青沼かづま氏インタビュー(その6)

ユキノ:「喜」の俳優の陥りやすいところの「待てない」という部分は、現代人にも共通していますね。効率第一で、個人の声を無視し、大量生産、大量消費を良しとしてきましたから。
自分の心の内側から感じるものを大切にすることを、なおざりにしてしまう社会の在り方を思います。
俳優だけでなく、だれでも個人の「存在感」を希薄にしてしまう文明なのでしょうね。俳優もそれにやられているように感じます。取り戻したいですね。
それにはどうしたらいいでしょうか。特に「喜」の俳優は何かを獲得することを急ぎますから。

青沼:簡素な暮らし、訓練と準備、そして「待つ」力です。
台本を深く読み、相手役のセリフをよくよく聞く稽古を重ねていき、良く見せようとか、うまくやろうとかをとどめて、まず、何もしない。余計な体の力みを意識的にはずし、心に自ずから現れる、訪れてくるものを待ちます。
すると、心の奥からあふれてくるものがあるのです。

ユキノ:何かやらないと、そこにいられない気持ちになりそう。

青沼:待つのは怖いし、不安です。だからかなりの訓練と心の力が必要です。
不安で、何もない自分を隠し、誤魔化し、あわててとってつけたように、見様見真似の芝居らしきものをしたくなるのです。そこをじっと耐えて、ほんとに湧き上がるものを待つのです。
人間は、中身空っぽではありません。準備さえ間違えなければ湧き上がるものがあります。
そしてこの湧き上がるものは、一定の準備、プロセスを踏めば公演中、何度でも湧き上がらせ、再現することができます。一度でもこの体験をすると、舞台で表現するという意味が全く変わります。

現実では素早く消えてしまって見逃してしまうものを、虚構の中で取り出してみせる、舞台の上でしか見ることのできないリアリティー、「演劇のリアリティー」といいます。
本当に怒ってる、苦しんでいる、喜んでいると、観客は信じることができ、物語に入っていくことができるための「演劇のリアリティー」です。

ユキノ:虚構だとわかっているのに、観客が引き込まれ、泣いたり、笑ったりしながら、自分の人生と重ね合わせて人生を学んでいく、「人間性再生の演劇」をめざしていくには、この「演劇のリアリティー」は必要不可欠ですね。

青沼:「喜」のタイプの俳優は、演じている自分の手ごたえを早くたくさん得たいので、自分の内側からやってくる真実の感覚を「待つ」ことができません。

ユキノ:それでプロセスを直観でやろうとし、結果を急ぎ、大げさな演技になってしまう。

青沼:あらゆることに自分は「できる」と思いたいので、自分に課す準備のルーティーンを愚直に踏むことがなかなかできません。刺激を求めて、無意識的に目立とうとし、自分勝手に舞台をリードしようとしてしまいます。

ユキノ:それでは全体の調和を乱してしまいますね。でも自分がそうしてしまっているなどとはゆめゆめ気付けないのでしょうね。

青沼:観客ももちろん空っぽではありませんから、かすかな動きからでも、深く読み取る力があります。想像を駆り立てて、参加したいと願ってそこにいます。

オーバーで説明的な「演技」は、観客の想像力を削ぐことで参加を退け、阻害してしまうのです。