しているのでした。思索しているふり、「演技」ではなく。ああ、これがまさに「演劇のリアリティー」だと思ったのです。

ユキノ:その場の空気を一変させる存在感だったのですね。
どうすればそんな存在感のある俳優になれるのか、「喜」の傾向を持つ俳優の弱点をさらに次回にお願いします。