心の底から楽しく仕事をする大人。

私たちは、そんな素敵な大人を“社会企業家”と呼ぶことにしました。

そんな大人だからこそ、次世代への架け橋となる仕事ができるのではないでしょうか。 そんな大人が増えれば、子供たちも楽しく生きることに躊躇することはなくなるでしょう。 一人ひとりができる「未来への責任」を、まず心底楽しく仕事をすることから始めてみませんか。 さあ大人たちよ、元気を取り戻して何時か誰かに喜ばれる仕事をしようじゃないか!

3.11という歴史的転換点に生きるということ。

3.11とともに生きる私たちだからこそ、すべきことがあります。

3.11によって失ったものは計り知れないけれども、見失い忘れてしまっていた大切な ものを想い出させてくれたのも、3.11だったのではないでしょうか。 そんな今を生きる私たちは、千年に一度ともいえる機会を与えられた気がします。それは、より良い未来を引き継ぐための絶好の機会だといえます。その機会を、楽しく笑ってビジネスで活かせるのが“社会企業家”なのでしょう。




原点回帰スパイラルという現象。

心の底から楽しいと感じる悦びの源泉は、こころとからだの健康にあるといえます。

心底楽しいというのは感覚であり状態です。 考えてそうすることではなく、何かによってもたらされるものです。自己都合の思考から解放され未来の都合に意識を委ねれば、今すべきことが ハッキリとわかるのではないでしょうか。こころとからだの健康により失いつつある感性を取り戻すことで、ビジネスや企業そして 社会の健全性が高まっていくことでしょう。そんな「原点回帰スパイラル」現象が加速し始めました。

千年に一度ともいえるこの機会を、楽しく笑ってビジネスで活かせる社会企業家が集いビジネスする。さらに、同じような志をもつ若き志士たちと学び、体験し、成長することによって社会企業家が増殖することを目指しています。

社会企業家集まれ。「志士」たちよ心底楽しもう。

今、なぜ社会企業家なのか?


我慢と責任転嫁が蔓延した社会

人が何とも言えない悦びを感じるのは、誰かや何かの役に立ちそれを実感した時だと思います。人というのは、そういう生き物なのでしょう。。「日常と非日常」でも書きましたが、日常の中で誰かや何かの役に立てる機会がない、あるいは役に立っていても実感が湧かず諦めやマンネリ感、閉塞感が漂っている人が多くいます。そしてそれが、社会に蔓延しつつあると感じます。

ある人は、自分が我慢すればいいと思っています。 ある人は、誰かや何か、あるいは社会のせいにしています。 いずれにせよ我慢か責任転嫁の二者択一的な考え方や行動に陥っています。簡単に言えばつまらない日々を過ごし、安易な楽しさを求め後悔を繰り返して生きていく要因をつくり出しています。さらに、それを自分が選択しているという自覚はないのでしょう。

特に仕事でそう感じて生きている人が多くいます。仕事では、利害や人間関係が露骨に現れる場面が多く、寧ろそれが仕事の厳しさだと勘違いしていることも多々あります。地に足がついて仕事をしている人は「仕事に厳しい」と「人に厳しい」を区別できます。会社での評価よりも、自分らしさや社会的な意義を大切にします。

自分を誤魔化したり勘違いして生きている人は、人として大切なことに鈍感になります。あるいは避けて通ります。こういう状況が続くと体調を崩します。あるいは周囲の人が病気になります。我慢をしていても、本当の自分の心と身体を誤魔化し通すことはできません。内面にダメージを及ぼすか、周囲の人を攻撃するかどちらかに向かうということになるでしょう。


私らしく生きる

そういう状況から自然に解放される方法としてまず私が思うことは、私らしく生きるということです。私らしくというのは、考えてわかることではありません。私の感覚では一つひとつのことを心に違和感のない状態で行動することにより、私らしさの輪郭がみえてくるという感じです。繰り返していくことで、その輪郭がはっきりと浮き出てきます。自分が正しいと思うことは何なのか、やりたくないと思うことはどういうことなのか、何となく嫌だと思った時は様子をみるとか少し置いておくだけでいいのです。 自分や会社やお客や誰かの都合で決めるのではなく、ただ自分の心に違和感なくいればいいだけです。結局、元々わかっていることを忘れたり見失っているだけで、それを一つひとつ想い出していく作業なのでしょう。

会社や仕事ではタブー視され無責任と言われ自分勝手と言われるようなことであっても、私らしく在ることにより人として最も大切なことに立ち還られれば(原点回帰)、同じように行動している人と横軸でつながり少し安心して仕事もできます。それぞれが私らしく在れば、そこに安心が生まれます。 日常の自分の周辺環境の中ではタブー視されることが、全く違った意義や価値観をもっていることにも気づかされます。

私は誰かを説得することはしませんし、したこともないと思います。わかる人と自然につながり、連動していければいいと思っています。それが何となくでもいいし、何となくが何だったのか後から表層化してくることもお互い楽しい体験になるでしょう。


なぜ「社会企業家」か?

心の底から楽しく仕事をする大人を、私たちは社会企業家と呼ぶことにしました。そんな定義はどこを探しても出てきませんが(笑)。

心底楽しいというのは感覚であり状態です。 考えてそうすることではなく、何かによってもたらされるものです。そういう感覚は、私らしく生き・私らしく仕事をしている人に多くもたらされると思います。また、そういう人たちと会った時に、問題意識も共有されやすいと感じます。ということは共通の目的意識のもとに行動も起こりやすいし、継続性も高まることでしょう。

社会企業家というと、すでに起業し社会ビジネスで実績のある立派な人を想像するかも知れませんが、そうではありません。心底楽しく仕事をしている大人こそが、自分の損得に埋没せずに仕事をしているし、そう心掛けている人の周囲にはポジティブな連鎖が起こります。 現在の立場が経営者、起業を志望している人、会社員あるいは学生であっても構いません。会社員であれば社内起業家を目指すこともできるので、自分がいる会社を社会的企業に転換していく原動力になってもらえればHappyです。


なぜ「大人」か?

もう一つは、敢えて「大人」と書いている点です。個人的には、子どもの頃の夢や希望を持ち続けて生きることは素晴らしいことだと思っています。心の在りようが大人である必要はないと思います。「大人」と書いたのは、子どもたちからみて大人に見えるのだから、そう見える人たちは子どもたちが夢や希望をもって成長するための妨げになってはならないという意味を込めています。

子どもたちから見て大人に見えるんだから「ちゃんとしようよ」という感覚と、我慢や責任転嫁をしてつまらなそうに生きている大人が蔓延っていると、子どもたちは息苦しいんじゃないかなという感覚によるものです。大人に見える私たちは、子どもたちが思いのまま思う存分生きるよう見守るか、自分自身が思う存分生きるしかやりようがないのではないでしょうか。

つまらない顔をして生きている大人たちは、子どもたちからみたら迷惑に違いありません。あるいは可哀想にみえるのかな。。 こんなことを想いながら、「心の底から楽しく仕事をする大人」を社会企業家と呼んでいます。





企業と市民の使命

社会企業家の志しは、社会ビジネスによって実践されます。社会ビジネスというのは、ビジネスによって社会的課題を解決するものですが、ビジネスである以上本業あるいは収益事業にしていかなければなりません。ここでは非営利活動やCSR(企業の社会的責任)活動とは区別しています。

区別する理由は、そもそも企業本来の使命がそうだからです。企業には、本来の使命を果たす責務があります。社会があって企業が存立しているという当たり前のことを、それぞれの企業は肝に銘じ取り組み始めなければなりません。 心底楽しく仕事をする大人が増えてポジティブな連鎖が起こり、企業による社会ビジネスによって心の豊かさを取り戻していくことで、すべての企業が社会的企業といえるようになるでしょう。

経済最優先の社会では、企業は常に競争に晒され効率を追求しなければなりません。消費者や市場の要求も、高品質で低価格な製品・サービスに偏りがちです。それは我慢や責任転嫁が蔓延る社会が、それらの欲求を満たすことを優先しているからに他なりません。多くの企業は、このエゴである欲求を顧客ニーズや市場ニーズと呼んでいるようです。 企業本来の使命を果たすための社会ビジネスの事業化は、社会に対する問題意識をもった消費者や市場の要求とともに発展していきます。

私たちは、仕事をしている時は製品・サービスの供給者かも知れませんが、プライベートでは消費者であり市場の一員でもあります。よってこのようなネガティブな連鎖を断ち切りポジティブなスパイラルに変化させていくのも、私たちの心のもちように依るところが大きいと私は思っています。

消費者から世界市民へ。

原点はやはり、心の底から楽しく生き・仕事をすることではないでしょうか。




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